■J_Coffeeの徒然草(11巻)■

---目次---
  • 不動産投信は、9月10日東証に初登場
  • 錬金術師ニュートン
  • テロ報復戦争と湾岸戦争(前編)
  • テロ報復戦争と湾岸戦争(後編)
  • NY株式市場の再開
  • ケチな性格と株式投資

  • (2001/8/27・・改定8/31)
    不動産投信は、9月10日東証に初登場

    最近、都内のテナントビルの価格が高騰している、との噂を聞きました。
    不動産投信のファンドマネージャーが高値でビルを買いあさり始めたのが、原因のようです。

    いよいよ、9月10日、二つの不動産投信(J-REIT ジェイリートと読みます)が、東京証券取引所に上場されます。
    日本ビルファンド(三井不動産系列)とジャパンリアルエステイト(三菱地所系列)のニ銘柄です。

    ファンドは、無期限に続くのです。

    投資家は、解約は出来ませんが、市場でいつでも売却できます。
    一口約50万円で株のように売買することが可能なのです。

    テナントビルのほか、ホテル、ショッピングセンターなど賃貸収入があるものなら、何でも対象になるようです。 もちろん、更地は、対象になりません。

    どんなビルを所有して、賃貸収入がいくらあるかは、公表されます。

    利益の90%以上を配当すると、法人税が無税になります。
    このメリットにより、魅力的な高配当が可能になります。


    配当は、テナントビルの利回りから考えると、年率約4〜5%になる可能性が高いようです。
    銀行預金に比べて高いので、人気が出るでしょう。

    不動産株を買うより、効率が良いですね。

    重要な点は、不動産投信の価格の決定メカニズムです。

    土地や建物の値段で決まるというより、需給関係で決まる可能性があります。
    3%まで買われるなら、大幅に高騰するかもしれません。

    心配なのは、地震よるビルの倒壊でしょうか。

    ◆◆私は、公募に参加してみようと目論んでおりますが・・・・◆◆
    ◆◆ 真似して、損しても知りません。◆◆
    ◆◆ 明日は、仕事で休みます。◆◆

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    (2001/9/12)
    錬金術師ニュートン

    1984年頃に最も値上がりして、話題になった株といえば、持田製薬です。

    抗がん剤(名前は忘れました)を開発中との材料で、この株2000円台から、16,600円まで駆け上ります。
    連日、取引高が東証で第一位となります。

    テクニカルで判断すると、抗がん剤の開発は順調に進んでいるとしか思えません。
    近く、世界的な新薬が誕生するはずです。
    私は、この種の相場に弱いので買えずに、指を加えて毎日溜息ばかりついていました。

    ところが、現実は、まったく違っていました。
    開発は、完全に失敗に終わり、期待感だけで株が上がっていたのです。

    まさに、錬金術で、鉛が本物の黄金になり、そしてもとの鉛に戻ってしまったのです。
    黄金の輝きは一瞬で消え、悲劇が始まります・・・

    株の世界では、よくあることです。

    前置きは、このぐらいにして、今日はニュートンのお話です。

    ・・・・・・・・・・

    万有引力を数式化して、運動方程式を確立した偉大な物理学者アイザック・ニュートンには、秘密がありました。

    彼は、物理の研究をする傍ら、黄金を製造して、莫大な富を手に入れようと考えていたのです。 彼は、バビロニア人やシュメール人の書いた錬金術についての文献を漁り、実験を繰り返しました。

    その結果、ニュートンは、水銀中毒に侵されます。
    彼は、黄金を作るのには、失敗しますが、
    もう少し努力すれば必ず成功すると信じていたようです。

    彼は、20年以上の錬金術の研究を膨大な文書にまとめています。

    さて、本業の物理学のほうは、順調です。
    1687年、プリンキピア・マティカが出版され、ニュートン力学の全貌が明らかになります。

    ニュートン力学は、賞賛をもって受け入れられ、ニュートンは、ロイアル・ソサエティの会長に就任します。

    ニュートンの名声は高まり、神格化されます。
    「ニュートンが錬金術師であった事実」は、彼をよく知る人達の協力で、固く封印されます。


    ・・・・・さて、250年後のことです・・・・・

    1936年、ニュートンの末裔が金に困り、彼の膨大な錬金術関係の文書を競売にかけます。

    その後、この半数の資料を手に入れたのは、有名な経済学者のJ・M・ケインズです。

    ケインズの紹介により、封印は解き放たれ、
    大物理学者と錬金術師が同一人物であることが明らかになり、世界中が驚きます。

    ◆◆ところで、私事で恐縮ですが、◆◆
    ◆◆当たりやは誰だで、8月のグランプリ受賞しました。◆◆

    ◆◆ おかげ様で、少し、高い本が買えそうです。◆◆

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    (2001/9/16)
    テロ報復戦争と湾岸戦争
    (前編)

