■歴史の玉手箱3■

---目次---
  • 宇宙の誕生とイギリスの金融ビックバン(前編)
  • 宇宙の誕生とイギリスの金融ビックバン(後編)
  • 旧約聖書のパレスチナ問題(前編)
  • 旧約聖書のパレスチナ問題(後編)
  • 出エジプト記とイスラエル建国(前編)
  • 出エジプト記とイスラエル建国(中編)
  • 出エジプト記とイスラエル建国(後編)
  • ソ連軍VSイスラム戦士達(前編)
  • ソ連軍VSイスラム戦士達(後編)

  • (2001/3/22)
    宇宙の誕生と
    イギリスの金融ビックバン(前編)

    150億年前、ビックバンと呼ばれる大爆発により、宇宙は誕生しました。
    物質とエネルギーと時間と空間が、同時にから生まれたのです。

    全宇宙の物質とエネルギーは、豆粒より小さな時空に、高温状態で閉じ込められていました。 この豆粒状態(特異点)は、全ての物理法則を破綻させてしまいます。この時期については、今のところ物理的に解明されていません。

    つまり、ビックバンから、0.01秒後までの宇宙は、神話の世界なのです。

    しかし、この時代以降の、宇宙の歴史には定説があります。

    宇宙は、温度を下げながら膨張し、太陽系とほぼ同じ大きさになります。

    下がったと言っても、1000億度K以上、宇宙は、光の海になります。
    光の海は、光子、電子、陽電子で渦巻いていたのです。

    ビックバンから100秒後、温度は100億度Kに下がります。

    陽子2個と中性子2個が一体となり、ヘリウム原子核が誕生します。しかし、高温のため、原子核は、電子を補足することができません。

    自由に動き回る電子に邪魔されて、光は直進できません。
    どんなに、精密な望遠鏡を製造しても、遠くの宇宙からこの頃の光(マイクロ波)を捕らえることはできません。

    この頃の宇宙は、厚い雲に覆われていたのです。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・

    1980年代前半のイギリスの証券業界は、固定手数料、取引会員権、業際規制によって守られていました。

    イギリスは、南海泡沫株事件の苦い経験から、ジョバーとブローカーとに分けて証券会社に資格を与えていました。
    ジョバーは、自己勘定で株取引できるが投資家とは接触できず、ブローカーは、投資家の取引をつなぐが自己勘定で株取引できなかったのです。

    大口の投資家は、低コストと利便性を求めて、アメリカ株式市場やフランクフルト市場に逃げ出し、イギリス証券市場の空洞化が深刻になります。

    証券業界のカルテル体質が原因で、イギリスの国債は、発行費用が異常に高く、政府を悩ませていました。
    当時のシティは、東京よりも遅れていたのです。

    1986年サッチャー首相は、ロンドン証券取引所の大改革を敢行します。

    ◆◆この急激な改革は、金融ビックバンと呼ばれました。◆◆
    ◆◆ この続きは、明日発表します。◆◆

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    (2001/3/23)
    宇宙の誕生と
    イギリスの金融ビックバン(後編)

    15年前、金融ビックバンが、炸裂し、イギリスの証券業界に過酷な競争社会が誕生します。
    手数料の自由化、取引会員の開放、業際規制の撤廃が同時に行われたのです。

    ジョバー13社のすべてと、ブローカー20社のうちの19社が他社に吸収合併されてしまいます。 イギリス系マーチャントバンクだけでなく、米国系、カナダ系、スイス系などの外資も買収に乗り出します。

    現在シティで上位にランクされるのは、メリルリンチ、JPモルガン、ゴールドマンサックス、SBCウォーバーグなどの外資系です。

    シティは、激烈な競争の結果、ウィンブルドン化(場所だけ提供しているが、テニスプレーヤーは外国人)したのです。

    しかし、証券取引は、活性化します。

    1986年10月、SAEQ(株式相場自動表示システム)が、ナスダックを手本に導入されます。 やがて、外国株もSAEQで取引されるようになります。外国株の印紙税(有価証券取引税)は、無税になります。

