■東京ジョー物語■

---目次---
  • インターネットフィーバーとJBOHバブル(1)
  • 日韓の混血児(2)
  • 空売り師エルジンディ(3)
  • 地に落ちた神様(4)

  • (2002/4/9)
    インターネットフィーバーとJBOHバブル(1)

    1999年2月のアメリカで、これまでにない種類の株式のバブルが発生しました。

    JBOHとは、JBオックスフォード・ホールディングの略です。同社は、オンライン証券会社ですが、チャールズ・シュワルズやE*トレードほど有名ではありません。

    同社の株価は、1月15日までは、2ドル台で低迷していました。
    この頃、ネット関連株は、確かに人気がありました。
    しかし、この株が、ここまで暴騰する合理的な理由は、なかったのです。

    そのバブルを起こした発端は、株式を話題にするヤフー、レイジング・ブル、シリコン・インベスターなどの掲示板やチャット・ルームでの発言でした。 インターネット・フィーバーが始まったのは、1月18日の正午3分過ぎのことです。

    JBOHが舞い上がるぞ!!!!!
    なんて、安い買い物だ!
    4000をロング(買い持ち)、それからディトレードで上積みする。それいけJBOH!!!
    ロ〜〜〜ングだ

    掲示板の教組(ぐる)達に買い煽られ、掲示板を見たネットトレーダーが買いに殺到します。

    2月1日5.56ドル、2月3日12ドル・・・

    JBOHは、熱狂とともに上昇し始めます。2月4日の高値は、前日の2.1倍の25.75ドル!
    しかし、そこがピークでした。自然落下が始まります。

    その日の終値は15.88ドルで、その日の高値から38.3%の暴落です。

    この株の発行済み株数は、1,400万株に過ぎません。 しかし、この日の出来高は、その2倍以上の3,339万株に達しました。

    シリコン・インベスターは、株式の掲示板を運営するサイトです。
    この会社は、最も注目された会員(レスの数で判定)のハンドルネームを定期的に発表しています。

    リストの第一位、最も信徒が多く、影響力のある掲示板の教組の名は、

    東京ジョー

    後に、彼は噂と異なり、JBOHの暴騰には、それほど深く関わっていなかったことが判明します。
    しかし、JBOHが暴騰した最大の理由は、東京ジョーの主催するサイト
    ソシエテ・アノニムのリストに同社の名が載っていたことだそうです。

    ネットフィーバーがもたらしたJBOHバブル
    日付 始値 高値 安値 終値 出来高
    1999年2月26日 10.44 10.75 9.75 10.06 1,901,300
    1999年2月25日 8.97 10.5 8.56 9.94 2,909,500
    1999年2月24日 9.91 10 8.91 9.09 2,257,000
    1999年2月23日 11.5 11.56 9.5 9.75 6,968,600
    1999年2月22日 9.16 11.25 8.81 10.38 12,318,100
    1999年2月19日 6.84 8.38 6.69 8 3,997,600
    1999年2月18日 7 7.5 6.31 6.66 1,574,400
    1999年2月17日 7.19 7.56 6.44 6.75 2,203,400
    1999年2月16日 9.31 9.63 7.81 7.94 2,231,100
    1999年2月12日 9.91 9.94 8.5 8.88 1,896,600
    1999年2月11日 10.06 10.94 9.56 9.97 4,794,800
    1999年2月10日 8.25 9.81 8 9.19 4,018,700
    1999年2月9日 7.09 9.25 7.06 8.19 5,433,300
    1999年2月8日 11.19 11.25 7.75 8.19 7,921,400
    1999年2月5日 16.25 16.25 10.63 11.75 11,516,800
    1999年2月4日 16.38 25.75 13.63 15.88 33,392,600
    1999年2月3日 5.13 13.13 4.88 12 34,070,000
    1999年2月2日 5.13 5.56 4.19 4.75 6,955,700
    1999年2月1日 2.81 6.06 2.72 5.56 20,683,500
    1999年1月29日 2.31 2.72 2.13 2.59 911,900
    1999年1月28日 2.5 2.56 2.25 2.28 464,800
    1999年1月27日 2.63 2.66 2.5 2.5 358,000
    1999年1月26日 2.78 2.81 2.5 2.56 651,000
    1999年1月25日 2.97 3 2.75 2.75 406,300
    1999年1月22日 2.84 2.94 2.59 2.81 544,200
    1999年1月21日 3 3.06 2.56 2.84 1,402,200
    1999年1月20日 2.94 3.28 2.75 2.88 3,463,700
    1999年1月19日 2.25 2.72 2.16 2.69 2,141,800
    1999年1月15日 2.03 2.19 2 2.03 687,600

