■J_Coffeeの徒然草(12巻)■

---目次---
  • 株主代表訴訟が恐い
  • ムーディーズの歴史とダイエーの命運(前編)
  • ムーディーズの歴史とダイエーの命運(後編)
  • 高金利時代とスワップの起源(前編)
  • 高金利時代とスワップの起源(後編)
  • オプションで340億円損した慶大教授
  • 棋士・米長邦雄の挑戦(前編)

  • (2001/8/31)
    株主代表訴訟が恐い

    昔は、株主代表訴訟を起こすのには、何億円もの費用がかかりました。

    訴訟に勝っても、被告の取締役が会社に損害賠償を支払うだけで、原告株主は、直接的には、ほとんど利益になりません。 従って、株主代表訴訟は、有名無実でほとんど行われなかったのです。

    株主総会は形骸化し、法律上は取締役を監視するはずの監査役も機能していません。

    ところが、1993年10月、商法が改正され、
    株主代表訴訟の費用が一律8200円になり、状況は一変します。


    以前に、大和銀行、井口俊英の11億ドル損失事件についてご紹介しました。

    この事件で、井口が投機の失敗を頭取に手紙で知らせたのにもかかわらず、経営陣はアメリカFRBに嘘の報告をしました。 この違法行為の結果、340億円の賠償金を払った上、大和銀行はアメリカから追い出されます。

    さて、関係した11人の大和銀行の役員が株主代表訴訟で訴えられます。

    2000年9月20日、大阪地裁で、驚くべき判決が言い渡されます。

    大和銀行の11人の役員に対して、なんと
    総額7億7500万ドル(約829億円)の損害賠償が言い渡されです。


    もちろん、11人は控訴します。
    裁判費用は、個人負担で大和銀行は面倒をみません。

    判決には、仮執行条件がつけられました。
    つまり、11人の自宅や給料が、高裁の判決前に差し押さえられる可能性がありました。

    11人は、約8億3000万円を必至にかき集め、供託して仮執行を停止してもらいます。
    さすがにちょっと気の毒に感じます。

    この事件は、「株主代表訴訟の乱用を制限させよう」ということで、財界を団結させたようです。
    現在、この方向で、商法改正が進みつつあるようです。

    ◆◆もし、特殊法人が、株式会社になったら、◆◆
    ◆◆トップは間違いなく株主代表訴訟で集中攻撃されますね。◆◆

    ◆◆ 各省庁の事務次官や特殊法人の理事長を訴える制度がないのは不公平です。◆◆
    ◆◆ 特殊法人の民営化は、こうした観点からも絶対必要です。◆◆

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    (2001/9/25)
    ムーディーズの歴史と
    ダイエーの命運(前編)

    ムーディーズは、S&Pとともに最も権威ある民間の格付け会社です。

    同社は、1900年、創業者ジョン・ムーディーズによってアメリカで産声をあげました。 アメリカの鉄道会社は、多額の資金を社債発行によって集める必要がありましたが、高い金利を出しても投資家がなかなか信用しません。

    ジョン・ムーディーズは、鉄道会社の未公開の情報を徹底的に調べて、信用度をわかりやすく記号で評価したのです。 投資家達は、安心して鉄道会社の社債を購入できるようになります。

    そして、同社は、鉄道会社だけでなく、主要な会社や地方公共団体の格付けも行うようになります。

    ムーディーズに対する信頼が飛躍的に高まったのは、1930年代の世界大恐慌の時です。
    この時代、全債券のなんと3分の1が債務不履行になりました。


    同社が、「投機的と判断した債券」のデフォルト率は、ほぼ100%となったのです。
    そして、「投資適格と判断した債券」は、ほとんど無事でした。

    今日では、ムーディーズは、約1500人の社員を擁しており、格付けを行っている企業や機関の数は、5000社に達します。

    日本の国債ですら、同社の審査を受けているのです。
    同社の判断で、国債は暴落、金利は高騰、円は暴落という危機的な事態が、将来起こるかもしれません。

    さて、今日の後場、日本一の売上げを誇るスーパー・ダイエーが、突然100円に暴落しました。

    ダイエー2001/9/25

    9月21日夕刻、ムーディーズが ダイエーの格付けを2段階引き下げてCaa1にしたことが、この暴落と関係あることは間違いありません。

    ◆◆Caa1とは、いったい何を意味するのか?◆◆
    ◆◆過去どんな似た例があるのか?◆◆
    ◆◆ 続きは、明後日発表します。(明日は、仕事で休みます)◆◆

