■東京ジョー物語■
インターネットフィーバーとJBOHバブル(1) |
1999年2月のアメリカで、これまでにない種類の株式のバブルが発生しました。
JBOHとは、JBオックスフォード・ホールディングの略です。同社は、オンライン証券会社ですが、チャールズ・シュワルズやE*トレードほど有名ではありません。
同社の株価は、1月15日までは、2ドル台で低迷していました。
この頃、ネット関連株は、確かに人気がありました。
しかし、この株が、ここまで暴騰する合理的な理由は、なかったのです。
そのバブルを起こした発端は、株式を話題にするヤフー、レイジング・ブル、シリコン・インベスターなどの掲示板やチャット・ルームでの発言でした。 インターネット・フィーバーが始まったのは、1月18日の正午3分過ぎのことです。
JBOHが舞い上がるぞ!!!!! なんて、安い買い物だ! 4000をロング(買い持ち)、それからディトレードで上積みする。それいけJBOH!!! ロ〜〜〜ングだ |
掲示板の教組(ぐる)達に買い煽られ、掲示板を見たネットトレーダーが買いに殺到します。
2月1日5.56ドル、2月3日12ドル・・・
JBOHは、熱狂とともに上昇し始めます。2月4日の高値は、前日の2.1倍の25.75ドル!
しかし、そこがピークでした。自然落下が始まります。
その日の終値は15.88ドルで、その日の高値から38.3%の暴落です。
この株の発行済み株数は、1,400万株に過ぎません。 しかし、この日の出来高は、その2倍以上の3,339万株に達しました。
シリコン・インベスターは、株式の掲示板を運営するサイトです。
この会社は、最も注目された会員(レスの数で判定)のハンドルネームを定期的に発表しています。
リストの第一位、最も信徒が多く、影響力のある掲示板の教組の名は、
東京ジョー
後に、彼は噂と異なり、JBOHの暴騰には、それほど深く関わっていなかったことが判明します。
しかし、JBOHが暴騰した最大の理由は、東京ジョーの主催するサイト ソシエテ・アノニムのリストに同社の名が載っていたことだそうです。 |
日付 | 始値 | 高値 | 安値 | 終値 | 出来高 |
---|---|---|---|---|---|
1999年2月26日 | 10.44 | 10.75 | 9.75 | 10.06 | 1,901,300 |
1999年2月25日 | 8.97 | 10.5 | 8.56 | 9.94 | 2,909,500 |
1999年2月24日 | 9.91 | 10 | 8.91 | 9.09 | 2,257,000 |
1999年2月23日 | 11.5 | 11.56 | 9.5 | 9.75 | 6,968,600 |
1999年2月22日 | 9.16 | 11.25 | 8.81 | 10.38 | 12,318,100 |
1999年2月19日 | 6.84 | 8.38 | 6.69 | 8 | 3,997,600 |
1999年2月18日 | 7 | 7.5 | 6.31 | 6.66 | 1,574,400 |
1999年2月17日 | 7.19 | 7.56 | 6.44 | 6.75 | 2,203,400 |
1999年2月16日 | 9.31 | 9.63 | 7.81 | 7.94 | 2,231,100 |
1999年2月12日 | 9.91 | 9.94 | 8.5 | 8.88 | 1,896,600 |
1999年2月11日 | 10.06 | 10.94 | 9.56 | 9.97 | 4,794,800 |
1999年2月10日 | 8.25 | 9.81 | 8 | 9.19 | 4,018,700 |
1999年2月9日 | 7.09 | 9.25 | 7.06 | 8.19 | 5,433,300 |
1999年2月8日 | 11.19 | 11.25 | 7.75 | 8.19 | 7,921,400 |
1999年2月5日 | 16.25 | 16.25 | 10.63 | 11.75 | 11,516,800 |
1999年2月4日 | 16.38 | 25.75 | 13.63 | 15.88 | 33,392,600 |
1999年2月3日 | 5.13 | 13.13 | 4.88 | 12 | 34,070,000 |
