■J_Coffeeの徒然草(8巻)■

---目次---
  • フィンランドの大学生のマイクロソフトへの挑戦
  • オラクルを創業したプレーボーイ(前編)
  • オラクルを創業したプレーボーイ(後編)
  • 豪農、伊藤家の決断(前編)
  • 豪農、伊藤家の決断(後編)
  • ホープ・ダイヤモンドの呪い(前編)
  • ホープ・ダイヤモンドの呪い(中編)
  • ホープ・ダイヤモンドの呪い(後編)

  • (2001/4/9)
    フィンランドの大学生の
    マイクロソフトへの挑戦

    フィンランドのヘルシンキ大学の学生、Linus Torvaldsは、一人でこつこつとUNIXシステムのOSを作成していました。 そして、あることを思いつきます。

    彼は、自慢のソフトについて、他のプログラマーの意見を、単に聞きたかっただけだったのです。

    それは、1991年10月5日のことです。

    まだ、よちよち歩きの赤ん坊のようなLinuxのソースコードを、
    彼はインターネットで公開します。

    当時のインターネットは、大学や研究者のコミュニティでした。

    それから、3〜4ヵ月後

    驚くべきことが、起こります。世界中で100人以上のエンジニアが、Linuxを使用していたのです。

    Linuxは、無料でダウンロードできます。コピーをしてもウィンドウズのように海賊版として摘発されません。再配布も自由なのです。おまけに、すべての情報が公開されていたので、開発しやすかったのです。

    オープンソースという開発手法が、魔力を発揮し出します。
    多様な分野のユーザーの英知が、Linuxのソースコードを目覚しいスピードで進化させ始めたのです。

    Linuxソースコードは、自然に発生した協力者のニーズを集めて、増殖し続けます。今日では、Linuxは多くの製品に使用されるようになっています。 やがて、ディストリビューションと呼ばれるパッケージ化されたソフトが生まれます。
    Linuxカーネル(中枢部分)、ネットワークサポート、多くのユーティリティプログラム、開発用ソフトなどがパッケージになったのです。

    Linus Torvaldsは、一日中、パソコンに向かっているのが好きな、シャイな技術者です。
    一方の巨人マイクロソフトのビル・ゲイツは、技術に強くても、ライバルを完膚なきまでに叩くのが得意な経営者。

    この二人の勝負が決着するまでに、かなりの時間がかかりそうです。

    ◆◆しかし、まだ小学三年生のLinuxは、やがて、猛スピードで進化して、◆◆
    ◆◆巨人ウィンドウズを倒す日が訪れるのでは、ないでしょうか?◆◆

    ◆◆ 「ソフトはただ」という昔の日本人の考え方は◆◆
    ◆◆案外正しいのかもしれません。◆◆

    (参考HP)日本の Linux 情報

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    (2001/5/21)
    オラクルを創業した
    プレーボーイ(前編)

    マンハッタンのユダヤ人街で19歳の未婚の母が、かわいい男の子を出産します。

    生後9ヶ月、赤ちゃんは肺炎にかかります。赤ちゃんの看病をしては、収入がなくなります。
    若い母は、悲しみを押し殺して、赤ちゃんを叔母の嫁ぎ先エリソン家のもとに、養子に出します。

    エリソンは、ロシア系ユダヤ人の養父と不仲でした。
    子供時代のエリソンは、養父という火にあぶられて鍛えられていきます。

    やがて、赤ちゃんは、魅力ある野心家に育ち、ベンチャー企業を興します。彼が、オラクルの創業者、ラリー・エリソンなのです。

    彼の創業したオラクルは、マイクロソフトに次いで世界第二位のソフトウェア会社に成長します。

    敷地2万8000坪の彼の豪邸は、禅僧が設計した日本風の建物です。彼の二隻のヨットの名は、「サクラ号」と「サヨナラ号」。彼は、日本びいきです。しかし、彼には、もっと好きなものがあります。

    ブロンドで足の長い、スタンフォード卒業の美人に、彼は、めっぽう弱いのです。
    彼は、3度の離婚を経験しています。

    彼は、全米第十位、500億ドルの資産家です。

    何故、彼が幸運をつかめたのか?その話に入りましょう。
    それは、IBMの失敗に原因があるのです。

    マイクロソフトのMS-DOSとオラクルのリレーショナルデータベース
    この二つの宝物をIBMは、逃がしてしまったのです。

    1970年のことです。IBMは、データを管理する画期的な手法を考案します。
    それは、顧客がいくつかの質問に答えれば、該当するデータが自動的に取り出されるというシステムです。顧客は、データがどのように処理されるか知らなくても良いのです。