    世界貿易センタービルへのテロで、アメリカ国民は星条旗を振りかざし団結して、報復を望んでいます。
    ビンラディンをかくまうアフガニスタンとの戦争が不可避のようです。

    2000kmの補給路が必要な内陸国との本格的な戦争は、短期間の勝利が難しいそうです。 イスラム原理主義の神学生の建国したタリバンが、「イスラムの英雄」ビンラディンを引き渡す可能性も低いと思います。

    さて、今日の状況は、1990〜1991年のイラクのクウェート侵攻と湾岸戦争の頃の状況と似ています。
    そこで、参考となるかどうかはわかりませんが、当時の日経平均株価を振返ってみたいと思います。

    さて、イラクのクウェート侵攻が始まったのは1990年8月2日です。
    侵攻時刻がよく分かりませんが、この日の日経平均は、600円安の30200円です。
    翌日の8月3日は、前日と同じ値段で寄り付きますが、終値は700円安となります。

    次の8月6日は何と1000円安、7日も900円安です。
    さすがに次の8日は、リバウンドしていますが、直ぐに暴落トレンドに戻ります。

    フセインがサウディアラビアに侵攻するとの説もあり、毎日憂鬱な日が続きました。
    個人的にも思い出すのが、辛い日々です。

    この材料の深刻さを株価が織り込むまでに、3週間が必要でした。
    最初の底値は、8月23日で、侵攻前と比較すると23.2%も暴落して、23700円となります。


    その後は、反発後、持ち合い相場になります。

    日付 始値 高値 安値 終値 値上がり
    1990年7月31日 30500 31000 30500 31000 600
    1990年8月1日 31000 31300 30600 30800 -200
    1990年8月2日(クウェート侵攻) 30700 30700 29900 30200 -600
    1990年8月3日 30200 30200 29500 -700 -700
    1990年8月6日 29400 29400 28200 28500 -1000
    1990年8月7日 28500 28500 27200 27600 -900
    1990年8月8日 27600 28500 27500 28500 900
    1990年8月9日 28500 28500 27600 27600 -900
    1990年8月10日 27600 27900 27100 27300 -300
    1990年8月13日 27200 27200 25900 26100 -1200
    1990年8月14日 26100 26700 25900 26600 500
    1990年8月15日 26700 28100 26700 28100 1500
    1990年8月16日 28000 28000 27400 27500 -600
    1990年8月17日 27500 27500 26600 26700 -800
    1990年8月20日 26700 26900 26400 26400 -300
    1990年8月21日 26400 26900 26200 26200 -200
    1990年8月22日 26200 26200 24800 25200 -1000
    1990年8月23日 25100 25100 23600 23700 -1500
    1990年8月24日 23700 24400 23500 24100 400
    1990年8月27日 24100 25100 24100 25100 1000
    1990年8月28日 25100 25900 25100 25700 600
    1990年8月29日 25700 25700 24800 24800 -900
    1990年8月30日 24900 25600 24700 25600 800

    株価は一進一退が続き、バクダットの空爆が始まる直前の1991年1月16日には、22,442.70円でした。

    今回も、戦争が始まるまでは、株価は下がる可能性の方が強いようです。

    一度ぐらいリバウンドしたからといって、安心するには、早いかもしれません。

    ◆◆さて、空爆や地上戦が始まるとどうなるか?◆◆
    ◆◆ この続きは、明日発表します。◆◆

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    (2001/9/17)
    テロ報復戦争と湾岸戦争
    (後編)

    湾岸戦争では、1991年1月17日から、アメリカを中心とした多国籍軍のイラク空爆が始まります。
    この日の株価は、1,004円の大幅高で23,446.81円となります。


    そして、まもなく地上戦が行われることが、確実となってきます。2月4日以降、株価は8日連続高となります。 15日は、少し値下がりしますが、翌16日は、886.27円高です。

    地上戦の少し前(2月4日〜16日)の値上がりは、最も顕著で、
    23,156.7円から26,230.01円と13.3%もの暴騰です。
    アメリカの勝利は、戦う前から確実視されていたのが関係しているのでしょう。



    さて、実際に地上戦が始まったのは、2月24日(日曜)ですが、この直後の25日の日経平均は556.95円高でした。
    戦局は、アメリカ側の圧倒的優勢が伝えられますが、26日、27日は何故か値下がりしています。

    そして、最終日の28日は、314.97円高でした。戦闘は、わずか5日間しかなかったのです。この間の値上がり率は、たったの2%です。
    終結の次の日(3月1日)は、527.65円(2%)も下げています。

