■その時、株価はどう動いたか(4)■
イラク戦争と株価の動き(1) |
イラク戦争は、現在進行形であり、今取上げるのは、相応しくないかもしれません。 しかし、忘れないうちに書くことは重要であり、皆さんの意見も期待できるでしょう。
株価との関連で、ポイントは戦争終結の時期のようです。
戦争終結が、短期間と予測できるなら、株価は上がります。
反対に、戦争開始が遅れたり長期戦になるなら、株価は値下がりするようです。
下の表は、日経平均とイラク戦争との相関関係です。
最初、アメリカは、国連安全保障理事会の決議に基づき、イラク戦争を開始しようとしていました。
日付 | 始値 | 高値 | 安値 | 終値 | |
---|---|---|---|---|---|
2003年3月3日 | 8,397.15 | 8,490.40 | 8,357.42 | 8,490.40 | |
2003年3月4日 | 8,474.84 | 8,499.77 | 8,414.51 | 8,480.22 | |
2003年3月5日 | 仏独ロの3国外相、米英の新決議案反対の共同宣言を発表。 | 8,401.72 | 8,493.61 | 8,370.59 | 8,472.62 |
2003年3月6日 | 8,461.71 | 8,509.43 | 8,369.15 | 8,369.15 | |
2003年3月7日 | 米・英・スペインが安保理外相級会合で、イラクに 17日までの武装解除を求める修正決議案を提出。 | 8,296.54 | 8,336.30 | 8,144.12 | 8,144.12 |
2003年3月8日 | |||||
2003年3月9日 | |||||
2003年3月10日 | 8,097.27 | 8,112.87 | 7,975.36 | 8,042.26 | |
2003年3月11日 | 安保理中間派6か国がイラク武装解除期限の45日延長を提案。 | 7,970.86 | 8,062.12 | 7,862.43 | 7,862.43 |
2003年3月12日 | 7,908.23 | 7,998.01 | 7,888.31 | 7,943.04 | |
2003年3月13日 | 7,968.78 | 8,003.18 | 7,868.56 | 7,868.56 | |
2003年3月14日 | 7,912.34 | 8,038.46 | 7,912.34 | 8,002.69 | |
2003年3月15日 | |||||
2003年3月16日 | 米・英・スペイン3国首脳がアゾレス諸島で会談。 | ||||
2003年3月17日 | 8,010.39 | 8,018.32 | 7,870.78 | 7,871.64 | |
2003年3月18日 | 午前10時ブッシュがイラクに最後通告(猶予48時間) | 7,975.25 | 8,081.17 | 7,954.46 | 7,954.46 |
2003年3月19日 | 7,956.44 | 8,051.04 | 7,824.82 | 8,051.04 | |
2003年3月20日 | 午前10時、期限切れ。フセインの居場所を空爆 | 8,127.77 | 8,287.09 | 8,121.91 | 8,195.05 |
2003年3月21日 | |||||
2003年3月22日 | 大規模空爆「衝撃と恐怖」、始まる。 アメリカ地上軍の快進撃 |
しかし、フランスを中心に、ロシア、ドイツが反対します。 アメリカ、イギリス、スペインなどの賛成派との間で、多数派工作が活発化します。
戦争賛成派は、不利でした。 国連安全保障理事会の決議が難航するにつれて、株価は値下がりします。
3月11日、中間派6ヶ国が、イラク武装解除期限の45日延長を提案します。45日待ったら、砂嵐がやってきて、ヘリコプター「アパッチ」が飛べません。アメリカは、この案を受け入れられません。この日の日経平均は、7,862.43 円のバブル崩壊後最安値を記録します。
3月16日、米・英・スペイン3国首脳がアゾレス諸島で会談します。
いったい何が話し合われたか?
