■その時、株価はどう動いたか(10)■

---目次---
  • 郵政民営化法案の否決と日経平均の値動き
  • 第一次石油ショックと日経平均
  • 怪物ディープインパクトと図研
  • 紀宮様と帝国ホテル

  • (2005/8/8)
    郵政民営化法案の否決と日経平均の値動き

    7月5日わずか5票差で、衆議院を通過した郵政民営化法案は、8月8日参議院本会議で採決されることとなりました。

    自民党から、18人の反対がでれば、否決です。 小泉首相は、否決の場合、衆議院を解散するつもりです。 5日の午前中には、中間派と思われていた参院亀井派の中曽根弘文会長が反対の声明を出しました。 日経平均も、政局混迷を嫌い8月4日〜5日に値下がりします。 事前の予想は、否決説が次第に有力になっていました。

    郵政民営化法案の否決とと日経平均の値動き
    日付 始値 高値 安値 終値 値上り
    2005年8月3日 11,987.98 12,009.56 11,950.31 11,981.80 41.60
    2005年8月4日 11,945.14 11,945.14 11,823.20 11,883.31 -98.49
    2005年8月5日(中曽根ショック) 11,842.16 11,863.39 11,724.61 11,766.48 -116.83
    2005年8月8日(参議院採決) 11,670.71 11,794.84 11,614.71 11,778.98 12.50

    さて、貴重な採決の日のチャートです。
    午前中は100円以上も値下がりしたままです。

    本会議は午後1時に始ります。賛成、反対討論が行われる間、株価は上昇します。

    ・・・午後1時30分・・・

    一人づつ木札を投じる方式の記名投票での採決が開始されます。
    各議員の賛否が、リアルタイムでテレビで識別できます。

    自民党の造反議員が、予想以上に多い・・・否決は確実
    株価は急降下します。

    ・・・午後1時44分頃・・・

    扇千景参院議長が結果を高らかに読み上げます。
    「白色票(賛成)108票。青色票(反対)125票。よって否決されました」

    さて、株価は、どうなるか?

    急角度で、上昇。
    引けは、なんと+12.5

    典型的な悪材料の出尽くしでした。
    この動き、勉強になりましたね。

    参議院の自民党の反対は22人、棄権は8人に達しました。

    9月11日の選挙は、どうなるか?

    ◆◆自民、民主のどちらが、勝つか知りませんが・・・◆◆
    ◆◆ 亀井さんらの37人の造反組は公認されず、最も厳しそうです ◆◆

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    (2005/6/28)(改正6/30)
    第一次石油ショックと
    日経平均

    第一次石油ショックが始まる前、日本列島改造論が謳歌する好況でした。 日経平均も1973年1月、5359.74円の史上最高値を記録します。

    当時の原油価格は2ドル台でした。

    1973年10月06日(土)、エジプトとシリアの連合軍は、イスラエルに対して奇襲攻撃を行い、第4次中東戦争が勃発します。

    株価は、4日連続安となりますが、合計2.7%しか下がりません。 「遠くの戦争は買い」とか言っていた人もいたような気がします。

    10月16日、OPEC加盟のペルシア湾岸産油6カ国により、次の3項目からなる石油戦略が発動されます。

    @原油公示価格を21%引き上げ
    A原油生産の削減
    Bイスラエル支援国への禁油

    これだけの悪材料なのに、株価は不思議と無反応。
    何故、下がらなかったのでしょうか?

