■J_Coffeeの徒然草(22巻)■

---目次---
  • NTTドコモ大引け急騰の謎(後編)
  • 麻雀の思い出(前編)
  • 麻雀の思い出(後編)
  • 戒名について
  • 徳川吉宗と米相場(前編)
  • 徳川吉宗と米相場(後編)
  • 元文の改鋳
  • 小泉・竹中コンビのもたらすもの

  • (2002/8/6)
    NTTドコモ大引け急騰の謎(後編)

    さて、7月29日大引けに急騰したドコモに関して、ある方から素晴らしいメールを頂いたので、その中身を公表させていただきます。

    銀行などの持ち合い株で、TOPIX型ETFを組成するため、7月、足りない株が業種別に買われたという話を、よく聞きます。 大引けに買いは集中して、次の日には元に戻ったそうです。

    最初の買いは、7月18日の大引け5分に来ました。

    食品、化学、ゴム、ガラス、金属製品 電気機器、海運、小売 証券、不動産の業種ですが、ストックウェザーのチャートが見事にこの現象を捉えています。

    第一回業種別値上がりと翌日の値下がり(2002/7/18〜19)


    右の小さな図が、特定業種に集中して、赤くなっているのが分かります。この日の大引けに怒涛の買いが来ました。
    そして、翌日の終値は、左の大きな図です。同じ業種が青くなっているのが分かります。つまり、もとの価格に戻ってしまったというわけです。

    二回目は、7月24日の大引けに怒涛の買い。
    業種は、建設 繊維 鉄鋼 輸送用機器 その他製品 銀行 保険業 サービス業 で、
    この日は300銘柄以上ありました。

    さて、メールを送ってくれた方は、残りの業種は、推定出来たそうです。
    農林 鉱業 パルプ 医薬品 非鉄金属 機械 精密機械 陸運 卸売業 その他金融 でした。

    次は7月26日〜7月31日にありそう、と思い毎日チェックしていたら

    ・・・ドコモが上がった7月29日、大引け・・・・・
    三度目の怒涛の上げが、やってきます。

    翌日には元に戻るので、引け前に10%上で売り指値をすればノーリスクでした。(ただし、ドコモだけは、翌日も株価が維持されました)
    メールを書かれたゴルゴ13さんは、空売りをしないかたでした。買い狙いで銘柄選びしましたが、うまくいかなかったそうです。
    5%上昇が普通で10%までいっているのは売り物が少ない場合となっています

    第三回業種別値上がりと翌日の値下がり(2002/7/29〜30)


    ◆◆その日に動いていない銘柄で、300円以下が狙い目だったそうです。◆◆
    ◆◆ もう少し前に知っていれば、空売りできたのに・・・惜しい◆◆

    (参考)ストックウェザー

    ゴルゴ13さんの貴重なメールの内容を、紹介させていただきました。

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    (2002/8/11)
    麻雀の思い出(前編)

    私が、大学生の頃、麻雀が流行していました。
    このゲームは、株とよく似ていて、私の性格にピッタリです。

    直ぐにルールを覚え、のめり込んでいきました。
    朝、講義に出席するため、大学に行くと、一人足りないから雀荘に来いといわれ、そのまま夜まで麻雀に熱中する。
    そんな日が続きました。

    成績は悪くなり、勉強で身を立てようという計画も挫折。
    しかたなく、就職をします。

    しかし、この趣味は、役にたつこともありました。

    私の上司達は、ほとんどが麻雀好き。
    一方、私より下の世代は、麻雀が廃れた時代に育ち、ルールも知りません。

    下っぱの私は、給料日に麻雀の集金と分配をやらされました。 この係りを何年も務めるとともに、スペア要員として重宝がられました。
    特に、Nという実力者には、可愛がられました。
    もちろん仕事の上でも、彼の指令に従い、私も一生懸命働きました。