1999年2月2日 | 5.13 | 5.56 | 4.19 | 4.75 | 6,955,700 |
1999年2月1日 | 2.81 | 6.06 | 2.72 | 5.56 | 20,683,500 |
1999年1月29日 | 2.31 | 2.72 | 2.13 | 2.59 | 911,900 |
1999年1月28日 | 2.5 | 2.56 | 2.25 | 2.28 | 464,800 |
1999年1月27日 | 2.63 | 2.66 | 2.5 | 2.5 | 358,000 |
1999年1月26日 | 2.78 | 2.81 | 2.5 | 2.56 | 651,000 |
1999年1月25日 | 2.97 | 3 | 2.75 | 2.75 | 406,300 |
1999年1月22日 | 2.84 | 2.94 | 2.59 | 2.81 | 544,200 |
1999年1月21日 | 3 | 3.06 | 2.56 | 2.84 | 1,402,200 |
1999年1月20日 | 2.94 | 3.28 | 2.75 | 2.88 | 3,463,700 |
1999年1月19日 | 2.25 | 2.72 | 2.16 | 2.69 | 2,141,800 |
1999年1月15日 | 2.03 | 2.19 | 2 | 2.03 | 687,600 |
◆◆東京ジョーが買いと言えば株は上がり、売りと言えば下がる。◆◆
◆◆
彼は、天才か?それとも・・・◆◆
◆◆
明日は、休みます。◆◆
日韓の混血児(2) |
参考文献によれば、東京ジョーは、1959年12月ソウルで生またそうです。 本名は、ユン・スー・オー・パク4世といい、日韓の混血です。
彼の父は韓国人で、職業は詩人で文学部教授でした。
母親は日本人で、松平という姓の専業主婦です。
彼は、16歳までは、日本と韓国を往復していました。
世界を放浪した後、彼はアメリカでミスン・パクと結婚して、娘が誕生します。
1993年、彼はマンハッタンで、イタリア料理店(ブリトー屋)を始めます。
その店には、証券トレーダーや投資銀行家が食事にきており、彼は株の話に強く惹かれるようになります。
1996年、彼はネットで株取引を始めるようになります。
1995年〜1996年に掲示板で最も注目を集めた株は、アイオメガ(略称IOM)でした。同社は、ジップ・ドライブを発明して、1995年1月の20.28ドルから、12月には300ドルを超える高騰をみせます。
東京ジョーは、アイオメガに関して96年に買いから売りに転向して、成功を納めます。
あちこちのチャットルームに現われ、評判を高めていきます。
1998年1月、東京ジョーは、ソシエテ・アノニムを立ち上げます。会員が株式に関する議論だけでなく、団結して同じ銘柄を買うことで、相場に強い影響力を持つことを目指したのです。
東京ジョーは、オンライン版タイム紙で、 「アメリカで最も有力な個別株投資家の一人」と紹介されます。 |
そして、デジタル技術の世界の50傑の49位にランクされたのです。 この50傑の上位には、アマゾンのジェフ・ベゾス、AOLのスティーブ・ケースなどが選ばれました。
当初無料だったソシエテ・アノニムの会費は、東京ジョーの名声が上がるにつれて値上がりして、1999年末には、月200ドルに達します。 それでも、会員は1999年3月には、1700人を超えます。会費だけで3000万円を超す月収だと思います。
◆◆しかし、東京ジョーは、詐欺行為を繰り返していました。◆◆
◆◆
会員に強く購入を推奨する前に、その株を事前に買って、◆◆
◆◆値上がりすると直ぐに売り抜けていたのです。◆◆
◆◆彼のもとにSECから召喚状が届きます。◆◆
◆◆
この続きは、明日発表します。◆◆
(参考文献)「東京ジョー」 ジョン・R・エムシュウィラー著 角川書店
空売り師エルジンディ(3) |
1999年3月SEC(アメリカ証券取引委員会)は、東京ジョーに対して召喚状を発送し、彼とソシエテ・アノニムに関する資料の提出を求めます。1998年以降の送金記録や電子メールが対象になりました。
ある男が、東京ジョーに関する重さ16キロ、1,885ページに及ぶ資料を提出して、SECの捜査に協力します。
その男の名は、トニー・エルジンディ。
「アンソニー@パシフィック」というハンドルネームで著明な、株のネットのカリスマの一人です。
何故、彼がそんなことをしたか?