    1993年ロンドン証券取引所は、世界全体の外国株取引の60%を扱いました。 外国株の売買代金(96年、1兆ポンド)は、国内株(同年、7400億ポンド)より多いのです。なお、外国株のうちの18%は日本株で、東証一部の取引量の1/3にあたります。

    シティは、再びヨーロッパの金融の中心に輝いたのです。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・

    ビックバンから30万年後、温度が3000度Kに下がり、大事件が起こります。

    自由に宇宙を飛び回っていた電子が、原子核につかまります。 電子の雲が消え、光が、直進できるようになったのです。

    原子が誕生して、宇宙は晴れ上がったのです。
    この瞬間の光は、今でも3Kのマイクロ波として届いています。

    1992年、宇宙背景放射観測衛星COBEが、このマイクロ波を捕らえて、当時の宇宙の姿を描き出しました。 晴れ上がった宇宙は、均一ではなく100万分の1の揺らぎがありました。

    この揺らぎを種にして、重力の作用で、ゆっくりとヘリウムが集まりだします。

    50億年もの月日が、たちました・・・・

    こうして、銀河と恒星が、誕生します。
    宇宙は、今でも膨張し続けています。

    ◆◆昔から書きたかった話・・・宇宙誕生。◆◆
    ◆◆すっきりしました。◆◆

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    (2001/4/10)
    旧約聖書のパレスチナ問題
    (前編)

    旧約聖書というと、キリスト教を思い出す方が多いと思います。実は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、兄弟のような宗教で、旧約聖書はその共通の正典なのです。

    それどころか、同書によれば、ユダヤ人とアラブ人は共通の先祖を持っています。

    皆さん、ノアの箱舟の物語をご存知でしょう。人類が神の怒りに触れて、洪水で滅ぼされる話です。ノアの家族と二匹ずつの動物達だけが、巨大な箱舟に乗って助かります。

    ノアの子孫にアブラハムという名の重要人物がいます。

    彼は、神の命令によって、約束の地カナン(現在のパレスチナ)に向かいます。
    カナンに行けば、神の祝福が受けられるのです。

    彼には、サラという正妻がいましたが、なかなか子宝に恵まれません。
    サラは、思い余ってハガルという召使の女性を夫に勧めます。

    やがて、アブラハムとハガルとの間にイシマエルという息子が誕生します。
    このイシマエルこそ、全アラブ人の祖先なのです。(もちろん、預言者ムハンマドの先祖でもあります。)

    皮肉なことに、カナンの地でサラは、身ごもります。そして、イサクという息子が生まれます。
    イサクは、全ユダヤ人の祖先なのです。(そして、イエス・キリストの先祖でもあります。)

    そうです。ユダヤ人アラブ人異母兄弟だったのです。

    サラは、自分の子供ができると、ハガルとイシマエルを追放してしまいます。

    年をとってから出来た子供は、特に、かわいいといいます。

    神は、アブラハムに最後の試練を与えます。

    ◆◆無情にも「最愛の息子イサクを神聖な火で焼き、神に捧げよ」◆◆
    ◆◆とお命じになったのです。◆◆
    ◆◆ この続きは、明日発表します。◆◆

    (おことわり) 私は、無神論者です。

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    (2001/4/11)
    旧約聖書のパレスチナ問題
    (後編)

    アブラハムは、思い悩んだ末、神への忠誠を実行しようとします。

    ご安心下さい。
    神は、アブラハムの決意を確認すると、イサクを救い出し祝福を与えます。

    父子は、抱合って喜びます。

    それから、月日が流れます。イサクにも息子が生まれます。
    息子の名はヤコブといい、彼の子孫がユダヤ人なのです。

    ヤコブは、知らずに天使の化身と取っ組み合いをして勝ったことから、イスラエル(勝利者)と言う名を神から授けられます。 今日のユダヤ人国家の名は、彼に由来があるのです。