三国は、国連での調整努力は17日で打ち切ると発表します。
16〜19日株価は、横ばいで推移します。
・・・米東部時間19日午後8時(日本時間20日午前10時)・・・
ブッシュ米大統領がイラクに最後通告を行い、宣戦布告とします。
フセイン大統領が48時間以内に国外退去しなければ、戦争開始と宣言したのです。
この日の株価は、少しだけ上がります。原油先物などは、大きく反応して値下がりし、為替は円安です。
20日の期限切れ、CIAがフセインの居場所を突き止め、娘の屋敷などを40発のトマホークで急襲します。
(後に、この攻撃で、イラクの幹部3人が死亡したとの情報が流れます。)
「戦争は、短期で終る」との見方が強まり、この日の株価は、8127.77(+144.01)と値上がりします。
21〜23日は、三連休です。大規模空爆「衝撃と恐怖」、始まり、アメリカ地上軍の快進撃が伝えられます。
◆◆休み明けの株価は、高く始まる可能性が強そうです。◆◆
◆◆
続きは、期間をおいてから書きます。◆◆
マンション一部撤去判決と明和地所の株価 |
その衝撃的な判決が、市場に流れたのは、2002年12月18日の昼休みです。
東京地方裁判所は、明和地所が東京・国立市に建設したマンションを巡って、「マンションは住民の景観の利益を侵害する」としてマンションの1棟の20メートルを超える部分(7階以上)の撤去を命じる判決を下したのです。このマンションは、14階建です。
前代未聞の工事を実施可能か?
当然、莫大な費用がかかるはずです。
このニュースが流れると、後場の寄り付き、明和地所に売物が殺到し、ストップ安、756円の売り気配となります。 最後は、比例配分、138,100株の売物を残しました。出来高は、11,100株しかありません。
さて、このニュースは、新聞でも取上げられ、兜町の話題となります。
さて、売りか?それとも買いか?
翌日(19日)、市場が開かれる時間が刻一刻と近づきます。
8時55分、板の状況は、二日連続のストップ安、売り109,600株に対して、買い58,800株。
売り/買い=1.86倍・・・この比率なら、寄り付きそうな雰囲気です。
9時45分、ストップ安656円で寄りついた!
この瞬間の出来高約16万株。
新聞を読み「株価の歪み」を感じた私は、リバウンド狙いで安値の買い注文(寄り付き)を入れていました。
実はこの種の投資は、昔から大好きなのです。
昼休み、チャートをチェック。
しかし、午前中は、売り方も意気軒昂。
予想に反して、下値に張り付きそうな超低空飛行です。
昼休み、明和地所は、判決に対する公式見解を発表します。
この発表のせいか?相場の流れは変わります。
終値は、695円と寄り付きから39円戻します。出来高は、782,100株は、発行済み株数の3.01%に相当します。
信用の取り組みは、次のとおり、膨らんでいます。なお、この株の平均出来高は、普段は13,000株/日しかありません。
12/19<速報> | 貸株 | 融資 | 差引 |
---|---|---|---|
新規 | 139.2 | 84.4 | |
返済 | 4.3 | 1.5 | |
残 | 144.1 | 113.3 | -30.8 |
前日比 | 134.9 | 82.9 | -52 |
◆◆さて、明日は、どうなるか?◆◆
◆◆
利害関係者なので、論評は差し控えます。◆◆
◆◆
明日は、休みます。◆◆
日立造船の 累損拡大と半額減資 |
明治 14年 (1881) 英国人E.H.ハンターが大阪安治川岸に造船所をつくります。 これが、120年の歴史を持つ、名門日立造船の起源です。この会社は、日立と名がついていますが、日立グループとは無関係の会社です。
同社は、10月造船部門を切り離し、NKKの造船部門と統合させまました。 両社の造船部門は、共同出資のユニバーサル造船に移行されたのです。
日立造船本体は、造船部門を捨て去り、ごみ焼却設備など環境を柱に機械、エネルギー、電子・情報分野に生き残りを賭けようとしているようです。
さて、11月6日、市場終了後、業績の下方修正と半額減資を発表します。 造船統合に伴う関係会社の整理損や遊休土地評価損などが増加して、平成14年度の当期損失は、▲60億円から▲335億円に拡大します。
累積損失も2003年3月には▲383億円が見込まれます。
この累損を一掃するため、資本準備金130億円を取り崩し、今期末で2株を1株に併合する減資(資本金は506億円から253億円に減る)の実施計画が発表されます。減資は、来年1月(予定)の臨時株式総会で正式に決めるそうです。