その前に、彼を紹介しないといけないでしょう。
エルジンディは、1967年11月28日、エジプトのカイロで生まれました。彼が3歳のとき、一家はシカゴに移住します。 シボレーのセールスマンを経て、株式ブローカーに転職します。
彼は、この時代にSECの捜査に証人として協力し、人脈を築いています。
1998年、インターネットの普及とともに、彼はあらゆる株式掲示板に顔を出し始めます。
内容は、会社を誹謗中傷するものばかり・・・・彼は、空売り専門の投機家だったのです。
JBOHの熱狂相場を初め多くの銘柄で、彼の行く手に立ちはだかり、上がるはずのない相場を強引に暴騰させてしまう男・・・東京ジョー。
買い煽りの東京ジョーvs空売り師エルジンディ 二人が憎みあい、激突するのは宿命でした。 |
1999年1月、エルジンディの名声を高めた事件が起きます。
USAトークス・コムは、インターネット長距離電話の会社です。
インターネットブームで、株価は1998年11月の3ドルから1月には50ドルに暴騰します。
売上がほとんどないのに、時価総額10億ドル。
エルジンディは、バブル崩壊を感じ取り、全力で空売りします。
1月26日エルジンディは、「最悪のニュースが天から降ってくる」と掲示板でノストラダムスのように予言します。
・・・・しかし、3日後・・・・・
1月29日、SECが同社の株の取引を停止します。
「USAトークスが開示した事業運営の公開情報は、正確でないところがある」との理由でした。
取引再開後、株価は数ドルに暴落して、エルジンディは、30万ドルを手に入れます。
そして、空売り師としての揺ぎ無い信頼を勝ち得たのでした。
◆◆彼の予言が当たったのは偶然か?◆◆
◆◆
それともSECから・・・?◆◆
地に落ちた神様(4) |
SECの追求が、東京ジョーを窮地に追い込んでいきます。
そして、エルジンディの東京ジョーに対するネット攻撃も激しさを増していきます。
彼は、東京ジョーを倒した男として、スターになることを狙っているようでした。
・・・21世紀が幕開けして、5日目・・・
1月5日、ニューヨークタイムズの一面に東京ジョーの記事が掲載されます。 SECが19ページに渡る書面で、東京ジョーが行った不正行為を告発したことを伝える記事でした。 |
その要旨は、次のとおりです。
- 東京ジョーは、買いを推奨する株式を既に、保有している---そして同時に売ろうとしている---という事実を開示しない、若しくは偽ることで会員を欺いた。
- ウェブサイトに会員の虚偽の利益実績(実際の20倍)を書き込み、新規会員を集めようとした。
- 推奨の見返りに、株式発行者から普通株を賄賂としてもらったことを、会員に告げなかった。
2002年4月、NHK3チャンネルで放送されたETVテレビ「ネットの噂が株価を襲う」によれば、1の具体的な手口は次のようなものです。
東京ジョーは、11000株のK2Designを3.84ドルで事前に買います。
(目立たないためとはいえ、超大物がたったの145万円しか投資しないとは!)
ソシエテ・アノニムで、この株は7ドルまで上がるという根拠のない情報を流して推奨します。
会員の買いが殺到して、株価が4.07ドルに上がったところで、全て売却します。
2500ドルの利益を不正に得ます。
以上を何度も、繰り返していたのです。
しかし、日本でも3はともかく1と2については、同じことを行っている投資顧問会社は、多いかもしれませんね。
私はアマチュアですが、保有株を「当たり屋」で推奨するときは、誤解されないよう、その旨書くことにします。勉強になりましたね。
東京ジョーは、75万ドルの罰金を命じられました。
◆◆それから、この告発で「東京ジョー」の作者が驚いた事実があります。◆◆
◆◆告発の際、発表された東京ジョーの年齢は、50歳。◆◆
◆◆
彼は、9歳も年齢を詐称していたのです。◆◆
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