■その時、株価はどう動いたか(3)■
日本ハムの牛肉偽装事件と株価の推移(後編) |
日本ハムは、牛肉偽装事件に絡み、当初は子会社の独断としていました。
しかし、12日の市場が開くまでに、本社を含む組織ぐるみの犯罪だったことが明らかになります。 8月12日、日本ハムは、大量の売り物を浴びます。ストップ安の825円、比例配分で、12,973,000 株の売りを残しました。
出来高は、1,254,000株ですが、かなりの部分は、空売りの買戻しでしょう。
今年の2月、本社の副社長と専務は、子会社から報告を受けていたのです。
日付 | 始値 | 高値 | 安値 | 終値 | 出来高 | 比例配分の売り残 | 貸株超過株数 | 逆日歩 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2002年8月6日 | 1,454 | 1,459 | 1,439 | 1,453 | 230,000 | 1,282,000 | 0.15(3日) | |
2002年8月7日 | ストップ安 | 売買成立せず | 1,257,000 | 0.05 | ||||
2002年8月8日 | 1,053 | 1,053 | 1,053 | 1,053(ストップ安) | 1,684,000(比例配分) | 12,330,000 | 1,909,000 | 0.05 |
2002年8月9日 | 993 | 1,003 | 903 | 925 | 26,792,000 | 5,546,000 | 0.05 | |
2002年8月12日 | 825 | 825 | 825 | 825(ストップ安) | 1,254,000(比例配分) | 12,973,000 | 3,452,000 | 0.05 |
2002年8月13日 | 785 | 808 | 741 | 777 | 41,792,000 | 10,803,000 | 2.4(3日) | |
2002年8月14日 | 807 | 829 | 799 | 808 | 26,565,000 | 10249000注意喚起銘柄へ | 0.05 | |
2002年8月15日 | 818 | 847 | 815 | 838 | 12,866,000 | 8209000 | 0.05 | |
2002年8月16日 | 858 | 870 | 844 | 865 | 9,529,000 |
さて、翌日の13日は、この相場の天王山。
ニュースにより、8月の日本ハムの売上が4割減となることが明らかになります。
売り方も、買い方も意気盛ん。
寄り付き前の板は、ストップ安。売りと買いの比率は、3対1です。
この程度の比率なら、今日は寄り付くはずです。
寄り付きは、大きく窓を開けて、40円安の785円でした。寄り付きの出来高は、なんと約600万株。
直ぐに、売りが優勢になり、741円まで、値下がりします。
この日の貸し株超過数は、前日の3,452,000 株から10,803,000株に増加します。
700万株以上の空売りが入ったかもしれません。
この日は、火曜日。3日分で2.4円の逆日歩がつきます。
しかし、買いの機運も次第に盛り上がります。 後場は、一転上昇トレンド。
出来高は、41,792,000株! 発行済株式数228,445,350株の18.3%が一日で取り引きされました。 |
終値は、777円。
売り方と買い方は、ほぼ互角の戦いぶりでした。
空前の出来高を伴い、上下に髭の出た、小さな黒星。
下降トレンドに出現したこの星は、転換点の象徴か?