    ヤコブには、12人も息子がいました。
    彼らは、それぞれイスラエル12部族の祖先になります。

    神は、ヤコブに約束します。
    あなたが伏している地を、あなたと子孫とに与えよう。(創世記28章13節)

    そして、このカナンの地とは、
    エジプトの川から、かの大川ユウラテスまで。(創世記15章18節)」をさします。

    なんと、パレスチナのみならず、シナイ半島、ヨルダン、シリア、
    レバノン、イラクの一部まで入ってしまうのです。

    周辺諸国が、警戒するのも当然です。

    世界に散らばったユダヤ人が、力を結集してイスラエルを建国できたのは、旧約聖書のこの文章が重要な役割を果たしたことは、間違いありません。

    ユダヤ人がパレスチナに実際に国家を築いたのは、モーゼがエジプトを脱出してヘブライ王国を建設したBC1000年頃です。
    新バビロニアがユダ王国を滅ぼして、ユダヤ人をバビロンに連行したのがBC587年(バビロン捕囚)。

    その後BC164〜BC63、ローマから一時的にユダヤ人が独立した時期を含めても、ユダヤ人のパレスチナ支配の歴史は、わずか500年です。

    そのユダヤ人が、2000年の空白期間を無視して、先住民族パレスチナ人を追い出してイスラエルを建国したのです。

    神から与えられたという理由で・・・

    ◆◆アラブ側が怒る気持ちも、わかりますね。◆◆
    ◆◆ 人類の火薬庫、パレスチナ問題は、恐ろしく根が深く、解決困難なのです。◆◆

    (追伸)松下通信工業、損切りしました。

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    (2001/4/16)
    出エジプト記とイスラエル建国
    (前編)

    ユダヤ人の始祖ヤコブの11番目の子供が、ヨセフです。 彼は、数奇な運命を辿った後に、エジプトに奴隷として売られます。

    しかし、彼には特技がありました。 人の夢を解く能力があったのです。
    彼の能力は、次第にエジプトで評判になります。
    エジプトのファラオが、こんな夢を見ました。

    「肥えた美しい7頭の雌牛が、やせ細った醜い7頭の雌牛に食い殺される」

    ヨセフは、「7年の豊作が続いた後、7年の凶作が続く」と夢の意味を解いてしまいます。

    そして、その回避の仕方をもファラオに教えます。
    ヨセフは、ファラオの信頼を得て、大臣に取り立てられます。

    すっかり出世したヨセフは、飢饉に苦しむ父ヤコブと11人の兄弟達をエジプトのゴシェンに呼び寄せ、幸せに暮らします。
    ユダヤ人は数を増し繁栄して、エジプトで一大民族を形成するようになります。

    ヨセフが亡くなり長い年月が経つと、歴代のファラオは、ユダヤ人の存在を恐れるようになります。

    セチ一世やラメセス二世は、ユダヤ人から財産をとりあげて、奴隷にしてしまいます。
    ユダヤ人は、建築労働に酷使されるようになったのです。

    ユダヤ人を奴隷にしても、いつか反乱を起こすのではなかろうか?

    ファラオは、心配のあまり、ついに過酷な命令を発します。

    ユダヤ人の男の赤ん坊は、一人残らずナイル川に放り込め。

    一人の赤ん坊が、この頃ユダヤの家庭で産声を上げたのです。
    彼は、後にモーゼと呼ばれるようになります。

    ・・・・・・・・・・・

    シオニズムは、19世紀後半にブダペスト生まれのドイツ系ユダヤ人、テオドル・ヘルツルによって創始された、といわれます。
    「離散したユダヤ人は、シオンの丘に帰って、ユダヤ人の国家を作ろう」という運動がシオニズムです。

    この背景には、ヨーロッパで起きたユダヤ人排斥運動や虐殺(ポグロム)があると思います。
    ロシアや東欧のポグロムが、ユダヤ人の同化を妨げ、シオニズムに駆り立てたのです。

