■歴史の玉手箱4■

---目次---
  • 縄文の交易船(1)
  • 縄文の交易船(2)
  • 縄文の交易船(3)
  • ミダス王と大富豪クラッスス(前編)
  • ミダス王と大富豪クラッスス(中編)
  • ミダス王と大富豪クラッスス(後編)
  • ポンペイ最後の日(前編)

  • (2002/4/16フィクション)
    縄文の交易船(1)

    ・・・・今からおよそ4500年前の佐渡島・・・・・

    空には、無数の朱鷺が舞い、海には1メートルもの真鯛が悠然と泳いでいました。
    鉄も、布も、稲作もない、戦争や貨幣もない縄文時代のお話です。

    アキは、丸木舟を操るのが得意な佐渡島の縄文人です。

    丸木舟は、石斧でくりぬいて建造します。 そして、仲間と一緒に外洋にでて、鹿の骨で作った釣り針で、真鯛を捕まえるのが彼の仕事でした。

    佐渡島には、天然ガラス(黒曜石)が豊富に産出しました。
    黒曜石は、貝殻状に割れて、鋭い刃物ができます。鏃(やじり)や斧に使えば、最強の武器になりました。

    青銅器や鉄器のない縄文時代、黒曜石は最高の素材でした。狩猟の効率を上げるばかりでなく、家族や村を外敵から守るためには、黒曜石の確保は重要でした。

    祖父が死ぬ直前の言葉を、彼は忘れることができません。

    祖父は、魚を採っているときに何日も漂流して、偶然、豊かな村に漂着しました。 その村への行き方を、アキに伝えたかったようです。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    島の黒曜石を積んで、大海の流れ(対馬海流)にのり、太陽の反対に進路をとる。

    若葉が芽吹く頃の新月の朝、出航しなければならない。
    大海の流れに乗るためには、決して陸に近づいてはならない。

    二回目の満月の頃、陸に近づくと巨木で建造された六本柱の塔が見える。
    そこは、陸の北の果て、世界一豊かな「栗の王国」の港だ。

    そこの村の長に黒曜石を渡せば、見たことのない宝物を代わりにもらえる。
    それを持ち帰れば、村が豊かになるのに・・・

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    アキは、この冒険を実行する決心をします。
    人望のあるアキは、7人の弟や友達を仲間に引き込むことに成功します。

    ◆◆荒れた日本海も、初夏になると穏やかになります。◆◆
    ◆◆ 新月の翌朝、4艘の丸木舟に、黒曜石と水と食料を乗せて、◆◆
    ◆◆8人は北に進路をとったのです。◆◆

    (参考文献)「縄文時代の商人たち」  小山修三、岡田康博著   

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    (2002/4/17フィクション)
    縄文の交易船(2)

    ・・・・・目標の津軽富士(岩木山)が見えるようになる頃・・・・・

    アキたちは、疲労感を覚え、関節痛に悩まされるようになります。
    航海が長引くにつれて、体中からの出血が止まらなくなります。
    ビタミンC不足による壊血病の影響でした。

    対馬海流は津軽海峡をぬけて、太平洋に流れ込んでいます。
    交易船は、本州の北の果て、津軽海峡に入ると、方向を転換して陸奥湾を南下します。

    祖父の話では、この湾の奥に栗の王国が、あるはずです。

    二回目の満月の夜。
    目的地は、近いはずです。

    こんなに暗くては、六本柱の塔が見つけるのは、不可能に思えました。
    そのとき、アキは、遥か彼方の「かがり火」を発見します。
    それは、交易船を招く灯台の光のように見えたかもしれません。

    そのかがり火は、六本柱の塔の上で焚かれていたのです。

    アキたちは上陸します。

    ・・・・・・・・・・・・・・

    今日、青森県の三内丸山遺跡として知られている、その村は、ブナ林を切り開き、栗の木を栽培していました。

    この地層に含まれる花粉を調査すると、当時、どんな木が分布していたかを知ることが出来ます。
    この地層に大量に含まれる栗の花粉の遺伝子は、全て共通で、縄文人が栗の木を植林した証拠になっています。