◆◆後から考えると、この日の戦いは、買い方の大勝利でした。◆◆
◆◆
なぜなら、その後、株価は3日連続高。16日には、865円まで回復したのです。◆◆
フジタの上場廃止申請と 勇者達の報酬 |
その大事件は、9月3日の市場終了後、フジタが株価に影響を与える重大な事柄を発表したことがきっかけでした。
・・・・その内容とは、次のとおりです・・・・
フジタ <1806> は3日、普通株式の上場廃止を申請したと発表した。
10月1日予定の会社分割により、主要事業の建設事業は「新フジタ」に承継され、分割後の「旧フジタ」は不動産会社となる。
業務内容が大幅に変更されるため、現在の株式については上場廃止を申請した。新フジタ株式 <1725> は10月1日に東証二部に新規上場する。売買単位は100株。9月末現在の旧フジタの株主に対して1株につき0.2株新フジタの株式を割り当てる。
・・・・・・・・・・・・・
フジタは、日経平均採用銘柄でもあります。
日経の反応は、「監理ポストであるうちは採用銘柄として継続し、整理ポスト入りした場合には除外する。」というものでした。つまり、日経平均から除外されることは、時間の問題なのです。
さて、4日の市場が始まります。
フジタは、この日から監理ポストに移ります。
情報が錯綜する中、見切売りが殺到します。投信や裁定取引業者の売りを見越した先回り売りも多かったと思います。
100円未満の株の値幅制限は、30円。前日20円のフジタにとって、値幅制限はないに等しいのです。
約220万株の寄り付きについた株価は、なんとたったの6円。
実に、70%の暴落です。
・・・・そのわずか10分後・・・・
虎穴に入らずんば虎子を得ず。
寄り付きで買った勇者達は、大勝利を収めます。 フジタは、18円に暴騰。 10分間に3倍の値上がりです。 |
信じられない値動きです。
その後は、反落して、終値は、14円まで値下がりします。出来高は1164万株でした。しかし、この価格は結果から見ると高値でした。
翌5日、東証は、6日からフジタを整理ポストに移す、と発表します。
日経の発表を待たずに、6日には日経平均から外れることが確実になったのです。 除外日前日の5日から、投信売りがホールダーに襲い掛かります。この日の終値は11円でした。
日付 | 始値 | 高値 | 安値 | 終値 | 出来高 |
---|---|---|---|---|---|
2002年9月3日 | 20 | 21 | 20 | 20 | 957,000 |
2002年9月4日(発表直後) | 6 | 18 | 6 | 14 | 11,642,000 |
2002年9月5日(除外日前日) | 12 | 12 | 10 | 11 | 8,665,000 |
2002年9月6日(除外日) | 8 | 11 | 8 | 9 | 18,340,000 |
◆◆低位株特有のジェットコースター◆◆
◆◆似たケースが今後あれば、デイトレで勇者になりたいですね。◆◆
11%の株式をTOBしたら どうなるか(中外製薬) |
2002年に中外製薬を取り引きをされた方は、相当な勉強家だと思います。
中外製薬(東証一部)と日本ロッシュ(非上場)を合併させる方針が決まったのは、2002年春ごろでしょうか。
ロッシュが合併会社の親会社になるのです。
ところが、過半数までに、少し株が足りません。
過半数の株をロッシュが握る必要があるために、いろいろ珍しい現象が経験できたようです。
ロッシュグループは、中外製薬のTOB(3000万株、2800円)と第三者割り当て増資(2110万株、1780円)の引き受けを行ないました。
TOBは、正式には、8月15日に発表されています。
このときの中外製薬の株価は、1,218円でした。買い付け価格は、時価の2.3倍です。 9月20日に発表されたTOBの応募数は、最終的に264,699,322株に達しました。当選率は11.3%です。
寝耳に水の発表なら、株価は、
まで、値上がりするはずです。
ところが、高値のTOBは、すでに株価に折込済み。
8月16日の終値は、出来高こそ増えましたが、1245円(+27)でした。
日付 | 始値 | 高値 | 安値 | 終値 | 出来高 |
---|---|---|---|---|---|
2002年8月15日 | 1,220 | 1,225 | 1,216 | 1,218 | 570,200 |
2002年8月16日(TOBの正式発表直後) | 1,238 | 1,270 | 1,230 | 1,245 | 3,881,200 |
2002年9月12日 | 1,178 | 1,200 | 1,166 | 1,199 | 580,700 |
2002年9月13日(理論上の権利落ち日) | 1,219 | 1,219 | 1,178 | 1,200 | 686,600 |
2002年9月17日 | 1,192 | 1,220 | 1,180 | 1,198 | 264,000 |
2002年9月18日 | 1,190 | 1,197 | 1,186 | 1,193 | 138,600 |
2002年9月19日 | 1,197 | 1,210 | 1,195 | 1,204 | 215,200 |
2002年9月20日 | 1,200 | 1,220 | 1,200 | 1,207 | 1,161,200 |
2002年9月24日(現実の権利落ち日) | 1,007 | 1,020 | 1,007 | 1,015 | 1,787,000 |
さて、TOBが9月19日に終了します。権利落ちの境目は、いつか?
