■J_Coffeeの徒然草(7巻)■

---目次---
  • 伊勢神宮とコンドラチェフの波(前編)
  • 伊勢神宮とコンドラチェフの波(中編)
  • 伊勢神宮とコンドラチェフの波(後編)
  • ラプラスの魔とカオス(前編)
  • ラプラスの魔とカオス(後編)
  • 花粉症と株価暴落
  • ある投資信託の悲惨な成績
  • 大川功さんのご逝去を悼む
  • 英国病とサッチャー首相(前編)
  • 英国病とサッチャー首相(後編)
  • 春分の日と株式市場の転換点
  • ダイヤモンドの支配者(前編)
  • ダイヤモンドの支配者(後編)

  • (2001/4/4)
    伊勢神宮と
    コンドラチェフの波(前編)

    私の母の世代は、修学旅行には伊勢神宮に行かされたそうです。

    伊勢神宮は、天皇家の祖神、天照大神(アマテラスオオミカミと読むのです)を祭った、日本の頂点に君臨する神社なのです。戦前の皇国史観の教育には、不可欠な存在だったのです。

    数年前、母は再び伊勢神宮に参拝に行き、萱葺きの屋根や真新しい白木つくりの姿に、深く感動したそうです。
    木の香りと飾りのない気品が漂い、まるで、タイムマシーンで奈良時代に戻ったような気分・・・

    何故、こんなに真新しいのでしょうか?

    この神社には、天武天皇が決定して、持統天皇の時代に始まった1300年間も続いている伝統があります。

    伊勢神宮は、20年を経るたびに、まったく同じ建物が新築されるのです。
    これを式年遷宮といいます。

    建物だけでなく、2500点の宝物も新品に取り替えられます。新しくしないのは、御神体の「ヤタノ鏡」ぐらいです。 敷地も東西に2分割され、20年交代で使用されます。

    1993年に61回目の式年遷宮が行われました。
    母が見たのは、この直後の伊勢神宮だと思います。

    この時の式年遷宮の経費の総額は、327億円もかかりました。正倉院が示すように、木造建築は、千年以上も維持できるのに、もったいない気もします。

    しかし、考えようによっては、20年ごとに波及効果の大きい、景気浮揚の公共事業を行い、産業の発展に貢献していたのかもしれません。

    ◆◆伊勢神宮に関連する周期現象で、◆◆
    ◆◆私が強く惹かれるものが、もう一つあります。◆◆

    ◆◆ 江戸時代の260年の間にブームが15回も訪れたといわれる◆◆
    ◆◆「おかげ参り」です。◆◆
    ◆◆ この続きは、明日発表します。◆◆

    (参考文献)「天皇はどこから来たか」  長部 日出雄著  新潮社

    もどる


    (2001/4/5)
    伊勢神宮と
    コンドラチェフの波(中編)

    江戸時代の庶民は、旅行はもちろん、移動することも禁じられていました。 関所を通過するには、通行手形が必要だったのです。

    唯一の例外が、伊勢神宮や善光寺への信仰旅行で、大目に見られたのです。
    江戸時代、庶民にとって一生に一度だけ行ける旅行が、伊勢神宮だったのです。

    1705年(宝永2年)、京都の12歳の丁稚が、赤ん坊を背負ったまま、主人に内緒で店を飛び出します。 沿道の人たちの暖かい援助を受けて、伊勢神宮まで到達し、この少年は、9日後に無事に帰京します。

    さて、この噂は駆け巡り、京都中の子供や女性達が、仕事を放り出して、おかげ参りに出発します。 彼らは、信仰旅行のおかげで、封建時代の束縛から、開放されたのです。

    驚くべきことに、日本中に、この熱気は伝播します。

    何と、2ヶ月以内に350万人の人が、伊勢神宮に殺到したのです。当時の日本の人口は2700万人程度です。実に、全人口の13%の人がこの熱狂に参加したのです。

    彼らは、ヒシャクを持って、着の身着のままで、無銭旅行したのです。沿道の商家は、ヒシャクに施しを差し出さないといけなかったのです。こうして、富の再分配が行われます。