    日付 始値 高値 安値 終値 値上がり
    1991年1月7日 24,036.99 24,036.99 23,735.59 23,736.57 -332.61
    1991年1月8日 23,707.70 23,707.70 22,859.28 22,897.84 -838.73
    1991年1月9日 22,846.76 23,098.74 22,662.49 22,969.27 71.43
    1991年1月10日 22,924.75 23,184.75 22,711.91 23,047.36 78.09
    1991年1月11日 23,077.70 23,241.02 22,855.76 23,241.02 193.66
    1991年1月14日 23,197.96 23,238.87 22,911.15 23,213.23 -27.79
    1991年1月16日 23,140.23 23,140.23 22,382.23 22,442.70 -770.53
    1991年1月17日(空爆開始) 22,403.07 23,446.81 22,099.52 23,446.81 1,004.11
    1991年1月18日 23,479.40 24,050.30 23,322.54 23,808.30 361.49
    1991年1月21日 23,755.26 23,755.26 23,352.19 23,352.19 -456.11
    1991年1月22日 23,372.15 23,497.41 23,201.68 23,253.65 -98.54
    1991年1月23日 23,173.21 23,173.21 22,951.56 23,050.10 -203.55
    1991年1月24日 23,114.39 23,394.56 23,114.39 23,269.01 218.91
    1991年1月25日 23,342.99 23,607.99 23,342.99 23,573.25 304.24
    1991年1月28日 23,574.92 23,574.92 23,463.15 23,569.44 -3.81
    1991年1月29日 23,562.69 23,608.50 23,422.24 23,460.12 -109.32
    1991年1月30日 23,444.16 23,554.76 23,405.40 23,409.61 -50.51
    1991年1月31日 23,477.44 23,654.69 23,222.37 23,293.14 -116.47
    1991年2月1日 23,270.63 23,270.63 22,859.65 23,156.70 -136.44
    1991年2月4日 23,178.82 23,294.02 23,134.68 23,287.36 130.66
    1991年2月5日 23,367.04 23,821.87 23,367.04 23,821.57 534.21
    1991年2月6日 23,877.07 24,310.85 23,877.07 23,952.04 130.47
    1991年2月7日 24,001.17 24,162.28 23,926.30 24,104.43 152.39
    1991年2月8日 24,114.42 24,384.07 24,091.61 24,296.08 191.65
    1991年2月12日 24,333.07 25,074.29 24,333.07 24,935.01 638.93
    1991年2月13日 24,932.95 25,225.80 24,881.47 25,139.47 204.46
    1991年2月14日 25,184.99 25,406.28 25,184.99 25,356.37 216.90
    1991年2月15日 25,321.91 25,344.52 25,010.47 25,343.74 -12.63
    1991年2月18日 25,378.39 26,230.01 25,378.39 26,230.01 886.27
    1991年2月19日 26,243.91 26,481.75 26,051.78 26,166.98 -63.03
    1991年2月20日 26,153.47 26,340.32 25,836.06 26,198.79 31.81
    1991年2月21日 26,137.03 26,217.19 25,954.29 26,024.37 -174.42
    1991年2月22日 26,059.22 26,264.56 25,902.81 25,902.81 -121.56
    1991年2月25日(地上戦開始直後) 25,908.19 26,466.77 25,852.11 26,462.76 559.95
    1991年2月26日 26,499.76 26,709.80 26,255.46 26,282.96 -179.80
    1991年2月27日 26,229.13 26,229.13 25,986.69 26,094.25 -188.71
    1991年2月28日(地上戦終了) 26,176.76 26,623.67 26,176.76 26,409.22 314.97
    1991年3月1日 26,389.25 26,389.25 25,856.71 25,881.57 -527.65
    1991年3月4日 25,851.91 26,028.97 25,812.57 25,976.02 94.45
    1991年3月5日 25,980.52 26,148.87 25,896.74 25,913.48 -62.54
    1991年3月6日 25,981.70 26,389.94 25,981.70 26,382.99 469.51
    1991年3月7日 26,364.69 26,478.12 26,244.30 26,397.96 14.97
    1991年3月8日 26,432.32 26,607.52 26,379.47 26,607.52 209.56
    1991年3月11日 26,630.03 26,753.84 26,610.16 26,669.37 61.85
    1991年3月12日 26,643.93 26,744.54 26,605.66 26,727.42 58.05
    1991年3月13日 26,692.08 26,692.08 26,389.06 26,418.32 -309.10
    1991年3月14日 26,478.32 26,591.47 26,366.45 26,542.33 124.01
    1991年3月15日 26,560.63 27,003.43 26,521.88 26,843.10 300.77