    ◆◆もし、ヨーロッパにユダヤ人差別がなかったら、◆◆
    ◆◆イスラエルという国は存在しなかったと私は思います。 ◆◆
    ◆◆この続きは、明日発表します。◆◆

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    (2001/4/17)
    出エジプト記とイスラエル建国
    (中編)

    家族は、赤ん坊がかわいくて、3ヶ月間密かに育てます。しかし、これ以上隠し切れないと悟り、赤ん坊を篭に入れナイル川に流します。

    幸いにも、水浴びに来ていたファラオの娘が、赤ん坊をみつけて助けます。彼女は、赤ん坊にモーゼという名をつけ、王族として育てます。

    モーゼは、大人になります。そして、ついに自分が奴隷のユダヤ人の子供であるという秘密を知ってしまいます。 ある日、奴隷の監督をしていたエジプト人を殺してしまったことがきっかけで、王宮を飛び出します。

    それから、長い年月が経ち、モーゼは神の言葉を聞き、自分の使命を悟ります。

    エジプトのユダヤ民族を引き連れて、
    約束の地カナンに行かなければならないのです。

    ・・・・・・・・・・・

    パレスチナ人は、7世紀頃から1200年間、パレスチナで主流を占める民族です。

    1895年のパレスチナの総人口は、約50万人です。
    パレスチナ人が45万人(90.6%)を占め、
    ユダヤ人は、わずか4万7000人(9.4%)に過ぎません。

    ユダヤ人の同化が進んでいると思われていた、フランスで事件が起こります。 ユダヤ人仕官ドレフュス大尉が無実の罪で、ドイツのスパイ容疑をかけられ、フランスの反ユダヤ感情が高まリます。

    危機感を持ったユダヤ人は、1897年8月、スイスのバーゼルで第一回シオニスト会議が開かれます。
    この会議で秘密裏に、ユダヤ人の国家をつくることが目標となリます。

    もう、これ以上、悪意に満ちたヨーロッパにはいられない、と決心したのです。
    ナチスのホロコーストにより、この判断は正しかったことが証明されます。

    ポグロムが続くロシア、東欧から多くのユダヤ人が、オスマントルコに支配されていた聖地パレスチナへと、大移動を始めます。

    オスマントルコが第一次世界大戦で敗れると、イギリスがパレスチナの新支配者になります。 イギリスは、ユダヤ人とアラブ人を分割統治して、中東の信託統治(1920年から実施)をやりやすくしようと企てます。

    1917年、バルボア宣言により、「イギリスは、パレスチナにおけるユダヤ人の民族的ホームの設置に好意を抱いている」ことが明確になったのです。

    ◆◆イギリスのお墨付きを得て、ユダヤ人の人口は増加します。◆◆
    ◆◆ユダヤ人はパレスチナ人から土地を買い占めます。◆◆

    ◆◆先住民族パレスチナ人は、追い詰められ危機感を募らせていきます。◆◆
    ◆◆明日は、完結編です。◆◆

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    (2001/4/18)
    出エジプト記とイスラエル建国
    (後編)