    彼は、女性にもてない私の将来を心配して、お見合いをアレンジしてくれました。
    今の妻とは、麻雀がなかったら結ばれていないと思います。

    さて、婚約が決まって直ぐ、N氏と私は、麻雀卓を囲みます。

    南4局、最終局面、ダントツでトップを走っているのは、私でした。
    計算に間違いがなければ、N氏は2位のはず。

    麻雀はトップになり、賞金の獲得を競うゲームなのです。

    戦略家の私は、平和(ピンフ)という安い手で、逃げ切りを図ります。
    N氏は、万子のみを集めて、大きな手で、一発逆転を狙っているようです。

    ついにN氏の手から一万と三万が余り、捨てられます。
    そして、それから3周目、N氏は新しい牌をつもると、少し考え、手の内から四万を取り出し捨てます。

    N氏は「リーチ」と高らかに宣言します。
    リーチというのは、上がる体制が整っている(これをテンパイといいます)ので、危険な牌は振り込めないという宣言です。

    こうした場合、ソバテンといって、最後に棄てた四万の側(ソバ)の牌は、特に危険です。
    新しい牌をつもると、私も上がる体制が整います。

    ◆◆しかし、それには、余分な五万を捨てなければなりません。◆◆
    ◆◆ 五万・・・N氏に振り込みそうな最も危険な牌◆◆

    ◆◆ 私は、考え込みました。◆◆
    ◆◆この続きは、明日発表します◆◆

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    (2002/8/12)
    麻雀の思い出(後編)

    本来なら、金持ち喧嘩せず。ここは、降りるべきでしょう。

    しかし、仲人のN氏には、いろいろと御世話になっています。
    私は、N氏に対する感謝の気持ちで、胸がいっぱいになります。

    今月は、株で稼いだし、接待マージャンをしないと・・・

    私は、「エイヤ!」と危険牌五万を棄てました。
    出血大サービスで、N氏に振り込んだつもりだったのです。

    ところが・・・

    N氏の表情が曇り、一瞬、怒ったように見えました。
    なんと無事に通ってしまったのです。

    そして、N氏の順番になります。彼は、指の腹の感触で、牌を確かめ、そのまま棄てます。

    三筒

    その瞬間、私は先ほどの決心を忘れ、思わず反射的に・・・

    「ロ〜ン(上がり)!ピンフのみ。たったの千点」
    と明るい声で、言ってしまったのです。

    N氏の顔は、一瞬歪んだように思えました。しかし、直ぐに、いつもの笑顔に戻ります。

    N氏が手を崩す時、私は偶然、彼の待ちを盗み見ることができました。

    七対子

    万子を集めていると見せかけていたのは、罠でした。 一個しか残っていない一筒の地獄待ち。二筒は、出尽くしているので、最後の一筒には、使い道はありません。

    彼は、私を降ろさせて、安全牌を出させ、それで当たって逆転しようという作戦でした。
    私に接待の心がなければ、ひっかかっていたかもしれません。

    それから、1ヶ月、N氏からは、麻雀のお誘いがありませんでした。

    ◆◆面倒見のよいN氏は、社長候補にまでなりますが、◆◆
    ◆◆最後の一騎打ちに敗れ、退職されました。◆◆

    ◆◆ こんな私は、出世しそうにもありません。◆◆

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    (2002/9/2)
    戒名について

    父が亡くなり、悲嘆にくれた次の日、私は我家の菩提寺(東京)の住職のところに葬儀の打ち合わせに行きました。

    住職は、戒名に入れる字を選ぶため、父の性格や趣味を聞きました。
    そして、最後に、住職は姿勢を正し、「ところで、戒名は院居士になさいますか?」と聞きます。

    戒名には、格付けがあるようです。

    上から順番に上げると次の表のとおりです。

    男の場合女の場合
    ○○院殿○○居士○○院殿○○大姉
    ○○院○○居士○○院○○大姉
    ○○居士○○大姉
    ○○信士○○信女

    もちろん、何をつけるかで、お布施の額が異なります。
    祖父の戒名と同じにするのが、常識的かな・・・私は、決断します。

    「ぜひ院居士で御願いします。あの〜、お通夜、告別式、戒名代全部合計で、いかほどお布施すれば、よろしいのでしょうか?」

    住職さんは、にっこり笑って答えます。

    「葬儀屋さんに相談されたら、いかがでしょうか。」

    さて、私は、家に帰り早速、葬儀屋に相場を聞きます。
    院居士の値段とは・・・なんと100万円


    すべてが終わり、ふと冷静に考えると・・・
    たった二晩で領収書も出さずに100万円も稼ぐとは、坊主とはいい商売だな。

    株だって、それだけ儲けるのは、一苦労です。
    そういえば、住職さんの息子の奥さんが美人だった。まるで、お医者さんの奥さんよう。

    坊さんは、ちょっと取り過ぎでは、ないでしょうかね?こんな馬鹿げた風習は、やめるべきでしょう。

    もっとも、○○信士なら、お布施は30万円?で済むかもしれません。
    さて、ここで息子(いつかこれ読んでくれるかな?)に遺言です。

    ◆◆信仰心に乏しい私は、信士で充分。◆◆
    ◆◆ それより戒名に珈琲の二字を必ず入れてね。◆◆

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    (2002/9/25)
    徳川吉宗と米相場(前編)