日付 | 始値 | 高値 | 安値 | 終値 | 出来高 |
---|---|---|---|---|---|
2002年11月6日(発表前日) | 40 | 41 | 39 | 41 | 2,351,000 |
2002年11月7日(発表直後) | 31 | 32 | 26 | 30 | 36,444,000 |
昨日の値動きは、それほど大きくなく、出来高も多くありません。インサイダー取引は、ほとんどなかったと思います。
・・・・さて、一夜が明けます・・・・
同社の株価は、寄り付き31円で、昨日の終値と比べて、なんと24.4%の暴落です。 この日の出来高は、36,444,000株の大商いでした。
日立造船は、例の木村51社リストに載っていました。
同社は、従業員15%、管理職25%の厳しい給料カットや14%の人員削減を行い企業再建を目指します。
◆◆
さて、背水の陣の名門企業の運命やいかに?◆◆
◆◆
悪材料で尽くしで、反発するとの説もあるようですが・・?◆◆
◆◆明日は、休みます◆◆
NYテロ後のアフガン戦争と 重松製作所の株価(前編) |
・・・2001年9月11日朝・・・・ NYの世界貿易センタービルに二機のジェット機が激突。 アメリカを象徴するビルは崩壊し、何千人もの貴い命が犠牲になります。 ・・・・・・・・・・ 重松製作所 (7980) は、産業用防毒マスクのシェア八割の会社で、米国3Mへ防塵・防毒マスクをOEM供給しています。
オウム真理教のサリン事件との関連で、一度紹介したことがあります。 テロが勃発の直後の9月12日、重松製作所の株価は250円、出来高はわずか12000株でした。
テロとこの会社を結びつけて考える者は、誰もいなかったのです。 しかし、翌日以降、この株に目をつけた相場師は、確かに存在します。
9月13日260円(14,000株)、14日300円(16,000株)、17日380円(14,000株)と薄商いの中、株価は暴騰していきます。 そして、18日には153000株の大商いとなり、株価は400円に達します。 ・・・・10月6日・・・・・・ フロリダで、一人の男性(63歳)が亡くなります。死因は炭そ菌を吸い込んで起きる「肺炭そ」でした。珍しい病気で、25年ぶりでした。
この患者は、自然に病気になったという可能性の考えられました。 アフガニスタンのタリバン政権は、アルカイダとビンラディンを匿っていたのです。
アメリカのアフガニスタンに対する戦争準備は、着々と整います。 翌日(7日)、米英空軍は、アフガニスタンの空爆を開始します。 ・・・・・・・・ 9月28日の580円を高値に、525円まで反落していた重松製作所は、空爆が近づくに連れと反騰を開始します。 空爆直後の10月9日 ◆◆アルカイダは、炭そ菌テロで反撃するかもしれない?◆◆
空爆後の東京市場は、二日目(10月10日)を迎えます。 さて、この日の重松の株価は、60円高の730円で始まります。 出来高は、空前の537000株を記録しますが、終値は730円に押し戻されます。 この日のアメリカは、生物兵器テロに対する恐怖で動揺します。2人の感染者がいたビルの勤務者や近所の住人約700人にワクチンが配られました。
しかし、炭そ菌の毒性を強めた生物兵器との説に、否定的な見解ができます。アルカイダによるテロではなく、単なる犯罪かもしれません。 11日の重松の株価は、大幅に反落します。終値は、70円安の640円 16日、炭そ菌事件は、民主党上院院内総務事務所に純度の高いものが発見され、広がりを見せます。マスクの売れ行きもよくなり、在庫がなくなります。しかし、株価には折込済み。 当初、ベトナム戦争のような長期戦になると思われた戦局は、米英による空爆の支援を受けた北部同盟が、圧倒的に有利な展開になります。
株価も、下降トレンドに。 11月10日、北部の拠点マジャリシャフトが陥落します。タリバン政権は、カンダハルに兵力を集中させて難局を凌ごうとします。
株価は420円まで、値下がりします。 そして、11月14日、最後の拠点カンダハルが陥落し、タリバン政権は、山岳地帯に逃げ込みます。 ◆◆株価は、15日に365円、16日に320円まで暴落します。◆◆
ビンラディン率いる、アルカイダの同時多発テロでした。
アメリカは、直ちに報復を決意します。
しかし、何故上がるのか?