    やがて、彼らは、熱狂的に踊りながら、「おかげで、するりと抜けたとさ
    と歌い、街道を練り歩くようになります。

    さて、このおかげ参り、頻繁に起こったら沿道の人も破産してしまうでしょう。大規模なものは、次の年に限定して、起きています。

    1705年(宝永3年)、1771年(明和8年)、1830年(天保1年)

    実は、私が一番惹かれるのは、この間隔なのです。

    周期を調べると、約60年です。60年間・・・私は、考え込んでしまいました。

    1980年代後半の株式のバブルに熱狂した投資家(私もその一人)と
    江戸時代のおかげ踊りに夢中になって、練り歩く人達が、突然オーバーラップしたのです。

    ロシアの経済学者コンドラチェフは、50〜60年の長期の経済の波について、論文をまとめています。

    ◆◆コンドラチェフの波とおかげ参りの周期は、ほぼ一致するのです。◆◆

    ◆◆ 何故60年か?◆◆
    ◆◆私なりの答えを、明日発表します。◆◆

    もどる


    (2001/4/6)
    伊勢神宮と
    コンドラチェフの波(後編)

    コンドラチェフは、50〜60年の波の原因は、技術革新や戦争にあると主張しています。
    技術革新による生産の拡大に、消費需要が追いつくのにタイムラグを生じるのです。

    しかし、それだけが経済の大波の原因でしょうか?

    確かに、技術革新は、重要な役割を果たします。

    しかし、それ以上に重要なのは、人間の投機に対する感情・・・・・
    つまり、希望、幸福感、熱狂、恐怖心、絶望感などです。

    人間の心の動きが、バブルや大暴落や恐慌を引き起こしているのだ、と私は思います。

    今回のアメリカ株の高騰とその崩壊は、インターネットの発明とIT革命への期待感の高まりが関係するのでしょう。

    1929年の株価暴落(暗黒の木曜日)の前にも、自動車やラジオの発明により、経済の発展と株のブームがありました。

    もし、おかげ参りに共通した、全国民を巻き込んだ、集団による熱狂的な投機が起こらないとします。その場合、バブルの反動である、株の大暴落や恐慌は、けっして発生しないと、私は信じています。

    おかげ参りを終えて興奮から覚めたとき、仕事や家族を失ったことに気づき、
    後悔する人も多かったと思います。

    そんな人は、翌年誘われても、けっして参加しないでしょう。
    おそらく、一生伊勢神宮には行かないかもしれません。
    また、膨大な被害を受けた沿道の人も、協力はしないはずです。

    将来、株バブルが発生しそうになっても、私は、昔の記憶がよみがえります。
    したがって、本当の意味での熱狂にブレーキをかけるでしょう。

    再び、おかげ参りや株のバブルが起こるのに絶対必要な条件は、
    長い年月を経て、全ての日本人が入れ替わることです。

    つまり、60年とは、人間の寿命に対応する期間なのです。

    日本では、株のバブルが本格的に発生するのは、私のような前回の経験者が死んでしまう、2050年以降だと思います。

    ◆◆さて、昨日のアメリカ株は、歴史的値上がりでしたが、◆◆
    ◆◆安心するのは、まだ早いと思います。◆◆

    ◆◆ 世界恐慌から70年を経て、◆◆
    ◆◆アメリカは危険ゾーンに入っているのです。◆◆

    もどる


    (2001/3/5)
    ラプラスの魔とカオス
    (前編)

    地球は、ケプラーの法則で太陽の周りを楕円軌道を描いて回る、と習いましたが、正確には楕円から少しずれているそうです。
    木星や土星などの引力が、地球の軌道に影響を及ぼすからと考えられます。