    ◆◆後に、このシステムは、リレーショナルデータベース◆◆
    ◆◆と呼ばれるようになります。◆◆
    ◆◆ この続きは、明日発表します。◆◆

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    (2001/5/22)
    オラクルを創業した
    プレーボーイ(後編)

    1976年IBMは、決定的なミスを犯します。実用ソフトの完成を待たずに、リレーショナル・データベースの命令言語(SQL)をいくつかの技術雑誌に公表してしまったのです。

    この頃、エリソンは、アンペックスという会社でCIAのデータベースをつくる仕事を計画していました。彼は、同僚のマイナーとオーツと供に、このIBMの言語の重要性に気がつきます。

    三人は、良いことを思いつきます。アンペックスに儲けさせるのは、馬鹿げている。
    1977年夏、同社を退社したエリソンは、サンタクララに新会社を設立します。

    エリソンが1200ドル(60%)、マイナーとオーツが400ドルづつを出資しました。

    果たして、巨人IBMよりも早く実用ソフトができるかどうか?
    死に物狂いの数ヶ月が経ちました。

    そして、ミニコンピュータで使用する、実用リレーショナル・データベースソフトが、ついに完成します。
    エリソンは、この夢のソフトにオラクル(神託という意味)と名づけます。

    オハイオ州のライトパターン空軍基地、カリフォルニア州サンディエゴの海軍情報部が、オラクルを買い上げます。

    そして、ついにCIAがオラクルを採用します。
    マイナーとオーツがつくり、エリソンが売り込んだのです。

    本家IBMは、このソフトの重要性を認識しておらず、同社が実用リレーショナル・データベースソフトを販売したのは5年後の1982年でした。完全な手遅れです。

    オラクルは、次第に改良され、メインフレームでもPCでも使えるようになります。オラクルのデータベースは、業界標準になり、100万部を売り上げました。

    1986年3月12日、オラクルは、株式公開を果たします。初値は、15ドル、エリソンは、9350万ドルの資産を手中に収めます。 1990年、オラクルは、従業員5000人、9億7000万人の規模になります。

    ◆◆オラクルのソフトは、世界中の大企業が採用しています。◆◆
    ◆◆ エリソンは、仕事だけの男ではありません。◆◆

    ◆◆今日も自慢のヨットの舵輪を握り、◆◆
    ◆◆カリブ海で美女とクルージングを楽しんでいるのです。◆◆

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    (2001/6/18)
    豪農、伊藤家の決断(前編)

    新潟県蒲原平野の阿賀野川の側の村に、「豪農の館」があります。ここは、戦前日本第二位の大地主、伊藤家の本宅でした。(ちなみに、第一位は、相場師・本間宗久 を生んだ酒田の本間家です。)

    敷地8800坪、建坪1200坪、部屋数は65もあり、古代エジプトやペルシャの美術工芸品は、そこら辺の美術館よりも充実しています。

    新発田市の名が示すように、このあたりの農地は、江戸時代に開拓されました。
    せっかく開発された農地も、阿賀野川の氾濫で冠水することが多かったのです。

    伊藤家は、宝暦年間(1751〜64)本家から一町ニ反歩をもらって独立した分家でした。
    金融業を副業とすることで力を蓄えていったのです。

    しかし、豪農伊藤家が急成長したのは、明治に入ってからです。
    5代目当主伊藤文吉とその妻キイの時代のことです。

    幕末から明治の初めの動乱期に、放置される農地が増えます。さらに、農地の冠水と不作が続き、食べ物さえない貧しい農民を大量に生み出します。

    キイは、浄土真宗を篤く信仰していました。
    金融業者として、困った人々を無視できなかったのです。

    もちろん、農地を担保にとりましたが、金を返せるはずがありません。
    金を借りた者は、喜んで伊藤家の小作人になりました。

    農地を売りたいという者も、続出します。
    どうせ、洪水が定期的にやってくる悪田です。
    全然、惜しくありません。

    あまりに、多くの土地を貧しい農民から買ったため、伊藤家は資金不足に陥ります。 宗教的な使命感から、キイは庄屋の田巻家に多額の金を借りて、貧しい農民への融資を続けます。

    伊藤家は、自分自身が資金繰りに苦しむようになります。

    ◆◆来年、田巻家への支払いが滞ると、◆◆
    ◆◆せっかく買った農地を安値で取られてしまいます。◆◆

    ◆◆ ところが、伊藤家に、突然、神風が吹いたのです。◆◆
    ◆◆この続きは、明日発表します。◆◆

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    (2001/6/19)
    豪農、伊藤家の決断(後編)

    士族の不満は、頂点に達し、西郷隆盛の下に結集します。
    明治10年(1877年)西南戦争が勃発します。
    この内乱が7ヶ月で鎮圧されると、反対勢力は一掃され、明治政府の基盤は安定します。