    さて、今回の場合は、空爆までは同じ展開になると思います。

    ◆◆しかし、地上戦については、予断を許しません。◆◆
    ◆◆ アメリカの勝ちが見えた日に株は上がり、◆◆
    ◆◆戦争が長期化すると、株価は低迷する気がします。◆◆

    (追伸)藤沢薬品工業を買い、京浜急行電鉄を空売りしました。

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    (2001/9/18)
    NY株式市場の再開

    世界貿易センターへのテロ事件以来、4日間、停止していたNY証券取引所が17日再開しました。

    ダウは、1100ドル値下がりすると、サーキット・ブレーカーが作動し、取引が一時停止されます。
    今回の場合、暴落でこの一時停止が起きるのではないかと心配されました。

    この前日の16日、有名な株式投資家ウォーレン・バフェット氏は、CBSテレビで、発言します。
    このような時期に株を売るのは、狂気のさただ。私は、株価が急落したら買いを入れる

    バフェット氏も番組制作者も、国益を重視し、テロとの戦争に負けてはいけないと考えたのでしょう。

    再開のセレモニーは、十分練られていました。

    9時30分、5000人の犠牲者に対して黙祷が捧げられます。
    そして、女性海兵隊員が「ゴッド・ブレス・アメリカ」を歌い、関係者の愛国心を呼び覚まします。

    取引開始のベルは、救助の際、ビルの倒壊で多くの殉職者を出した、警察と消防の制服を着た代表者が鳴らします。

    普通の感情を持った人なら、空売りはやりにくいですね。
    そして、切り札が、再開の約1時間前に出されます。 米欧は、0.5%の緊急協調利下げを、突然発表します。


    取引が始まると、航空産業、金融、保険、消費関連など幅広い銘柄が売られます。

    ここで、自社株買いの緩和措置が、威力を発揮します。
    この措置で、ソレクトロン、GEなどの株価が下支えされたようです。

    終ってみると、ダウは、684.81ドル(7.1%)安の8920.7ドル、ナスダックは115.82(6.8%)安の1579.55となりました。 値下がり幅こそ過去最悪ですが、肝心の値下がり率はたいしたことなく、サーキット・ブレーカーも作動しませんでした。 これを受けて、今日の日本株も値上がりしました。

    めでたし、めでたし。世界同時株安は、見事に回避されたように見えます。

    しかし、本当にそうでしょうか?
    ひねくれ者の私は、まだ危ないと考えています。

    1929年10月24日の暗黒の木曜日、銀行家達は、資本主義の崩壊を防ぐため、協調して株を買い支えました。 株を売るものは、非国民だという空気が満ちていました。

    株価は、持ち直したかに見えました。
    しかし、それから5日後、悲劇の火曜日(10月29日)がやってきます。
    この日の暴落率は、暗黒の木曜日をはるかに上回っていたそうです・・・

    ◆◆脅かして、すみませんが、後一週間は要注意ですね。◆◆
    ◆◆ この予測が外れればよいと、我ながら願っています。◆◆

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    (2001/9/19)
    ケチな性格と株式投資

    私は子供の頃、性格がケチだとよく言われました。 母親とか、兄弟とか、妻とか、口をそろえて主張するので、たぶん真実なのでしょう。

    小遣いやお年玉をあまり使わずに貯金して、通帳を見てニンマリしていた可愛げのない子供でした。 若い時、株式投資であまり失敗しなかったのは、苦労して貯めた資金を投資したからだと思います。

    さすがに、社会に出てからは、あまりケチだと人から相手にされなくなるので、努力してこの性格を隠そうとしています。

    私は、ある問題について、興味があります。

    ケチは、株式投資に向くかどうか?
    向くような気もするし、大きな相場をはれないので、向かないような気もする。


    相場師・山崎種二の伝記を読んでいるうちに、こんな逸話を発見しました。

    彼が、回米問屋の小僧をしていた頃の話です。

    米の倉庫には、俵からこぼれ落ちた米粒が、散らかっていたそうです。
    箒で掃いているうちに、彼はアイデアを思いつきます。

    主人の承諾を得て、20羽の鶏を飼います。
    餌代は、拾い集めた米を与えるのでただです。
    タマゴは、一個一銭で売れたそうです。

    米の倉庫には、多くのネズミが現われます。
    彼は、パチンコを仕掛けて、ネズミを取ります。
    当時は、ペストが流行したので、ネズミを交番に持っていくと一匹二銭もらえたそうです。

    山崎種ニ、弱冠18歳。

    ◆◆こうして、貯めたお金と、倉庫で得た情報を武器に、◆◆
    ◆◆初めて米相場に乗り出したそうです。◆◆
    ◆◆ こんな話に妙に惹かれるのは、私がケチの証拠ですかね。◆◆

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