    天才ラプラスは、理論計算により、100年も解けなかった、こうした問題(三体問題)の一部を解決しました。

    すっかり自信を持ったラプラスは、次のような世界観を提唱します。

    宇宙の今の状態は、過去の状態の結果であり、未来の状態の原因なのです。
    ラプラスは、究極の知性を持った存在(ラプラスの魔(デーモン))を仮想しました。

    ラプラスの魔は、全ての自然法則と過去のデータを知っています。
    また、スーパーコンピュータよりも、早く正確に計算できるとします。

    惑星の数がいくら増えても、ラプラスの魔は、素早く未来の地球の位置を計算してしまうのです。

    過去、現在、未来は、因果律で繋がっており、将来のことは、すべて予め決定されているのです。

    さて、ラプラスの魔が、株のトレーダーになったとします。

    彼は、正確無比なテクニカル理論を構築します。
    そして、彼は、個々の銘柄のファンダメンタルを正確に分析して、現在の株価と比較できる究極のアナリストでもあります。
    彼は、日経平均やナスダックの値動きも、予測できます。明日の個別銘柄の株価予測など朝飯前です。

    無敵で最強の相場師「ラプラスの魔」の誕生です。
    彼の運営する投資信託を買いたいものですね。

    しかし、ラプラスの魔が幅を利かせている物理学の分野ですら、
    まったく正反対の考え方があるのです。

    ◆◆それが、混沌、すなわち、カオスです。◆◆
    ◆ この続きは、明日発表します。◆

    もどる


    (2001/3/6)
    ラプラスの魔とカオス
    (後編)

    始めに神が天地を創造された。
    地は混沌としていた。
    暗黒が原始の海の表面にあり、神の霊風が大水の表面に吹きまくっていたが、
    神が「光あれよ」と言われると、光が出来た。
    神は、光を見てよしとされた・・・・・

    以上は、旧約聖書、創世記の冒頭の一節です。
    この後、神は6日間で全ての物を作り、7日目に休息をとりました。
    これが、日曜日の起源なのです。

    聖書によれば、神が秩序を創造する前の状況が、混沌、すなわち、カオスなのです。

    カオス的な、物理現象を一つ、ご紹介しましょう。

    まったく、風のない日、2階の窓から一枚の鳥の羽を落下させます。
    どの位置が羽の落下地点になるかを、予測できるでしょうか?

    羽は、左右に揺れ動き、くるりと向きを変え、複雑な軌跡を描きながら、舞うように、ゆっくりと落ちていきます。 羽の形状を、徹底的に調べスーパーコンピュータで計算しても、なかなか答えはでないでしょう。

    惑星の動きを計算するより、羽の落下予測のほうが難しいかもしれません。 以前紹介した、気象予測も変化が多くてカオス的現象だといわれています。

    さて、株価予測に話を移しましょう。

    どんなに精緻なテクニカル理論にも、いわゆる騙しが存在するように思えます。状況の変化がまったくなくても、当たらないことがあると思います。 また、どんなにアナリストが優れた分析をしても、株価が正反対の動きをすることもあるようです。

    株価は、地球の公転運動に似てるのか?それとも、鳥の羽の落下運動なのか?

    ◆◆ラプラスの魔か?それともカオスか?◆◆
    ◆◆ 間違いだらけの予測しかだせない私には、◆◆
    ◆◆どちらが正しいのか、わかりません。◆◆

    もどる

    (追伸)松下通信工業を買いました。
    (2001/3/15)
    花粉症と株価暴落

    「ハッ・・ハックショーン・・・」

    電車に乗ったとき、我慢できず大袈裟なクシャミをすると、皆が私を振り返ります。
    そう、私は、25年の歴史を誇る花粉症患者なのです。

    私が、発病した時は、花粉症は珍しい病気でした。 毎年暖かくなり、春一番が吹くと、何故、風邪をひくのか不思議でした。何人もの医者に通いました。

    ある日、耳鼻科の名医が、「あなたの病気は、杉の花粉によって起こるアレルギー症状です」 と見抜きます。
    そして、抗ヒスタミン剤を朝夕飲むようになり、症状は軽くなりました。