    いよいよ近代国家への国づくりが、始まります。

    そして、阿賀野川の治水工事が実施されます。
    資金繰りに困っていた伊藤家の農地にも、農業用の排水設備が完成します。

    冠水が絶えなかった悪田が、今日のコシヒカリで有名な、「日本一の米どころ」によみがえったのです。

    それは、キイの決断に対する成果でした。

    莫大な収入を得て、借金はすべて返済されます。
    そして、さらに土地の購入を進めます。

    伊藤家の田畑は、1372町歩(=13720反=412万坪=1358万u)に達します。
    伊藤家は、弥彦神社まで他人の土地を通らずにいける、といわれるほどの大地主となります。

    伊藤家の収穫は、6万俵にも達したそうです。2800人の小作人が半分の3万俵を分けて、伊藤家は残りの3万俵を独り占めします。

    莫大な富の力で、贅をつくした邸宅が建築されます。

    ・・・・・

    時が流れ、7代目の当主の時代となります。

    1945年8月15日、玉音放送が流れ、日本の敗戦が決定します。
    GHQ(アメリカ占領軍)の政策は、三つの柱がありました。

    財閥解体、労働三法、そして農地解放です。
    一片のGHQ指令が、一瞬のうちに伊藤家の運命を暗転させます。

    民主的な農村をつくるため、1372町歩の農地は、すべて伊藤家から取り上げられ、2800人の小作人に分け与えられたのです。

    小作人は喜びますが、伊藤家には、本宅と山林しか残りません。

    ◆◆すっかり落胆した7代目は、◆◆
    ◆◆本宅を博物館として開放する決心をします。◆◆
    ◆◆ 今日の「豪農の館」の誕生です。◆◆

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    (2001/6/25)
    ホープ・ダイヤモンドの呪い(前編)

    映画「タイタニック」でヒロインのローズは、青いダイヤのネックレスを海に捨てました。

    実は、この宝石には、実在のモデルがあります。

    そして、この青いダイヤにまつわる話は、何処までが本当で何処までが作り話か、
    よく分かりません。・・・有名な呪いのダイヤの話。

    ・・・・・・・・・・・・・・・

    旅行家としても著明な、宝石商タベルニエは、インドの神像の額を食い入るように見つめていました。 そこには、100カラット以上の青いダイヤモンドの原石が象嵌されていたのです。

    彼は、宝石の魅力に逆らうことができません。

    その日の夜、彼は僧侶を縛り上げ、神像の額をナイフでえぐり、
    青いダイヤを強奪して、フランスに持ち帰ります。

    そして、1669年、タベルニエは、青いダイヤをフランスの太陽王ルイ14世に売却します。

    しかし、発見者タベルニエは、青いダイヤの最初の犠牲者になります。
    ロシアを旅行中、狼の群れに襲われ、八つ裂きにされてしまいます。

    ルイ14世は、巨大なダイヤが気に入り、TOISON D'OR という名をつけ愛用します。
    ダイヤは、ハート型(68.8カラット)にカットされ、燦然と輝きます。

    しかし、ダイヤは王にも不幸をもたらします。
    「朕は国家なり」といって、栄華を極めたルイ14世が、1715年、突然天然痘にかかり亡くなります。

    青いダイヤは、ブルボン王朝の宝物の一つになります。

    ・・・・・・・・・・・・・・・

    そして、月日は流れ、ルイ16世の時代となります。
    マリー・アントアネットは、ハプスブルグ家からブルボン家に嫁いだ王妃です。

    彼女は、TOISON D'ORを手のひらにのせ、太陽光に当てるのが好きでした。
    この世のものとは思えない、透明な青い光が煌いたのです。

    彼女は、両親の愛情を一身に受けて、何不自由なく育った我がままな浪費家でした。

    しかし、イギリスへの対抗意識から、アメリカ独立戦争を援助したことにより、フランスの財政は逼迫します。
    その上、飢饉が続き、フランス国民は窮乏します。

    マリー・アントアネットは、ベルサイユ宮殿での贅沢三昧な暮らしをやめません。 足りない金は、増税でまかなったのです。彼女は、「赤字夫人」と呼ばれます。

    1789年7月14日、パリの民衆は、圧制の象徴バスチーユを襲います。(フランス革命始まる)

    そして、10月、女性を中心とする群衆がベルサイユ宮殿に押しかけます。 ルイ16世とマリー・アントアネットは、ベルサイユ宮殿を追い出され、チュイルリー宮殿に移ります。