    ◆◆東京ジョーが買いと言えば株は上がり、売りと言えば下がる。◆◆
    ◆◆ 彼は、天才か?それとも・・・◆◆

    ◆◆ 明日は、休みます。◆◆

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    (2002/4/11)
    日韓の混血児(2)

    参考文献によれば、東京ジョーは、1959年12月ソウルで生またそうです。 本名は、ユン・スー・オー・パク4世といい、日韓の混血です。

    彼の父は韓国人で、職業は詩人で文学部教授でした。
    母親は日本人で、松平という姓の専業主婦です。

    彼は、16歳までは、日本と韓国を往復していました。
    世界を放浪した後、彼はアメリカでミスン・パクと結婚して、娘が誕生します。

    1993年、彼はマンハッタンで、イタリア料理店(ブリトー屋)を始めます。

    その店には、証券トレーダーや投資銀行家が食事にきており、彼は株の話に強く惹かれるようになります。

    1996年、彼はネットで株取引を始めるようになります。

    1995年〜1996年に掲示板で最も注目を集めた株は、アイオメガ(略称IOM)でした。同社は、ジップ・ドライブを発明して、1995年1月の20.28ドルから、12月には300ドルを超える高騰をみせます。

    東京ジョーは、アイオメガに関して96年に買いから売りに転向して、成功を納めます。
    あちこちのチャットルームに現われ、評判を高めていきます。

    1998年1月、東京ジョーは、ソシエテ・アノニムを立ち上げます。会員が株式に関する議論だけでなく、団結して同じ銘柄を買うことで、相場に強い影響力を持つことを目指したのです。

    東京ジョーは、オンライン版タイム紙で、
    「アメリカで最も有力な個別株投資家の一人」と紹介されます。

    そして、デジタル技術の世界の50傑の49位にランクされたのです。 この50傑の上位には、アマゾンのジェフ・ベゾス、AOLのスティーブ・ケースなどが選ばれました。

    当初無料だったソシエテ・アノニムの会費は、東京ジョーの名声が上がるにつれて値上がりして、1999年末には、月200ドルに達します。 それでも、会員は1999年3月には、1700人を超えます。会費だけで3000万円を超す月収だと思います。

    ◆◆しかし、東京ジョーは、詐欺行為を繰り返していました。◆◆
    ◆◆ 会員に強く購入を推奨する前に、その株を事前に買って、◆◆
    ◆◆値上がりすると直ぐに売り抜けていたのです。◆◆

    ◆◆彼のもとにSECから召喚状が届きます。◆◆
    ◆◆ この続きは、明日発表します。◆◆

    (参考文献)「東京ジョー」 ジョン・R・エムシュウィラー著 角川書店

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    (2002/4/12)
    空売り師エルジンディ(3)

    1999年3月SEC(アメリカ証券取引委員会)は、東京ジョーに対して召喚状を発送し、彼とソシエテ・アノニムに関する資料の提出を求めます。1998年以降の送金記録や電子メールが対象になりました。

    ある男が、東京ジョーに関する重さ16キロ、1,885ページに及ぶ資料を提出して、SECの捜査に協力します。

    その男の名は、トニー・エルジンディ
    「アンソニー@パシフィック」というハンドルネームで著明な、株のネットのカリスマの一人です。

    何故、彼がそんなことをしたか?
    その前に、彼を紹介しないといけないでしょう。

    エルジンディは、1967年11月28日、エジプトのカイロで生まれました。彼が3歳のとき、一家はシカゴに移住します。 シボレーのセールスマンを経て、株式ブローカーに転職します。