    当時は、珍しい難病にかかってしまったと思いましたが、何年か過ぎると、どんどん仲間が増えていきます。 今では、人口の10%を遥かに越えたと思います。

    私が子供の時には、花粉症は存在しなかったのですよ。

    杉の花粉は、昔からあったはずなのに、最近になって増えるとは、変ですね。
    喘息、アトピー性皮膚炎などのアレルギー患者も急増しています。
    杉花粉だけでなく、ディーゼル車の排気ガスや食べ物が関係している可能性が高いようです。

    しかし、今年の症状は例年よりひどい。

    痒い目を思いっきり、こすらずには、いられません。
    目は、真っ赤、鼻水はズルズルです。

    昨日のスポーツ紙の見出しに「花粉症不況」の文字が躍っていました。

    持ち株の含み損が増えているので、同紙を購入する気にはなりませんが、
    「花粉症と言えば3月」と「株式市場の3月危機」を関連付けたのだと思います。

    そうか、日本経済も鼻水ズルズル、目は真っ赤の花粉症になったのか!
    妙に親しみを感じました。

    ちなみに、花粉症が終了する時期を私は、よく知っています。
    「桜の散る頃、花粉症は嘘のように全快します。」

    ◆◆株価も、その頃、本当に上がりだすでしょうか?◆◆

    ◆◆ 間違っているかもしれませんが、私は、世界同時株価暴落の危険は、◆◆
    ◆◆4月になっても、まだ去らない確率のほうが高い気がします。◆◆
    ◆◆ 今日の後場の劇的な戻りは、持ち株を減らすチャンスなのかもしれません。◆◆

    ◆◆本格的な買いは、完全な上昇トレンドを確認した後で、◆◆
    ◆◆充分間に合うのではないでしょうか?◆◆

    もどる


    (2001/3/16)
    ある投資信託の悲惨な成績

    資産家が遊んでいる間に、プロのファンドマネージャーが一生懸命に資金を運用するTVのコマーシャルをよく見かけます。

    なるほど投資信託は、楽で効率がよいのではないか、と思いたくなりますが、
    本当にそうでしょうか?

    今日は、一つの有名な投資信託の実態を紹介します。
    野村證券は、2000年2月にノムラ日本株戦略ファンドと言う名の投資信託を売り出しました。

    野村證券が威信をかけて創立した旗艦ファンド、全力をつくして好成績を上げるのでは、との前評判でした。

    三ヶ月の売りだし期間に、お客が列を作ったほど人気が出ました。
    1兆1700億円もの巨額の資金が集まりました。

    運用会社の野村アセットマネジメントは、このファンドの資金を分割して割安株、成長株、店頭株、二部株などに投資して、それぞれの分野にトップクラスのファンドマネージャーを担当させました。

    さて、その結果は、ここをクリックして、確認できます。
    なんと2001年3月15日現在、40%近い大暴落。

    まあ、確かに株が暴落した、不運な時期では、あります。
    しかし、TOPIXや日経平均は、40%も下がってないですよね。

    本当にトップクラスのファンドマネージャーが担当しているのでしょうか。
    まさか、株の素人の新入社員が運用しているのでは、ないでしょうね?

    投資信託は、購入する時、手数料を3.15%(消費税込み、1億円未満)も、とられます。 これだけ値下がりしても、信託報酬 として純資産総額に対して年10,000分の190の率を乗じて得た金額をとっています。

    ◆◆まさに、踏んだり蹴ったり。◆◆
    ◆◆やらずぶったくりのノムラ日本株戦略ファンド。◆◆

    ◆こんな、投資信託を買われた方は、本当に気の毒だと思います。◆
    ◆◆野村の関係者の皆さん、掲示板での反論を待ってますよ。◆◆

    もどる


    (2001/3/18)
    大川功さんのご逝去を悼む

    セガの社長であり、CSKの名誉会長でもある大川功さんが、
    3月16日、心不全のため逝去されました。

    大川さんは、大阪の生まれで、1968年コンピュータソフト会社(現在のCSK)を創業します。多くのエンジニアの心を掌握して、管理する巧みな経営手腕で、会社はトップ企業に成長します。