    飢えた民衆を見て、マリー・アントアネットは、こういったそうです。

    ◆◆「まあ!パンがないのならケーキを食べればいいのに」◆◆
    ◆◆ しかし、彼女の本当の不幸は、この四年後に訪れたのです。◆◆
    ◆◆ この続きは、明日発表します。◆◆

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    (2001/6/26)
    ホープ・ダイヤモンドの呪い(中編)

    マリー・アントアネットには、信頼できる恋人がいました。
    男らしく、誠実で、頼りがいのあるスウェーデン貴族フェルセンです。

    次第に、王権が制限されていくなか、マリー・アントアネットは、国王一家を連れて、生まれ故郷オーストリアに逃亡することを夢見るようになります。

    1791年6月20日、フェルセンの全面的な協力で、国王一家を乗せた馬車はパリ脱出に成功します。

    母マリア・テレジア女王の国、オーストリアへと、馬車は全速力で疾駆します。

    国境まで、後わずか50km。

    無情にも、バレンヌで国王一家は、逮捕されます(バレンヌ事件)。
    立派過ぎた馬車が災いしました。 そして、人民の敵としてパリに連れ戻されます。

    この事件で、国王一家への風当たりは、決定的に悪くなります。
    92年8月、王権は剥奪され、居住地はタンプル塔に移されます。そして、裁判により380対310で、国王の死刑が確定します。 1793年1月21日、ルイ16世は、処刑されます。

    そして、同年10月マリー・アントアネットにも、死刑の宣告が下されます。
    国家の富を浪費した罪でした。

    彼女は、荷車に載せられて、ギロチン台に運ばれます。沿道には、パリ中の人が見物にきます。

    泣きたくなる気持ちを必死に抑え、ハプスブルグ家の娘、
    ルイ16世の王妃として振舞わなければなりません。

    彼女は、背筋を伸ばし、毅然とした態度で臨みます。

    まだ、37歳、ブロンドの髪、青い瞳、透き通るような肌。
    彼女の美貌は、輝いていたそうです。
    指には、フェルセン家の紋章の入った指輪。

    断頭台の準備完了。
    ギロチンの刃が、自然落下を開始します・・・・

    ◆◆その瞬間、彼女は、妖しい透明な青い光を感じます。◆◆
    ◆◆ 懐かしい、何処かで見た青い煌きを・・・・◆◆

    ◆◆ さて、ダイヤの呪いは、まだ続きます。◆◆

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    (2001/6/27)
    ホープ・ダイヤモンドの呪い(後編)

    ホープダイヤモンド

    青いダイヤは、フランス革命後、一時行方不明となりますが、30年後にオランダの宝石研磨師のもとに現われます。

    彼は、ダイヤを再カットし、45.52カラットの現在の形にします。

    左のダイヤは、タイタニックの映画に出てきたものと似ているでしょう。



    やがて、ロンドンの銀行家、ホープ卿がダイヤを買い取り、家宝にします。ホープダイヤモンドは、彼の名に由来します。 しかし、オランダの宝石研磨師もホープ家も没落して、多くのものが非業の最期を遂げます。

    その後も、ロシアの皇子、女優、オスマントルコの王、ワシントンポストのオーナーの一族と所有者が変るごとに、ホープダイヤモンドは、不幸をもたらします。

    この間の話は、割愛させていただきます。

    いつしか、ホープダイヤモンドの不吉な伝説は、有名になります。

    そして、最後の所有者は、ハリー・ウィンストンという宝石商です。

    彼は、困り果てます。

    呪いの伝説が有名になり、ダイヤを買う顧客がいません。
    宣伝になると思って大金をはたいて、購入したのに、逆効果です。
    その上、呪いが自分に降りかかるかもしれません。

    ハリー・ウィンストンは、決断をします。

    1958年11月8日、彼は、スミソニアン博物館にホープダイヤモンドを寄贈します。
    このおかげか、彼は、天寿を全うします。

    さて、私が、本当に言いたいのは、これから先の話です。

    国立のスミソニアン博物館にホープダイヤモンドがあると言うことは、
    アメリカという国家がダイヤを所有しているということです。

    1958年は、アメリカの全盛期で、太陽王ルイ14世と共通です。
    ベトナム戦争、ニクソンショック、製造業の衰退、債務国への転落とアメリカの国力は長期的に下降気味です。

    ソ連が崩壊して、唯一の超大国になり、IT産業の発展で盛り返したものの、去年以降のナスダックのバブル崩壊と不況の深刻さは、先行き楽観を許しません。

    ◆◆そのうち、フランス革命のような事件が、起こるかも・・・?◆◆
    ◆◆ スミソニアン博物館で、ホープダイヤモンドは、◆◆
    ◆◆今日も妖しい透明な青い光で、観客を魅了しています。◆◆

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