重松製作所の株価は、ストップ高の670円でした。出来高は、376,000株!。
◆◆
そう思った投資家もいたと思います。◆◆
◆◆さて、翌日の株価は、どうなるか?明日をお楽しみに◆◆
NYテロ後のアフガン戦争と
重松製作所の株価(後編)
10月9日、二人目の炭そ菌患者が明らかになります。
つまり、生物兵器テロの疑いがかかりました。
一時は、ストップ高の770円になりますが、この時点が大相場の天井でした。
◆◆
大相場もタリバン政権とともに崩壊したと言っていいでしょう。◆◆
◆◆二人目の感染者というのが、株価に一番影響するようです◆◆
日付 | 始値 | 高値 | 安値 | 終値 | 出来高 | |
---|---|---|---|---|---|---|
2001年9月11日 | NYテロ | |||||
2001年9月12日 | 250 | 250 | 250 | 250 | 12,000 | |
2001年9月13日 | 250 | 260 | 250 | 260 | 14,000 | |
2001年9月14日 | 260 | 300 | 260 | 300 | 16,000 | |
2001年9月17日 | 380 | 380 | 380 | 380 | 14,000 | |
2001年9月18日 | 430 | 430 | 380 | 400 | 153,000 | |
2001年9月19日 | 399 | 399 | 350 | 350 | 41,000 | |
2001年9月20日 | 356 | 385 | 300 | 384 | 58,000 | |
2001年9月21日 | 379 | 380 | 350 | 378 | 24,000 | |
2001年9月25日 | 378 | 413 | 378 | 409 | 129,000 | |
2001年9月26日 | 420 | 489 | 420 | 489 | 139,000 | |
2001年9月27日 | 511 | 569 | 511 | 569 | 279,000 | |
2001年9月28日 | 599 | 650 | 515 | 580 | 273,000 | |
2001年10月1日 | 565 | 565 | 502 | 525 | 127,000 | |
2001年10月2日 | 511 | 600 | 510 | 574 | 143,000 | |
2001年10月3日 | 584 | 585 | 550 | 550 | 71,000 | |
2001年10月4日 | 570 | 572 | 536 | 550 | 83,000 | |
2001年10月5日 | 549 | 595 | 531 | 570 | 154,000 | |
2001年10月6日 | フロリダで最初の炭そ菌感染者が死亡 | |||||
2001年10月7日 | 米英のアフガニスタン空爆開始 | |||||
2001年10月9日 | 空爆直後の株式市場、二人目の感染者 | 620 | 670 | 620 | 670 | 376,000 |
2001年10月10日 | 730 | 770 | 691 | 730 | 527,000 | |
2001年10月11日 | 730 | 730 | 630 | 640 | 328,000 | |
2001年10月12日 | 4人目の炭そ菌感染者 | 635 | 650 | 571 | 645 | 176,000 |
2001年10月15日 | 675 | 700 | 665 | 670 | 210,000 | |
2001年10月16日 | 民主党上院院内総務事務所に炭そ菌 | 679 | 679 | 611 | 615 | 106,000 |
2001年10月17日 | 615 | 615 | 553 | 564 | 103,000 | |
2001年10月18日 | 549 | 585 | 480 | 540 | 196,000 | |
2001年10月19日 | 520 | 565 | 511 | 565 | 75,000 | |
2001年10月22日 | 549 | 560 | 511 | 520 | 42,000 | |
2001年10月23日 | 518 | 525 | 490 | 520 | 70,000 | |
2001年10月24日 | 519 | 519 | 490 | 508 | 45,000 | |
2001年10月25日 | 508 | 548 | 501 | 512 | 46,000 | |
2001年10月26日 | 520 | 540 | 512 | 520 | 49,000 | |
2001年10月29日 | 540 | 580 | 540 | 579 | 115,000 | |
2001年10月30日 | 578 | 588 | 555 | 565 | 45,000 | |
2001年10月31日 | 549 | 549 | 520 | 530 | 23,000 | |
2001年11月1日 | 530 | 565 | 530 | 550 | 37,000 | |
2001年11月2日 | 520 | 538 | 520 | 538 | 27,000 | |
2001年11月5日 | 561 | 561 | 515 | 515 | 64,000 | |
2001年11月6日 | 507 | 512 | 465 | 480 | 44,000 | |
2001年11月7日 | 480 | 480 | 440 | 450 | 73,000 | |
2001年11月8日 | 480 | 494 | 441 | 441 | 29,000 | |
2001年11月9日 | 450 | 450 | 417 | 421 | 47,000 | |
2001年11月10日 | マジャリシャリフ陥落 | |||||
2001年11月12日 | 421 | 421 | 400 | 420 | 34,000 | |
2001年11月13日 | 447 | 452 | 430 | 440 | 38,000 | |
2001年11月14日 | カンダハル陥落 | 441 | 445 | 402 | 427 | 37,000 |
2001年11月15日 | 414 | 414 | 351 | 365 | 41,000 | |
2001年11月16日 | 355 | 355 | 320 | 320 | 49,000 |
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