■歴史の玉手箱6■

---目次---
  • ルソン壺(前編)
  • ルソン壺(後編)
  • ニュートンと南海バブル株(前編)
  • ニュートンと南海バブル株(後編)

  • (2003/9/9)
    ルソン壺(前編)

    16世紀末、堺の商人・ルソン助左衛門は、希望に燃えてルソンに上陸します。
    「日本とルソンの交易で、富豪になってやる。」

    彼には、目算がありました。

    安土桃山時代の日本では、茶道具として外国産の真壺が珍重されていました。
    その真壺は、飴釉が施され、茶を保存するのに適しています。

    助左衛門は、ルソンの町を歩いていました。 粗末な店構えの入り口に何かが置いてあります。

    それは、農民が種などを入れるための雑器でした・・・よく見ると、まさしくあの茶道具の壺です。

    「なんと、こんなところに・・・」

    全部で50個。
    助左衛門の胸は高鳴ります。

    通訳を介して、店主との交渉は、すぐに成立します。

    助左衛門は、「二束三文でお宝が買えた」と喜びます。
    店主は、「しめしめ、二倍の馬鹿高値で売れたわい。」とほくそ笑みます。

    ・・・・・・

    日本に帰った助左衛門は、豊臣秀吉に唐の傘、ロウソク、生きたジャコウジカを献上します。

    そして、秀吉に拝謁した助左衛門は、桐の箱に入ったルソン壺50個を披露します。
    二束三文で買ったことは、もちろん秘密です。

    「う〜む。これは、よき壺じゃ。」
    1594年、秀吉は、もっとも姿のよい三個を献上させ、残りの壺を西の丸に並べ、希望する大名に販売します。

    値段は千利休がつけた、と書いてある本もあります。

    ・・・六日後・・・

    全て完売。
    茶の湯は、大名同士の社交の場だったのです。

    当時、高価な茶道具を揃えることは、大名にとって必要不可欠でした。

    ルソン壺一個あたりの値段は、22両程度(1000万円弱?)といわれています。
    助左衛門は、奉行から代金をうけとり、たちまち富豪になります。

    ◆◆この噂は、堺の町に伝わります。◆◆
    ◆◆ 真似をする者が現われます。◆◆

    (参考)「秀吉の経済感覚」 脇田修著

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    (2003/9/9)
    ルソン壺(後編)

    ルソン壺の生まれ故郷は中国南部。そこから、ルソンまで運ばれたのでした。
    さらに日本に運ぶだけで、もともと安価な壺がお宝に化ける。

    商人たちが、見過ごすはずがありません。 彼らは、ルソン壺の輸入をはじめます。

    豊臣秀吉は、すぐにこの事実に気がつきます。
    自分が、大名に勧めた手前、壺の価格が暴落するのは、まずい。

    そんなことになれば、太閤の権威が傷つきます。
    秀吉は、一計を巡らします。

    独裁者は、ルソン壺を独占しようとしたのです。 秀吉は安く出回ったルソン壺を強制的に無償で取上げます。 そして、莫大な金額を持ち主から徴収した後、ルソン壺を返します。

    「日本国の宝物をどうして安価に与えんや」と言ったそうです。
    巨額の関税をかけたのと同じ効果です。

    壺を日本に持ち込む商人は、いなくなり、日本国内のルソン壺の売値は、江戸時代まで維持されます。

    何でも鑑定団というTV番組にルソン壺が登場したことがあります。

    依頼人の父・謙次さん(63歳)は、座卓の製作および販売をしている。
    お宝は、そんな父が一年前、家族の相談無しに商品の600万円の座卓と取り換えたルソンの壺。
    家族は勝手に取り換えたことについて激怒。
    本人は最低でも1千万円以上と思っているが、家族は大損をしたと思っている。

    さて、その値段は?
    オープン・ザ・プライス・・・

    ◆◆ 500年も経た本物のルソン壺。◆◆
    ◆◆ 由緒ある大名の家宝。現在の評価は、1/100に暴落して、たったの10万円です。◆◆
    ◆◆バブル崩壊の戒め用に、床の間に飾りたいですね。◆◆

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    (フィクション2003/6/5)
    ニュートンと南海バブル株(前編)