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    (2001/9/27)
    ムーディーズの歴史と
    ダイエーの命運(後編)

    ムーディーズの格付け一覧は、次のとおりです。

    上に行くほど、倒産しにくい健全な企業です。それぞれの格付けにあてはまる企業を一つだけ例示しました。 Baa3以上が投資適格Ba1以下が投機的格付けとなっていることは、ぜひ記憶すべきだと思います。

    格付け一覧(2001年9月1日)
    投資適格 Aaa なし?
    Aa1 NTT
    Aa2 東京電力
    Aa3 静岡銀行
    A1 七十七銀行
    A2 東京三菱銀行
    A3 みずほホールディング
    Baa1 西松建設
    Baa2 大林組
    Baa3 清水建設
    投機的 Ba1 大成建設
    Ba2 コスモ石油
    Ba3 エス・バイ・エル
    B1 大王製紙
    B2 兼松
    B3 セガ
    Caa1 ダイエー(9/21)
    Caa2 *
    Caa3 *
    Ca1 *
    Ca2 *
    Ca3 *
    C1 *
    C2 *
    C3 *

    さて、ムーディーズの会社案内によれば、Ba以下に格付けされた企業が、5年以内に倒産する確率は25%になるそうです。

    現実には、アルファベットのCがつく格付けは、生きている会社には、ほとんどつけられません。
    したがって、ダイエーが格下げされたこのCaa1という格付けは、極めて珍しいものです。


    例えば、山一證券が大変参考になります。1997年11月21日、ムーディーズは、2600億円の簿外の飛ばしが発覚した同社を、4段階下げてCaa1としました。 そして、3日後の11月24日、山一證券の野沢社長は、記者会見で自主廃業を発表します。

    また、北海道拓殖銀行が倒産した後、子会社の拓銀ファイナンスにつけられた格付けがCaa1でした。

    まさに死刑宣告
    ダイエーが、抗議するのもわかります。

    同社の名誉のために、S&Pが格付けで失敗した話を最後に紹介しましょう。

    1994年12月、デリバティブの失敗で、カリフォルニア州オレンジ郡が破産します。
    オレンジ郡の地方債に対するS&Pによる格付けは、なんとトヨタやNTT並みのAAでした。


    ◆◆デタラメな、審査ですね。◆◆
    ◆◆ 外国の格付け会社の死刑宣告にも、間違いがあるかもしれませんね。◆◆

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    (2001/10/4)
    高金利時代とスワップの起源(前編)

    イラン革命を契機に起こった1979年の第二次石油危機のときは、3ヶ月ごとに原油価格が上がりました。 原油が上がりだすと、インフレが起きます。これを日銀が防ごうとするために、高金利時代が訪れます。

    つまり、政策的に金利を上げて、物への投機を抑制しようとするのです。

    次の表は、第二次石油危機の前後の公定歩合の推移です。

    日付 公定歩合
    1979年 4月17日 4.25%
    7月24日 5.25%
    11月 2日 6.25%
    1980年 2月19日 7.25%
    3月19日 9%
    8月20日 8.25%

    1980年3月19日には、公定歩合は9%にも達します。この金利水準は、第一次石油ショックのあった1973年〜75年のときと同じです。 私の経験の範囲では、この二つの時代が史上最大の高金利です。

    また、イラクのクウェート侵攻のあった1990年秋も、原油高騰不安と三重野総裁の判断の誤り(いわゆるバブル潰し)から公定歩合6%の高金利時代を迎えます。

    これら高金利は、いずれも長くは続かず、インフレも直ぐに収まっています。

    したがって、この時に金利水準が下がるのを見定めてから、
    金利固定の長期預金(10年物国債、10年の定額預金、5年物ワイドなど)を
    駆け込みでした人は、低金利時代に高額の金利収入を得て成功しています。