    第一次石油ショックと日経平均の値動き
    日付 日経平均 前日比
    1973年10月05日(金) 4,562.13
    1973年10月06日(土) 第四次中東戦争が勃発
    1973年10月08日(月) 4,509.29 -52.84
    1973年10月09日(火) 4,493.03 -16.26
    1973年10月11日(木) 4,487.93 -5.10
    1973年10月12日(金) 4,452.60 -35.33
    1973年10月13日(土) 4,437.62 -14.98
    1973年10月15日(月) 4,468.41 30.79
    1973年10月16日(火) 原油公示価格を21%引き上げと、
    原油生産の削減と
    イスラエル支援国への禁油を決定。
    4,477.58 9.17
    1973年10月17日(水) 4,482.83 5.25
    1973年10月18日(木) 4,516.02 33.19
    1973年12月01日(土) 4,496.97 -19.05
    1973年12月03日(月) 4,510.52 13.55
    1973年12月04日(火) 4,447.90 -62.62
    1973年12月05日(水)  4,434.15 -13.75
    1973年12月06日(木) 4,335.29 -98.86
    1973年12月07日(金) 4,283.56 -51.73
    1973年12月08日(土)  4,321.92 38.36
    1973年12月10日(月) 4,165.13 -156.79
    1973年12月11日(火)  4,135.95 -29.18
    1973年12月12日(水) 4,097.10 -38.85
    1973年12月13日(木) 4,033.09 -64.01
    1973年12月14日(金)  三木武夫日本政府特使のエジプト訪問 4,037.92 4.83
    1973年12月17日(月) 4,041.47 3.55
    1973年12月18日(火)  3,958.57 -82.90
    1973年12月19日(水) 3,988.94 30.37
    1973年12月20日(木)  4,165.23 176.29
    1973年12月21日(金) 4,157.08 -8.15
    1973年12月22日(土) OPEC閣僚のテヘラン会談
    1月から公示価格を
    1バーレル=11.651ドルと決定
    4,135.04 -22.04
    1973年12月23日(日)
    1973年12月24日(月) 4,028.45 -106.59
    1973年12月25日(火)  4,038.21 9.76
    1973年12月26日(水) 4,194.79 156.58
    1973年12月27日(木) 4,289.41 94.62
    1973年12月28日(金) 4,306.80 17.39

    事態の深刻さが浸透し、株価の下落が続いたのは、12月の前半です。
    12月17日から20日にかけて、ウィーンで行われたOPEC経済委員会では石油の値上げが検討されます。

    12月18日には、日経平均は3958.57の安値を記録します。

    OPEC加盟、湾岸6カ国の閣僚は1973年12月22〜23日テヘランで会談し、1974年1月から原油公示価格を11.651ドルに引き上げることを決定します。参考1


    これを受けて、翌24日、日経平均は4,028.45(-106.59)へと暴落します。

    しかし、この瞬間であく抜け。
    その後は反転し、大納会までに8.8%も値上りします。

    もっとも、長期的にみると、これは綾戻しに過ぎません。

    狂乱物価と、その後の大不況の到来です。1974年の消費者物価上昇率は23%、経済成長率は戦後初のマイナス成長(-1.2%)となりました。

    日本経済は、少なくとも1年以上にわたって、原油価格高騰がもたらした影響(スタグフレーション)に苦しむことになります。 参考2

    以後、2年間の日経平均の値動きです。

    その後、2年間の日経平均
    始値 高値 安値 終値
    1974年1月 4,259.20 4,536.85 4,151.00 4,449.90
    1974年2月 4,489.94 4,605.97 4,442.38 4,486.58
    1974年3月 4,538.69 4,610.69 4,389.89 4,473.58
    1974年4月 4,466.32 4,622.35 4,403.65 4,622.35
    1974年5月 4,644.26 4,778.36 4,644.26 4,772.66
    1974年6月 4,787.54 4,787.54 4,602.87 4,614.22
    1974年7月 4,622.15 4,626.70 4,436.83 4,492.42
    1974年8月 4,491.52 4,491.52 3,973.14 4,168.15
    1974年9月 4,134.35 4,134.35 3,946.85 3,950.00
    1974年10月 3,854.11 3,854.11 3,355.13 3,594.55
    1974年11月 3,547.58 3,954.21 3,547.58 3,954.21
    1974年12月 3,974.72 3,974.72 3,817.22 3,817.22
    1975年1月 3,777.40 3,957.53 3,627.04 3,957.53
    1975年2月 3,935.22 4,273.39 3,935.22 4,273.39
    1975年3月 4,266.91 4,484.97 4,226.87 4,484.97
    1975年4月 4,478.97 4,494.03 4,355.11 4,484.84
    1975年5月 4,504.31 4,564.52 4,402.52 4,402.52
    1975年6月 4,378.51 4,534.66 4,378.51 4,532.54
    1975年7月 4,541.25 4,541.25 4,290.96 4,333.04
    1975年8月 4,292.55 4,305.01 4,007.14 4,089.98
    1975年9月 4,045.98 4,054.80 3,814.02 3,886.39
    1975年10月 3,870.11 4,360.42 3,870.11 4,352.05
    1975年11月 4,346.86 4,354.96 4,245.39 4,331.14
    1975年12月 4,306.75 4,358.60 4,177.12 4,358.60