    TV番組「暴れんぼう将軍」などで有名な、8代将軍・徳川吉宗は、江戸幕府中興の祖といわれています。 倹約令で緊縮財政を実施して、綱吉の治世(元禄時代)に破綻した幕府の財政を立て直した、といわれています。

    しかし、町人に対して絹の着物を禁じ、芝居などを制限します。

    「享保の改革」というデフレ政策のおかげで江戸の街は不景気のどん底に落ちた、という話もよく聞きます。 この時代背景は、今日の日本とよく似ています。

    小泉総理と将軍吉宗を比較すると、何かヒントが得られるかもしれません。

    さて、吉宗の経済施策です。

    町人請負方式による新田開発に力を注ぎ、米の増産に尽力します。

    そして、1722年、上米の制を定めて、1万石につき100石の米を幕府に差し出させます。
    大名の不満を抑えるため、参勤交代を負担を半分に軽減しました。

    旗本とっては、1%の給料カットです。

    旗本の不満をそらす為に、吉宗は、相対済まし令を発布します。これは、旗本・御家人の借金訴訟は受け付けないという命令です。二人で相談して、結論を出せというわけです。 簡単にいうと借金の棒引きですね。

    そして、最後の切り札は、増税。
    消費税・・いや米の税率を4公6民から、5公5民に変更します。

    農民は、怒ったでしょうね。
    さて、こうした施策は、米にまつわるものが多いですね。

    新田開発や税率アップによって、増加した米は、市場に出回り、供給過剰となります。
    需給ギャップが何をもたらすか?

    吉宗が、支配しようとして、どうしても思うように出来なかったものが一つあります。

    ◆◆それは、・・・堂島の米相場。◆◆
    ◆◆ デフレの時代、特に米価格の暴落は、深刻でした。◆◆

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    (2002/9/27)
    徳川吉宗と米相場(後編)

    吉宗は、せっかく手に入れた年貢米が、商人により買い叩かれるのが我慢できなかったのでしょう。

    吉宗は、後世に米将軍と言われるほど、米相場に関心をもっていました。
    1730年5月、それまで私的に運営されていた、大坂堂島米市場を公認します。

    幕府は、米価の暴落を防ごうと、米の買い上げ令を発布して、商人を困らせたようです。 今日のPKOのようなものでしょうか。しかし、米価は吉宗の思い通りにならなかったようです。

    米切手(倉荷証券)の転売を認め、世界初の先物取引が行なわれたのも、吉宗の時代です。
    米の清算取引は、一割の保証金で、相場が張れます。

    敗れた者は追証を払えず破産し、勝った者は富を築き、相場師が誕生します。
    伝説の相場師・本間宗久(1717〜1803年)が、酒田や堂島で活躍したのも、この時代です。

    1732年、あれほど上がらなかった米価が、暴騰し始めます。

    何故か?
    酒田の若き宗久は、考え込みます。

    ・・・・それは、西日本の暑い夏の日のことでした・・・

    黒い雲が低空に立ち込め、渦巻き、急降下して、急速に近づいてきます。
    黒い雲は、無数の点となり、田んぼに襲い掛かります。

    雲の正体は、大量発生したイナゴの大群でした。
    通り道の稲の葉は、イナゴに食い尽くされ全滅し、
    何も残りませんでした(享保の大飢饉)。

    その年は、種籾さえも収穫されませんでした。

    通信手段が、無い時代です。大坂-酒田間は船で15日もかかります。
    本間宗久は、どんな手段で、この情報を知り、千載一隅のチャンスをものにしたか?

    想像力を刺激されます。
    そんな空想物語を書きたい気がしますが、材料が乏しくて断念しました。

    さて、5公5民の年貢の増税と、大飢饉に打ちのめされた農民は、一揆と打ちこわしで反発します。 幕府は、秘蔵の米を放出して、農民の飢えを満たすしか道がありませんでした。

    1751年(宝暦元年)6月20日、徳川吉宗が死去します。
    側用人が、吉宗の身の回りの品物を整理します。 吉宗が常に側らに置いていた小箱をあけると・・・

    ◆◆数百枚の紙片がでてきます。◆◆
    ◆◆ その紙片には、毎日の米価の動きが記録されていたそうです。◆◆

    (参考)「本間宗久翁秘録を読む」 青野 豊作著 

     