    彼は、この時代にSECの捜査に証人として協力し、人脈を築いています。
    1998年、インターネットの普及とともに、彼はあらゆる株式掲示板に顔を出し始めます。

    内容は、会社を誹謗中傷するものばかり・・・・彼は、空売り専門の投機家だったのです。

    JBOHの熱狂相場を初め多くの銘柄で、彼の行く手に立ちはだかり、上がるはずのない相場を強引に暴騰させてしまう男・・・東京ジョー。

    買い煽りの東京ジョーvs空売り師エルジンディ
    二人が憎みあい、激突するのは宿命でした。

    1999年1月、エルジンディの名声を高めた事件が起きます。

    USAトークス・コムは、インターネット長距離電話の会社です。
    インターネットブームで、株価は1998年11月の3ドルから1月には50ドルに暴騰します。
    売上がほとんどないのに、時価総額10億ドル。

    エルジンディは、バブル崩壊を感じ取り、全力で空売りします。
    1月26日エルジンディは、「最悪のニュースが天から降ってくる」と掲示板でノストラダムスのように予言します。

    そんなデタラメを言って恥をかくだけだ、と誰もが思います。

    ・・・・しかし、3日後・・・・・

    1月29日、SECが同社の株の取引を停止します。
    「USAトークスが開示した事業運営の公開情報は、正確でないところがある」との理由でした。

    取引再開後、株価は数ドルに暴落して、エルジンディは、30万ドルを手に入れます。
    そして、空売り師としての揺ぎ無い信頼を勝ち得たのでした。

    ◆◆彼の予言が当たったのは偶然か?◆◆
    ◆◆ それともSECから・・・?◆◆

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    (2002/4/13)
    地に落ちた神様(4)

    SECの追求が、東京ジョーを窮地に追い込んでいきます。
    そして、エルジンディの東京ジョーに対するネット攻撃も激しさを増していきます。
    彼は、東京ジョーを倒した男として、スターになることを狙っているようでした。

    ・・・21世紀が幕開けして、5日目・・・

    1月5日、ニューヨークタイムズの一面に東京ジョーの記事が掲載されます。
    SECが19ページに渡る書面で、東京ジョーが行った不正行為を告発したことを伝える記事でした。

    その要旨は、次のとおりです。

    1. 東京ジョーは、買いを推奨する株式を既に、保有している---そして同時に売ろうとしている---という事実を開示しない、若しくは偽ることで会員を欺いた。

    2. ウェブサイトに会員の虚偽の利益実績(実際の20倍)を書き込み、新規会員を集めようとした。

    3. 推奨の見返りに、株式発行者から普通株を賄賂としてもらったことを、会員に告げなかった。

    2002年4月、NHK3チャンネルで放送されたETVテレビ「ネットの噂が株価を襲う」によれば、1の具体的な手口は次のようなものです。

      東京ジョーは、11000株のK2Designを3.84ドルで事前に買います。
      (目立たないためとはいえ、超大物がたったの145万円しか投資しないとは!)

      ソシエテ・アノニムで、この株は7ドルまで上がるという根拠のない情報を流して推奨します。

      会員の買いが殺到して、株価が4.07ドルに上がったところで、全て売却します。
      2500ドルの利益を不正に得ます。

    以上を何度も、繰り返していたのです。

    しかし、日本でも3はともかく1と2については、同じことを行っている投資顧問会社は、多いかもしれませんね。

    私はアマチュアですが、保有株を「当たり屋」で推奨するときは、誤解されないよう、その旨書くことにします。勉強になりましたね。

    東京ジョーは、75万ドルの罰金を命じられました。

    ◆◆それから、この告発で「東京ジョー」の作者が驚いた事実があります。◆◆
    ◆◆告発の際、発表された東京ジョーの年齢は、50歳。◆◆

    ◆◆ 彼は、9歳も年齢を詐称していたのです。◆◆

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