    次回も成功するとは、限りませんが・・・

    さて、この高金利は、日本だけでなく世界的なものでした。
    むしろ、世界中が高金利なので、日本も追随せざるを得ないのです。

    アメリカは、当時FF金利に許容範囲をもうけていましたが、1980年3月には、この範囲は13%〜20%もの高水準になります。

    1980年、アメリカでは、高金利の影響で、住宅ローンを専門にする貯蓄貸付組合が、数多く破綻しています。

    ◆◆貯蓄貸付組合は、高金利時代に、何故破綻したのか?◆◆
    ◆◆ そして、組合を救済するために編み出された、金利スワップとは何か?◆◆
    ◆◆ この続きは、明日発表します。◆◆

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    (2001/10/5)
    高金利時代とスワップの起源(後編)

    貯蓄貸付組合(S&L)の一部のオーナーは、不動産投機家と癒着し、不動産の値上がりを前提とした貸し付けを行っていました。 これらの資金は、不動産の暴落から不良債権になってしまいます。

    しかし、S&Lが破綻した原因は、これらの詐欺的に貸し出された不良債権(全体の10〜15%)による影響は大きくないと言われています。

    むしろ、預金と貸し出しの逆ザヤのほうが深刻でした。

    貯蓄貸付組合の住宅ローンは、20〜30年の長期間にわたり、例えば10%の固定金利で貸し付けられてます。
    資金のほうは、貯蓄貸付組合が6ヶ月ごとの変動金利で集めた預金で賄います。

    通常は、短期の金利は、長期金利を超えません。
    ところが、1980年、ボルカーの高金利政策で、6ヶ月の預金金利は、20%を超えてしまいます。
    住宅ローンの方は、新規のものは少なく、10%のままです。

    当然、大幅な逆ザヤです。しかし、よく考えてみると、こんな異常事態は、長く続く筈ありません。

    そこで、A銀行がS&Lの救済策として考え出したのが、金利スワップです。

    すなわち、A銀行は20年にわたり、S&Lに変動金利(6ヶ月の預金金利)を支払います。
    そして、S&Lは20年にわたり、銀行に9%の固定金利を支払います。
    簡単にいうと、固定金利と変動金利の差を受け渡す契約を両者で結んだのです。


    S&Lは、逆ザヤから逃れ、1%の確実な利益を20年間確保できました。 銀行のほうは、当面は持ち出しです。しかし、異常な高金利が解消すれば、大幅な金利差を受け取る楽しみがあります。

    どちらが、得かは、20年経たないとわかりません。

    また、A銀行がB銀行に対して、変動金利(6ヶ月の預金金利)を受け取り、8%の固定金利を支払うスワップを行ったとします。 するとA銀行は、二つの契約でリスクなしで毎年1%利益をあげられます。

    これが、デリバティブの一つの形態、スワップの起源といわれています。

    その後、スワップは、原油(時価と固定価格)、株価指数(株価指数値下がり率と金利)など、あらゆる取引に使われるようになったそうです。

    ともかくも、金利スワップで救済されたS&Lは、多かったそうです。
    それにひきかえ、公的債権回収機構(RTC)による救済は、S&Lの資産を安値で投売りしたため、多額の資金を使ったのに、救済されたS&Lは、一つもなかったといわれています。

    ◆◆わが国の銀行の救済策を考えるうえでも、参考になります。◆◆

    (参考文献)「デリバティブ世界を散歩する」 清水正俊著  四熊ブックス

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    (2001/10/6)
    オプションで340億円損した
    慶大教授

    機械を空気で動かす時に、エアーシリンダーという汎用部品が必要です。 SMC(東証一部)という会社は、エアーシリンダーの国内シェア5割、世界シェア2割を誇る、売上げ2000億円の優良企業です。