    そして、1984年スロットマシンや遊戯用木馬をつくっていた、セガを傘下に入れます。当時のセガの経営者中山隼雄氏とコンビを組み、業務用ゲーム機の分野に進出し、セガを飛躍的に発展させます。

    家庭用ゲーム機でも、欧米では、任天堂と互角に戦った時期もありました。セガを傘下に入れたことが、大川さんの成功の大きな要因だったとも言われています。

    しかし、ゲーム機の劣勢と過剰在庫から、セガの決算は、三期連続の巨額赤字となります。

    大川さんは、去年の7月25日に食道ガンと診察されます。

    その後、手術なしで、全快したとの発表がありましたが、おそらく完治しなかったのだと思います。
    食道ガンは、死亡率の高いガンなのです。

    CSKグループを率いた超ワンマン経営者・大川功さんは、
    自分の死期が近いことを悟っていたのです。

    愛する家族のことも心配ですが、一番気がかりなのは、経営不振のセガの行く末です・・・
    大川さんは、最期の大きな決断をします。

    2001年1月31日セガは、市場終了後に記者会見を開き、次の発表をします。

    1. 大川功さんが850億円の私財を提供して、セガを支援すること
    2. ドリームキャストから撤退すること

    病状が悪化していた大川さんは、会見に出られませんでした。

    大川さんの決意をうけて、翌2月1日、セガは1024万株の大商いになり、終値は1690円から1990円へのストップ高でした。

    ◆◆会社が、倒産しても醜く自分の財産を守るワンマン社長が多い中、◆◆
    ◆◆大川さんの行動は、感動せずにはいられません。◆◆

    ◆◆ 心から、ご冥福をお祈り申し上げます。◆◆

    もどる


    (2001/3/19)
    英国病とサッチャー首相
    (前編)

    老大国イギリスは、1970年代いわゆる英国病にかかっていました。 製造業の技術革新が行われず、国際競争力は落ちる一方でした。石炭、電力、ガス、鉄鋼、鉄道、造船などの産業が、国有化され、巨額の赤字を積み重ねます。

    財政赤字は、増加して、国債の累積残高が増加し続けます。経済成長率は低く、歳入は増えません。 増税で歳入を増やそうとしますが、赤字の増大で直ぐに打ち消されてしまいます。

    1976年、イギリスは、IMFから緊急融資を受けます。

    都市機能が麻痺することもありました。停電やゴミの山が発生したり、電車を走らせなかったり、ストライキが頻発したのです。

    ポンドは、暴落します。
    割安になった衣料品などを購入しようと、ヨーロッパ大陸の人達がロンドンに押し寄せます。

    政治家は、誰も責任をとらなかったのです。

    1979年、インフレの抑制、政府支出の削減、労働組合の改革を公約に掲げた保守党が、総選挙に勝利します。

    同年、鉄の女、マーガレット・サッチャーが首相になります。
    実は、一期目のサッチャーは、それほど急進的な改革を行えなかったのです。

    彼女の、緊縮的な金融政策は、経済を停滞させ、失業者を増加させました。
    1980年、ロンドンとマンチェスターで市民暴動が起こります。

    福祉予算などの政府支出の削減は、このような状況のもとでは、不可能だったのです。

    サッチャーは、不人気でした。

    このままでは、1983年の総選挙に勝つことは、出来なかったでしょう。
    しかし、彼女は、強運に恵まれていました。

    ◆◆結果として、サッチャーを救った、◆◆
    ◆◆その大事件は、海の向こうで勃発します・・・明日に、続く。◆◆

    ◆◆ ところで、東アジアの何処かの国も、英国病にかかっていませんか?◆◆

    (参考文献) 「英国の復活 日本の挫折―英国のビッグバンから何を学ぶか」  渡部 亮著  ダイヤモンド社

    もどる


    (2001/3/20)
    英国病とサッチャー首相
    (後編)