    ついに、モーゼは、ユダヤ人の先頭にたち、エジプトを脱出します。 奴隷がいなくなると国力が衰えるので、ファラオは軍隊を差し向け、これを防ごうとします。

    モーゼ達は、紅海の海岸でエジプト軍に囲まれます。モーゼは、神に祈りを捧げます。

    その瞬間、雷鳴が轟き、海の波が逆巻きます。
    紅海がまっぷたつに割れて、海の底が出現し、対岸への一筋の道が生まれます。

    エジプトからシナイ半島へ、ユダヤ人達は、海底の道を歩みだします。

    エジプト兵も、モーゼを追って、海底の道を突き進みます。
    すると、突然、海水の絶壁が崩れ落ち、エジプト軍は溺れてしまいます。

    シナイ山に到着すると、モーゼは、守らなければならない掟、十戒を神から与えられます。

    それから40年後。

    ユダヤ人は、先住民族の立てこもるエリコの城壁を破り、約束の地を手に入れます。

    以上は、もちろん伝説ですが、エジプトのユダヤ人たちが、BC1000年頃カナンの地に国家を建設したことは、間違いありません。

    ダビデ王やその子ソロモン(証券会社の名に、ありましたね。)の時代、ユダヤ人の王国は最盛期を迎えます。

    しかし、新バビロニアのネブガデネザルが
    エルサレムを征服し、王国は破壊し尽くされます。

    ・・・・・・・・・・・

    1933年、ナチス政権が成立すると、多くのユダヤ人がパレスチナに脱出します。 アラブ人とユダヤ人の紛争も激しくなります。

    1947年、両者の紛争が手に負えなくなったイギリスは、国連に解決を一任します。 同年11月、国連は、パレスチナを両民族で分割する案を採択しますが、パレスチナ人はこれを拒否します。

    1948年4月、デイル・ヤーシン村で254人のパレスチナ人(女、子供を含む)がシオニスト武装集団に殺されます。 パレスチナ人を恐怖に陥れ、国外に追い出すのが目的でした。 この思惑は成功し、パレスチナ人の脱出、難民化が始まります。

    1948年5月14日、ユダヤ人の指導者、ベン・グリオン
    イスラエルの独立宣言を高らかに読み上げます。

    翌15日、トランス・ヨルダン、エジプト、イラク、シリア、レバノンのアラブ諸国は、イスラエルに宣戦布告し、第一次中東戦争が勃発します。 ユダヤ人は、パレスチナを守り抜きます。

    こうして、ユダヤ人国家イスラエルと150万人の新しい流浪の民、パレスチナ難民が生まれたのです。

    ◆◆イスラエルは、核兵器を既に、所有しています。◆◆
    ◆◆ アラブ側も核兵器を手に入れるのは、歴史の必然でしょう。◆◆

    ◆◆ ダビデ王の栄華には、今回も終わりがあるかもしれません。◆◆

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    (2001/10/7)
    ソ連軍VSイスラム戦士達(前編)

    ジリ貧状態に陥ったソ連のブレジネフ首相は、西側諸国との冷戦を有利に転換するため、抜本的な戦略を練りあげます。

    アフガニスタンとパキスタンを共産化して、インド洋に橋頭堡を築こう!
    そうすれば、国王の支配する時代錯誤の国家、サウディアラビア、クウェート、イランにも共産革命が起こり、東側が石油を独占できる。

    作戦は、アメリカに気づかれないように、特別な日に決行します。

    1979年12月のクリスマス、ソ連はアフガニスタンに侵攻します。
    電撃作戦は成功し、アフガニスタン大統領は暗殺され、親ソ連の傀儡政権が成立します。

    ソ連の野望は、成功したかに見えました。
    西側諸国は猛反発して、翌年のモスクワ五輪をボイコットします。

    しかし、この後ソ連兵は、アフガニスタンで地獄を見ることになります。

    多民族のイスラム教徒民兵組織が大同団結して、山岳地帯にたてこもりゲリラ戦を展開します。 彼らは、ムジャヒディーン(イスラム聖戦士達)と呼ばれました。サウディアラビア、パキスタン、イランなどからイスラム教徒の義勇兵が応援に駆けつけます。今話題のビンラディンもその一人です。

    タリバンに敵対する北部同盟(ドストム派、ヘクマティヤル派、ラバニ派・・)もムジャヒディーンとして、ゲリラ戦を展開しました。 アメリカとパキスタンも、ムジャヒディーンを支援します。 ビンラディンのアフガニスタンの基地は、皮肉にもアメリカの援助で完成しています。