    さて、O氏(55歳)は、その創業者の長男です。
    彼は、東京大学法学部を卒業後、自治省に一時勤務した後、慶応大学助手を経て、経済学部の教授となりました。

    O氏は、SMCの株200万株(時価約340億円)を保有する資産管理会社の社長でもあります。
    彼は頭が良いようで、大金持ちのボンボンだったようです。

    O氏は、3年前から、SMCの株を担保に日経平均225のオプション取引にのめり込みます。
    エース証券の営業マンの言葉巧みな誘いに乗ってしまったようです。
    最初は、順調だったようです。

    2000年6月、営業マンは40億円の損が出たことをO氏に告げます。

    その後も、損失は増え続け、ついに340億円分のSMC株がエース証券によって処分されてしまいます。

    営業マンは、この取引の実績のおかげで、
    都心の億ションを購入できたそうです。

    頭にきたO氏は、エース証券と大阪証券取引所に対して、339億円の損害賠償をするようにと告訴します。
    安全かつ確実に儲かると営業マンから勧められ、騙されたというのです。

    後者を訴えたのは、「個人であるO氏のオプションのシェアが2割にも達するのに、大阪証券取引所が気づかずエース証券への監督責任を怠った」という論理です。

    しかし、これが事実なら、慶大の経済学部教授ってレベルが低いですね。
    これでは、豊田商事に騙された、寂しがりやのお年寄りとかわりません。

    こんなことは、ちょっと信じられませんね。

    彼のゼミでは、デリバティブ(金融派生商品)がテーマとして取り上げられたこともあります。
    講義では、専門の経済政策の他に、オプション取引が教えられたこともあるようです(OゼミのOBの話)。

    「相場を張ったけど、思惑が外れ資産を失った」でいいじゃないですか。
    私学の雄、慶応大学の学生やOBのためにも、もっと男らしく諦めて欲しいと思います。


    ◆◆お金持ちの皆さん、証券会社の営業マンの甘い言葉には、気をつけましょう。◆◆

    (参考文献)週刊新潮 2001年10月11日号

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    (2001/10/15)
    棋士・米長邦雄の挑戦
    (前編)

    私の子供の時の趣味は、将棋です。大山名人、中原名人の全盛時代に、特に熱中していました。

    私の将棋の相手は父親で、なかなか勝てませんでした。くやしさをエネルギーに本やテレビで研究を続けました。

    初対戦から数年間後、平手で初めて父に完勝したときのことは、忘れられません。

    最近は、羽生名人時代だそうですが、忙しくて将棋は、ほとんど指さなくなりました。

    さて、中原さんと同年代の棋士に米長邦雄さんという棋士がいます。
    米長さんは、さわやか流と呼ばれる棋風で、A級在位(10人しかいない)を二十数年間も維持した天才です。

    しかし、宿命のライバル中原誠に阻まれるせいか、あまりタイトルに恵まれません。
    特に、名人戦は、6度挑戦して、6度敗れました。

    大山に勝てない升田、関根に勝てない坂田三吉、敗れ去ったほうの人物に、私は、妙に興味があります。

    ところで、株を取引する人は、将棋、囲碁、麻雀などが好きな人が多いようです。

    実は米長さんも、株式投資に熱中したことがあります。
    江戸時代の相場の神様本間宗久の秘録を読み、相場の奥義を極めたと思ったことがきっかけだそうです。

    米長さんは、「株の極意」(サンマーク出版)という本まで書いています。
    私も、本屋で少し立ち読みしたことがありますが、中身がどうしても思い出せませんね。

    将棋のプロは、頭脳労働には、絶対の自信があるようです。
    米長さんは、現物取引だけでは、物足りなくなり、信用取引に手を出します。

    対局料の何倍も、効率よく儲かります。
    米長さんは、家と土地を担保に金を借りて、大きな勝負に出ます。

    しかし、思惑は見事に外れて、大損害が生じます。
    6ヶ月後の信用取引の期限は、刻一刻と迫ってきます。
    毎日損失が大きくなりますが、金を返すあてもありません。

    ◆◆このままでは、家を取られてしまいます。◆◆
    ◆◆ さあ、どうなるか?◆◆
    ◆◆ この続きは、明日発表します。◆◆

    (参考文献)「将棋界奇々快々」 河口俊彦著  NHK出版

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