私は、9月12日が最終日、13日に暴落かなと予想していました。
ところが、いつまでたっても、暴落しません。
下がらないのかと思いきや、9月24日は朝から大暴落。
出来高は、1,787,000株の大商いでした。
終値は192円安の1015円。
株価は、方程式
を解いた答え1004円に、さや寄せされたのです。
24日は、TOBのために野村に集められた株が返却され、売れるようになる初日だと思います。
賢い方は、もっと前に空売りしたでしょう。
◆◆過去の話は、どうでもよいという方のために、最後に情報です。◆◆
◆◆
日本ロッシュとの合併に関連して、◆◆
◆◆9月30日は、19700万株の2.5%程度のTOPIX買いが期待できるようです。◆◆
◆◆
休み明けは、中外製薬のデイトレが、面白いかもしれません。◆◆
◆◆しかし、外れ株で、上値は重そうです。◆◆
ダイヤモンド・プリンセス号炎上と 三菱重工の株価 |
日本の造船業界は、韓国に追い上げられて、生き残りを賭けた競争しています。 日本最大の造船企業の三菱重工業の基本戦略は、船殻を造るだけのタンカーやばら積貨物船から、付加価値の高い客船やLNG運搬船にシフトすることのようです。
・・・2002年10月1日三菱重工業・長崎造船所・・・
英国から受注をした豪華客船ダイヤモンド・プリンス号(11万3000トン)は、5月に進水式を終え、内装工事の最中でした。 客室の75%に専用バルコニーがつく、贅沢なつくりでした。
午後5時50分頃、異常発生。
デッキ内船室から出火、瞬く間に燃え広がります。
消防車34台などが夜を徹して消火活動を遂行しますが、火は燃え続けます。 夜のニュースでも放映され、翌日の朝刊一面にこの事故は掲載されます。
・・・・10月2日、午前9時、株式市場が始まります。・・・・
さて、投資家は、どんな判断を下すのか?
寄り付きは、312円の10円安。この日の出来高は、1909万株の大商いでした。
10時4分、この客船の受注規模は、400億円と推定され、保険がかけられているとのニュース(ラジオたんぱ)が流れます。
このニュースに影響され、保険が過大評価されたために、株価は下がらなかったのでしょうか?
結果論ですが、このタイミングに空売りした人は、大いに報われます。
日付 | 始値 | 高値 | 安値 | 終値 | 出来高 |
---|---|---|---|---|---|
2002年10月1日 | 326 | 327 | 321 | 322 | 4,521,000 |
2002年10月2日(火災発生直後) | 312 | 313 | 303 | 304 | 19,090,000 |
2002年10月3日 | 294 | 294 | 280 | 282 | 24,811,000 |
19時間後。2日の後場に入ってまもなく、ダイヤモンド・プリンス号は、鎮火します。
この日は、ほぼ安値引けの304円(18円安)でした。
船体構造部と発動機は、使用できるかもしれません。しかし、デッキを作り直しても、船主は受け取らないかもしれません。後で建造する予定の姉妹船を含めて、契約をキャンセルされる可能性もあります。
さらに、7月の引渡し期限が遅れると毎日何千万円ものペナルティーがつきます。造船メーカーとしてのイメージダウンは、今後の受注活動にも影響するでしょう。
さて、翌日(10月2日)、事態の深刻さが伝わり、三菱重工業は年初来安値を更新、終値は22円安の282円に暴落します。出来高は、さらに増えて2,481万株
◆◆そろそろ、反転という気もしますが、皆さん、どう思われますか?◆◆
◆◆
明日は、休みます。◆◆
ノーベル賞は、 空売りのチャンス(前編) |
ノーベル賞を受賞した東大理学部教授の小柴昌俊さんが、岐阜県神岡市の1000メートルの岩盤の下にカミオカンデを作った目的は、陽子の崩壊を捉えることでした。
カミオカンデとは、東大が設置した放射線の観測施設で、3000トンの純水を蓄えたタンクの内壁には、約1000個の電球型の光センサー「光電子増倍管」がトンボの目のように隙間なく設置されていました。
光電子倍増管の直径は、世界最大の20インチで、浜松ホトニクスという会社が、赤字覚悟で開発しました。 4億円の巨費を投じて、1年間、陽子崩壊を観測したのにもかかわらず、なんの成果も上がりません。
1987年1月、定年まで、残りわずかとなった小柴さんは、カミオカンデを改良して、謎の素粒子ニュートリノの観測に方向転換します。
1987年2月23日、17億光年離れた、マゼラン大星雲が超新星爆発を起こします。
何十年に一度のチャンス!