    さて、2005年6月、原油価格は60ドルを突破しました。

    ◆◆第一次石油ショックのときは原油価格の高騰は約4倍◆◆
    ◆◆今回は約2倍程度です。◆◆

    ◆◆ 石油に対する依存度も当時と異なりますが、類似点もあるかもしれません。◆◆

    (参考HP)「戦後日本政治・国際関係データベース」  東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室

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    (2005/6/4)
    怪物ディープインパクトと
    図研

    2005年5月29日、日本ダービー。

    14万人の観客の注目は、単勝支持率73.4%を集めた・・・
    怪物ディープインパクト。

    デビュー以来、4戦4勝。GTレース皐月賞でも圧勝しています。

    さて、東京競馬場2400m。馬場・良。

    18頭が、いっせいにスタート。
    天才・武豊は、ディープインパクトの脚力を温存します。

    第4コーナー、残り200メートル。
    怪物はスパートをかけます。大歓声。

    たちまち先頭に・・・
    後続馬をぶっちぎり、5馬身差の圧勝。

    2分23秒3(良)は、東京競馬場2400mのコースレコードのタイ記録でした。
    配当は僅か110円です。

    さて、この馬のオーナー、金子真人氏は、東証1部上場企業図研(6947)の社長で16.1%の株を保有しています。

    ・・・・・

    5月30日の図研の株価の動きです。

    高値は1071(+74)、出来高は166,400株は通常(25日平均)の5.7倍です。
    なに?連想で図研の株価が上がるのは、おかしい?

    注目を集め買う人が多ければ、理屈なしに株価は上がるのです。

    ちなみに、去年の日本ダービー(2004年5月30日)でも金子氏の持ち馬キングカメハメハが優勝しています。 翌日の高値は1275円(+25)までありましたが、出来高は19,300株と少なめです。

    レース結果に、無反応だったと考えていいでしょう。

    両者の違いは、どこにあるのか?

    つまり、ディープインパクトは、三冠馬シンボリルドルフ以来の大スター・・・・言い換えると知名度が高いという点が重要なのです。

    2005年10月23日は、菊花賞。
    怪物ディープインパクトは、たぶん三冠馬になるでしょう。

    へそ曲がりの私は、ディープインパクト以外の馬券を買う方が効率がよいような気がします。 (私は、馬券は買いませんが・・・)

    ◆◆さて、秋に図研の先回り買いはあるか?◆◆
    ◆◆ そして、最強の三冠馬になった日(24日)の図研の株価は?◆◆
    ◆◆ この株は、貸借銘柄でもあるのですね。◆◆

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    (2005/5/19)
    紀宮様と帝国ホテル

    紀宮様と東京都職員・黒田慶樹氏のご婚約が内定したのは、2004年11月14日です。

    現実には、私は出来ませんでしたが、上がる銘柄を考えるべきでした。

    真珠、ブライダル関連、ハウスウェディング・・・ 参考

    そうか。皇太子ご成婚と異なり、式場は民間施設なのですね。

    帝国ホテル、オークラ、ニューオータニ。
    三大ホテルの一つに決まるはず・・・

    昨日の市場終了後、発表されます。
    11月15日、御二人の結婚式は帝国ホテルで行われることが決まりました。

    帝国ホテルは、発足時には宮内省が筆頭株主でした。
    よく考えてみれば、本命ですね・・と後講釈。

    昔、帝国ホテルの経営権をめぐり、株の買占めがありました。
    そのため、同社の大株主は、ほとんど移動がありません。

    39.3%を占める大株主・国際興業は、経営不振から米投資ファンド・サーベラスの傘下に入っています。 帝国ホテルの単元株数は、1000株、一日の出来高は0〜4単位しかありません。

    さて、発表直後の一日チャートです。

    終値2,450円(+250)、出来高17,000株です。 閑散としているようですが普段の7倍です。
    しかし、単元株数を100株にしてもらわないと、買いづらいですね。

    ◆◆この発表は、サーベラスのホテル株転売を助けそうですね。◆◆
    ◆◆ 秋には、株価は再び動くでしょうか?◆◆

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