    フォークランド諸島は、マゼラン海峡の東500kmに位置するイギリス領で、アルゼンチンも領有権を主張していました。 1982年4月、アルゼンチンは、イギリスの経済低迷と軍需費削減をチャンスとばかり、フォークランドを武力制圧します。

    「どうせ、イギリスは攻めてこない」とアルゼンチンは甘くみていたのです。

    時の首相サッチャーは、単独での大機動艦隊の派遣を直ちに決断します。

    垂直上昇が可能なイギリス戦闘機シーハリアーは、アルゼンチンのミラージュVの背後に回り、撃墜させます。 制海権を握ったイギリスは、フォークランドを奪還します。(フォークランド紛争

    この戦争の勝利は、イギリス人を熱狂させ、サッチャーの人気は急上昇します。
    1983年6月、サッチャーは、総選挙にも勝利します。

    圧倒的な求心力を得て、イギリスの歴史的な大改革が始まったのです。
    サッチャーは、自分の信念を強引に推し進めることが可能になったのです。

    ブリティッシュ・テレコム(BT)を初め、ほとんどの国営企業の民営化が実施されます。
    市場経済原理や規制緩和が進められます。完全な競争社会が実現します。
    そして、絶大な力を誇った労働組合は、衰退していきます。

    高額所得者や企業の税金は、軽減され、働く人、努力する人が、より報われる税制に移行されます。
    金持ちが戻り、外国企業のイギリスへの投資も増加します。

    政府支出は、削減され、「ゆりかごから墓場まで」の甘えは許されなくなります。

    経済は活力を取り戻し、力強く成長を開始します。
    シティは、再び金融の中心として輝きを増します。

    ◆◆鉄の女・サッチャーの強烈なリーダーシップの下で、◆◆
    ◆◆イギリスは復活したのです。◆◆

    ◆◆ 今の日本に一番必要なのは、◆◆
    ◆◆サッチャーのような総理大臣では、ないでしょうか?◆◆

    ◆◆明日は、今回意図的に話さなかった「イギリスの金融ビックバン」を◆◆
    ◆◆「宇宙の誕生」とダブらせて発表します。◆◆

    もどる


    (2001/3/21)
    春分の日と
    株式市場の転換点

    今日の株価の上昇振りには、驚きました。

    アメリカ株が安かったので、今日もだめかと思いましたが、後場の迫力には、すっかり興奮しました。

    日経平均13103円で912円高、先物にいたっては、1000円のストップ高です。 新値3本足の12682円を軽く越しています。

    昨日は、春分の日で昼夜の長さが逆転する日。
    相場のトレンドも、この日を境に上昇に転換した可能性が高いと思います。

    日米首脳会談で不良債権処理を森首相が、約束したニュースも関係あるのでしょう。

    しかし、私は、日銀の金融政策「量的緩和」の影響が大きいと思います。
    以前から、株を買いたいというエネルギーが、マグマのように溜まっていたのですね。

    アメリカ株は暴落、日本株は高騰。痛快ですね。

    谷深ければ、山高し。

    失敗するかもしれませんが、この過剰流動性相場に、株好きの私は、微力ながら肩入れしたいと思います。

    今日は、2銘柄買いました。今後、少しづつ株にシフトしてみます。

    ◆◆単なる戻りか?◆◆
    ◆◆それとも新世紀相場の始まりか?◆◆
    ◆◆今後の相場に聞いてみます◆◆

    もどる


    (2001/3/27)
    ダイヤモンドの支配者
    (前編)

    インドで産出される、異様に硬い透明な石が、宝石の王座に君臨できたのは、ブリリアンカットの発明のおかげでしょう。

    この58面体のカットは、光を大きく屈折させ、全反射することで、
    ダイヤモンドの永遠の輝きを、極限まで引き出すことに成功したのです。

    ダイヤモンドの美しさは、世界中の女性を魅了します。

    そして、ダイヤモンドとユダヤ人は、深い関係で結びついています。
    ダイヤモンド原石の研磨、加工そして販売を行っているのは、昔からユダヤ人なのです。

    1498年、バスコ・ダ・ガマがインド航路を発見します。 イベリア半島には、多くのユダヤ人が住んでいました。彼らは、インドから輸入された原石を得て、リスボンのダイヤモンド産業を発展させます。