    世の中の人が私をどう思っているのか知らないが、
    私自身は自分を、知られざる真理が果てしなく広がる大海のほんの海辺で、
    なめらかな小石や美しい貝殻をみつけて喜んでいる
    子どものようなものだと感じる。

    これは、万有引力とこの世を支配する「運動の法則」を発見した物理学者アイザック・ニュートンの謙遜の言葉です。
    しかし、アインシュタインの相対性理論のことを考えると、案外真実を含んだ言葉かもしれません。

    別の解釈も可能です。
    「知られざる真理」とは、物理法則以外のものを指しているのではないでしょうか。

    例えば・・・・

    ニュートンが、物理学の主論文「プリンキピア」を書き上げたのは44才のときです。
    彼は、この論文で、世界中の尊敬を集め、物理学会の頂点に君臨します。

    34年後、老齢のニュートンは、不思議な経済現象に遭遇します。
    1720年の初頭、南海会社という株が異常な高騰を示します(南海バブル株事件)。

    南海とは、南アメリカ大陸の海岸のことです。この会社は、イギリス政府によって、南アメリカ大陸との貿易の独占権が与えられていました。見返りに南海会社は、政府の負債の一部を引き受けました。

    当時イギリスの東インド会社が、目覚しい発展を遂げていたこともあり、連想から、この株の将来性を先取りして人気は急激に高まります。しかし、当時南アメリカ大陸は、スペインが支配していました。

    つまり、南海株は、将来収益の見通しが全く立たないのにもかかわらず、バブルで高騰していたのです。

    ニュートンは、毎日南海株の価格の動きをノートに書き写していました。
    惑星の軌道でさえ予測できるのなら、株価の動きも分かるはず。

    天才ニュートンには、南海会社の価値以上の株価に押し上げられていることを見抜いていました。 しかし、愚かな人間がつける株価の予測をするわけですから、関係ありません。株価さえ予測すれば十分なのです。

    投資家の希望が強まるにつれ、株価上昇のスピードは、少しずつ速くなっていきます。

    熱狂相場の初動です。
    株価が加速度運動している!

    ◆◆株価の高騰が当分続くことを確信したニュートンは、◆◆
    ◆◆ある日南海株を大量に仕込みます。◆◆

    ◆◆ 明日は休み。この続きは、明後日発表します。◆◆

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    (フィクション2003/6/7)
    ニュートンと南海バブル株(後編)

    ニュートンにとって、南海株を保有していた時期は、幸福な毎日でした。 毎日100ポンドの利益が、働かないでも生み出されていきます。

    1720年春になると南海株は、1月と比べて3倍以上に値上がりします。
    株価は、もみ合いに・・・

    ニュートンの相場理論は、危険信号を発します。
    いまだ!売りだ!

    全株を売り抜けたニュートンは、7000ポンドの儲けを手中に収めます。
    株価は、読みどおり、反落します。

    しかし、それは、ふるい落しでした。

    一割ほど下がり調整を終了すると、ニュートンをあざ笑うかのごとく、株価は暴騰を再開したのです。 6月株価は、ニュートンが売った価格の2倍以上に値上がりします。

    「あの日売ったのは、間違いだった。」とニュートンは後悔します。

    退屈な日々が続く中・・・ニュートンは、夢を見ます。

    「もう一度、南海株を買いなさい」
    と天使が美しい横顔を見せながら、誘惑します。

    天使の誘惑に負けたニュートンは、南海株を再び購入します。最初に投資した金額の10倍が必要でした。
    興奮の一日が経過すると1000ポンドの儲け。再び、幸福な日が続きます。

    株価の運動には迷いがありません。ニュートンの計算では、当分の間、上昇を続けるでしょう。

    ある日、横顔の天使がこちらを振向きます。
    その顔の左半分が初めて姿を現します・・・・醜い老婆の骸骨。

    その日、南海バブル株は崩壊します。
    恐怖と絶望が市場を支配します。
    全てのホールダーは売りたがり、 買い手は、まったく存在しません。

    惑星の動きは連続的に変化しますが、人の心は不連続に豹変するのです。

    株価は、出来高が零のまま、崩壊します。

    ニュートンが、ようやく売却できた時、その損失は20,000ポンドに達しました。
    最後にニュートンの感想を紹介しましょう。

    ◆◆自分は天体の運動を測定することはできるが、◆◆
    ◆◆人間の心理の愚かな動きは測定できない。◆◆

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