この情報を得た小柴さんは、データを大型コンピュータで分析します。
観測器は2月23日午後4時35分35秒から同48秒の間に通過した11個のニュートリノをとらえていました。
時刻は、爆発の時刻と一致、マゼラン大星雲の方向です。
東大退官まで、一ヶ月あまりを残すだけの逆転勝利でした。
その後建設されたスーパーカミオカンデは、センサー1個が約30万円、それが1万1000個が取り付けられました。もちろん、浜松ホトニクスが受注(33億円)しました。
この設備で、さらに画期的な成果が生み出されます。
1998年6月5日、岐阜県高山市で開催されていたニュートリノ国際会議において、小柴さんの実験グループがスーパーカミオカンデの観測結果から、「謎の素粒子ニュートリノに質量がある確証を得た」と発表したのです。
さて、2002年10月小柴さんのノーベル物理学賞の受賞が発表されます。 最近毎年、日本人がノーベル賞を受賞しています。明るい話題ですね。
さて、お待ちかねのメインテーマ。
ノーベル賞発表直後の浜松ホトニクスの株価の動きです。
寄り付き空売り(2110円)、終値買戻し(2000円)で5.2%の利益。
◆◆うーむ、ノーベル賞は、空売りが正解なんでしょうかね?◆◆
◆◆
明日は、田中さんと島津製作所で、検証です。◆◆
連日のノーベル賞 空売りの運命は?(後編) |
2002年10月9日、島津製作所の分析計測事業部主任・田中耕一(43歳)さんは仕事を終え、帰り仕度を始めていました。
突然ある方から電話があり、「15分後ぐらいに非常に重要な連絡があるから、会社にいなさい」と言われました。
・・・・15分後の電話にでると・・・・・
スウェーデン王立科学アカデミーから、今年のノーベル化学賞が田中さんに授与されるとの内容でした。
受賞理由は、「生体高分子の同定および構造解析のための手法の開発」で、田中さんが28歳のときに発見したタンパク質の質量分析法が評価されたようです。
15年前から、ノーベル賞候補だった小柴さんと対照的に、本人はもちろん、日本中誰一人として予想していなかった受賞です。まさに寝耳に水。
記者会見は、作業着で登場。
博士号の肩書きもないエンジニアの受賞は、多くの企業内研究者の励みになったと思います。
翌日の朝刊は、この明るいニュースを一面トップで伝えます。
さて、発表直後(10月10日)の島津製作所の株価です。
なんと24,198,000株の大商い。これは、発行済み株数267,090,952株の9.06%にあたります。9日には、浜松ホトニクスが小柴さんの受賞で人気化したことがあり、二匹目の泥鰌を狙った投資家も多かったようです。
日付 | 始値 | 高値 | 安値 | 終値 | 出来高 |
---|---|---|---|---|---|
2002年10月8日 | 265 | 273 | 265 | 268 | 286,000 |
2002年10月9日 | 268 | 271 | 261 | 261 | 291,000 |
2002年10月10日(発表直後) | 306 | 311 | 282 | 292 | 24,198,000 |
2002年10月11日 | 304 | 310 | 293 | 292 | 13,470,000 |
寄り付き(306円)で売って、引け(292円)に買戻せば、一応+4.6%の成果。
しかし、11日の朝は、空売りの買戻しで再び上がりました。
次の表は、先週末の島津製作所の取り組みです。
10/11<速報> | 貸株 | 融資 | 差引 |
---|---|---|---|
新規 | 1694 | 395 | |
返済 | 1656 | 87 | |
残 | 4790 | 1006 | -3784 |
前日比 | 38 | 308 | 270 |
◆◆まだ479万株ほど、売り残がありますね。◆◆
◆◆
この二匹目の泥鰌。来週も目を離せません。◆◆
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