    やがて、ポルトガルとスペインでユダヤ人の迫害が起こります。

    彼らは、アムステルダムとアントワープに難を逃れます。アントワープは、今でもダイヤモンド加工の中心地です。

    18世紀後半、ダイヤモンドの産地は、ブラジルに移ります。
    そして、イギリスの力が増大すると、ユダヤ人のダイヤモンド販売業者もロンドンに移ります。

    19世紀末、南アフリカのキンバリーで、世界一のダイヤモンド鉱山が発見されます。

    ダイヤモンドは、供給過剰で大暴落します。驚いたイギリスは、入植者のリーダー、セシル・ローズに命じてダイヤモンド原石を扱う会社を設立します。

    この会社は、南ア産の全ての原石を手に入れ、供給を規制することで、ダイヤモンドの暴落をくい止めることに成功します。

    このとき、あの有名なダイヤモンド帝国の支配者、デビアス社が誕生したのです。

    1929年、ユダヤ人オッペンハイマーが、デビアス社の社長に就任します。

    この年の10月24日(暗黒の木曜日)、ニューヨーク株式市場は、崩壊します。

    ◆◆大恐慌が起こり、世界中にデフレが襲います。◆◆
    ◆◆ダイヤモンドの価格は、再び下落し始めます。◆◆

    ◆◆ 彼は、この危機を乗り切るため、熟慮の末、次の一手を放ちます。◆◆
    ◆◆ この続きは、明日発表です。◆◆

    (追伸)ゼビオ買いました。

    もどる


    (2001/3/28)
    ダイヤモンドの支配者
    (後編)

    オッペンハイマーは、世界恐慌で暴落したダイヤの原石の買支えを敢行します。ダイヤモンドの価格が安定したことで、やがて、資産価値が高まったダイヤモンドは、信頼を取り戻します。

    そして、この過程で、デビアス社による世界的なダイヤモンド・カルテルが、完成したのです。

    全ての原石は、デビアス社の元に集まります。世界中から選ばれたダイヤモンドの取引業者に販売されます。 しかし、カルテルに参加した、ダイヤモンドの取引業者は、価格交渉が出来ません。

    一定量のダイヤの原石が入った袋をデビアス社から渡され、同社が一方的につけた値段で購入しなければなりません。 もし、購入を断ると、次回からカルテルに参加できません。

    その値段は、ドルベースで年率3〜5%値上がりするように、決められました。

    購入された原石は、イスラエルやアントワープのユダヤ人の加工業者の手で研磨されます。 そして、日本やアメリカの消費者の手に届くのです。

    昔の日本には、婚約時に、ダイヤモンド指輪を贈る習慣は、ありませんでした。

    昭和40年代、「ダイヤモンドは、永遠の輝き」、「給料の3ヶ月分の婚約指輪」という
    宣伝文句がテレビや新聞で大量に流されます。日本人は、洗脳されてしまいます。

    今では、ほとんどのカップルが婚約指輪を購入するそうです。
    デビアス社の日本戦略の、あざやかな勝利でした。

    その後、デビアス社は、スウィート・テン・ダイヤモンドを結婚10周年に贈る習慣を定着させようとしました。 この戦略は、あまり成功しなかったようです。

    最近、ロシアやオーストラリア産のダイヤモンドで、デビアス社の規制を受けないものが出回り、同社の力にも、かげりがでているそうです。

    ◆ しかし、今でも同社は、ダイヤモンドの流通量の6割を抑えている、◆
    ◆◆ダイヤモンド帝国の支配者なのです。◆◆

    ◆◆明日は、仕事で休みます◆◆

    (参考文献)「ダイヤモンドと死の商人」 広河隆一 パレスチナ・ユダヤ人問題研究会編 三友社出版

    もどる


    ホームへ

    MENU