    ソ連で、一番活躍したのは、スペツナズという特殊部隊です。彼らは高度な訓練を受け、山登りが得意で、ムジャヒディーンの後方を撹乱し退路を断つのに成功します。 しかし、一般のソ連兵は、果てしないゲリラ戦に戦意を失い、約60%が麻薬(ハシシ)を常用するようになります。

    焦った、ソ連軍は、次第に残虐になります。

    1982年ウォダク州での戦闘中のことです。
    ソ連軍は、ムジャヒディーンに追い詰められ、トラック2台分の死傷者が出ていました。
    その時、ソ連軍は、ムジャヒディーンにガス弾を打ち込みます。
    たちまち、17人が死亡して戦局は逆転します。

    化学兵器(トリコセシン・マイコトキシン)を使用したようです。
    ソ連は、多くの種類の化学兵器をこの戦争で実験したそうです。

    また、ラーマーンという場所では、民間人1500人が虐殺されました。
    アメリカがベトナム戦争中行った、ソンミ村の虐殺を連想します。

    ◆◆「聖戦(ジハード)で殉死した戦士は、天国で永遠の幸福を得る」◆◆
    ◆◆イスラム戦士は、そう信じているのでしょうか?◆◆

    ◆◆ この続きは、明日発表します。◆◆

    (参考文献)「アフガンゲリラとの100日」 ジャン・グッドウィン著、三宅真理訳

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    (2001/10/8)
    ソ連軍VSイスラム戦士達(後編)

    ソ連軍は、アフガニスタンで泥沼の戦争を9年間続けます。
    そして、山岳地帯に潜むムジャヒディーンを屈服させることは、ついに出来ませんでした。

    公式発表によれば、ソ連軍は13,000人の戦死者を出しました。
    アフガニスタンから周辺諸国への難民は、最もひどい時は、600万人にも達したそうです。

    1985年ゴルバチェフがソ連共産党書記長に就任し、ペレストロイカ(改革)を開始します。
    そして、1988年ゴルバチェフは、ソ連軍の不毛の地アフガニスタンからの撤退を決断します。

    1992年、ムジャヒディーンはカブール制圧します。ソ連の後ろ盾を失ったナジブラ政権は、崩壊します。 その後、ムジャヒディーンは、各派に分裂し、内戦が始まります。

    イスラム原理主義の神学生達の集団、タリバンが国土の95%を制圧します。

    タリバンは、女性に対し教育や就業を禁止して、男性に対して髭を強制しているそうです。違反者は、宗教警察により監獄に入れられ鞭で打たれるそうです。

    今年の3月には、偶像崇拝は禁止という理由で、バーミアンの世界的な仏教遺跡を破壊しています。

    さて、この戦争は、その後のソ連にも影響を与えます。
    ソ連の将軍達は、アフガニスタンからの撤退に強い不満を持ちます。

    戦争に負けたのは、ゴルバチェフのせいだ!
    これが一つの要因となり、1991年8月18日のヤナーエフ副大統領らのクーデター未遂事件とその後のソ連崩壊に繋がります。
    「イスラム聖戦士達のジハードが、軍事大国・ソ連を崩壊させた」とタリバンは信じているかもしれません。

    さて、テロリストへ空爆が未明から始まりました。
    タイミングよく放映された、ビンラディンのイスラム教徒への呼びかけも不気味です。

    「不朽の自由」作戦を展開する米軍が、「侵略者」ソ連軍と似ていると言うつもりは全然ありません。

    タリバン兵が北部同盟に投降して、国際的に孤立したタリバン政権は意外と早く崩壊するとの説もあります。

    ◆◆しかし、アフガニスタンには、1000万発の地雷が埋まっていて、◆◆
    ◆◆すぐには進軍できないという話もあります。◆◆

    ◆◆ たとえカブールやカンダハルが陥落しても、◆◆
    ◆◆タリバンは山岳地帯にたてこもるでしょう。 ◆◆
    ◆◆ 果てしないゲリラ戦が続く可能性は、否定できません。◆◆

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