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    (2002/10/6)
    元文の改鋳

    前回ご紹介したのは、徳川吉宗の享保の改革という緊縮政策で、悪性デフレが進行したことでした。
    アマポーラさんのご指摘で、元文の改鋳という経済政策を知ることができました。

    徳川吉宗は、貨幣の質を落とすことには、消極的でした。 しかし、デフレ不況は、ますます深刻化します。

    1736年(元文元年)5月、町奉行大岡忠相の主張を受け入れ、徳川吉宗は、貨幣の改鋳を断行します。

    これまで流通していた享保小判の重量は4.76匁、金の含有量は86.71%でした。
    新しく発行された元文小判の重量は3.5匁で、金の含有量は65.71%にすぎません。

    享保小判が元文小判の何倍の金を含んでいるかを計算しましょう。
    4.76×0.8671÷(3.5×0.6571)=1.795倍@

    大岡の優れたところは、交換比率を1.65に定めたことです。
    この交換比率では、幕府は損をします。

    なぜ、そんなことをしたのか?

    こうした有利な交換を増歩交換といいます。
    すなわち、旧小判を退蔵するより、新小判に交換して使用するほうが有利となります。

    このために、新小判への交換が一気に進み、小判の発行量は40%も増加します。
    幕府の狙いは、小判の流通量を増やすことだったのです。

    同時に、丁銀及び豆板銀も改鋳します。
    旧銀貨の銀含有量は80%に対し、新銀貨は46%です。

    80÷46=1.739

    つまり、新旧金貨の金含有比率@とほぼ同じです。
    そして、旧銀貨と新銀貨の交換比率は、1対1に据え置きました。
    すなわち、この交換により、幕府は差益を得ることが出来ました。

    貨幣の流通量の増加は、デフレで、苦しむ江戸時代の経済のカンフル剤となります。大坂堂島の米相場は、5年間で2倍にまで騰貴します。米を収入の源としていた幕府の財政は、立ち直ります。

    ◆◆火の消えたようだった江戸の景気は、回復したのです。◆◆
    ◆◆ さて、現在のデフレ日本。教訓に出来ないものでしょうかね?◆◆

    (参考ホームページ)甲斐素直の家

     

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    (2002/10/7)
    小泉・竹中コンビのもたらすもの

    郵政民営化に熱心な小泉さんのことは、心情的に、私は大好きです。しかし、総理就任以来、その政策に不安を抱いておりました。彼に捧げるつもりで去年7月に金解禁物語を書き、デフレ政策に対する警鐘を鳴らしました。

    この物語では、浜口首相と小泉首相、井上蔵相と竹中大臣を瓜二つだと指摘しました。
    そして、先の内閣改造で、竹中氏と対立していた柳沢金融相が解任され、竹中経済財政相が兼務することになりました。


    竹中氏の発言によれば、銀行に対して公的資金の強制資本注入も辞さず、メガバンクも例外扱いしないそうです。 貸し出し企業の選別を行い、不良債権の処理を本格的に行うという並々ならぬ決意表明です。

    今日の東京株式市場、日経平均は、339円55銭安の8688円ちょうどと、バブル経済崩壊後の最安値を更新しました。8700円割れは、実に、約19年4か月ぶりだそうです。

    掲示板を巡回すると、どこも意気消沈、荒れているところもあるようです。
    私も含め、買いの推奨は、ことごとく外れ、厳しい立場に追い込まれた管理人も多いようです。
    こんな時は、損された人も、大目に見てあげて欲しいものです。

    市場は、ハードランディングによる企業倒産や景気の悪化を敏感に感じ取ったのでしょう。
    倒産により、失業率も増加して、購買意欲は減退するかもしれません。

    この先どうなるか? 値ごろ感からの自律反発か?それとも追証の投げによる続落か?

    短期的には、よく分かりません。
    しかし、少なくとも、中期的には、株価は下がるような気がします。

    私の小泉さんに対する不安は、どうも的中しそうです。 小泉と竹中のコンビは、アメリカの大恐慌の時の悪役フーバー大統領の役割を担う気がしてなりません。

    インフレを起こし、土地や株価が上昇する政策転換は、まだ先です。
    フーバーが罵声を浴びせられて退場し、希望の星ルーズベルトの登場を待つ必要があるのです。

    ◆◆とらぞーさんのように、売り玉はありませんが、私のキャッシュは9割以上。◆◆
    ◆◆ 値段に惚れて、買わないよう努力しています。◆◆
    ◆◆ 最後に、私の予測は、よく外れると付け加えておきましょう。◆◆

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