    調査によれば、それどころか、三内丸山の縄文人は、漆やニワトコの木も植林していました。
    漆器の技術を持ち、ニワトコからは酒を造っていたのです。
    人口300〜500人、栗の王国は1500年間栄え、日本最大の文明を誇る集落だったのです。

    ・・・・・・・・・・・・・・・

    集落から数十人の男が出てきて、アキたちを取り囲みます。

    ◆◆栗の王国の言葉は、アキの言葉と異なっていました。◆◆
    ◆◆ どうしたらよいのか?◆◆
    ◆◆ 村長が、アキに歩みよります。◆◆

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    (2002/4/18フィクション)
    縄文の交易船(3)

    アキは、黒曜石を村長(むらおさ)に差し出します。

    村長は、にっこり微笑んで
    「遠い所をよくおいでになった。ここでは黒曜石は貴重なので、助かります。」

    村長は、多くの言葉に通じていました。
    これまでのいきさつをアキが話すと、村長はアキの勇気に感心します。
    村長は、黒曜石の代金として、大量のアザラシの皮や漆器や琥珀を支払います。

    栗の王国の住民は、アキたちを歓待します。
    栗、ヒエ、鮭、コンブ、この地の食べ物は豊かでした。
    新鮮な木の実は、壊血病の治療に役立ちました。

    美しい娘が、漆塗りの杯をアキのところに差し出します。
    祭りの時にしか飲めないニワトコ酒が、注がれていました。

    その晩、アキとその娘は結ばれます。
    それは、近親結婚を避け、新しい血を導入するための、縄文時代の知恵だったかもしれません。

    いや、村長には、もっと遠大な計画があったようです。
    アキたちは、港に案内されます。

    そこには、栗の王国の船団が待機していました。

    二艘の丸木船を連結させて、その上に板の甲板を持つ交易船です。
    船には、皮製の帆と舵が装備されていました。

    「我々の船団に加わってもらえないでしょうか?」
    村長は、こう切り出します。
    「南の地まで行って、翠の石(ヒスイ)を手に入れたいのですが、勇気ある若者が不足しているのです。」

    アキたちは、この申し出を引き受けます。

    縄文時代、翠色に輝くヒスイは、珍重されていました。
    それは、貨幣のかわりだったのかもしれません。

    翌年の初夏、船団は、ヒスイを求めて、長旅に出ます。

    帰りは、対馬海流に逆らうため、陸に沿って航行しなければなりません。 集落に寄港して、漆器を食料と水に交換します。

    ・・・・秋が深まり航海が危険となったころ・・・・

    その場所は、今日ではフォッサマグナ(大地溝帯)の日本海側の終点として、よく知られています。

    新潟県・糸魚川のあたり・・・
    アキたちは、ついにヒスイが豊富に産出する集落を発見します。

    彼は、物々交換により、ヒスイの原石を大量に手に入れます。

    そして、三年目の若葉の芽吹く頃、アキは大海の流れにのって、
    妻の待つ陸の北の果てを目指します。

    ◆◆三内丸山遺跡から出土されるヒスイを蛍光X線分析すると、◆◆
    ◆◆全てが糸魚川産のものであることが証明できるそうです。◆◆

    ◆◆ ・・・(完)・・・◆◆
    ◆◆明日は、出張で休みます。◆◆

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    (2002/6/2)
    ミダス王と大富豪クラッスス
    (前編)

    ・・・・・・ギリシャ神話から・・・・

    ミダス王は、酒神デュオニソスの養い親を10日間歓待します。

    デュオニソスは、お礼に願いごとを一つかなえることを約束します。
    彼は、触れる物すべてを金に換える力を授かります。

    黄金さえあれば、この世の富は独占です。

    しかし、食事の時間になると、食べ物もすべて金に!
    このままでは、飢え死にです。

    最愛の娘が、父に抱かれようと微笑みながら飛びつきます。
    その瞬間、愛娘は、凍りつき、黄金の彫刻に。

    悲嘆にくれたミダス王は、デュオニソスの許しを得て、川で沐浴すると、魔法の力は消え去ります。
    その川からは、砂金が取れるようになったとか。

    ミダス王は、「王様の耳はロバの耳」でも有名ですね。

    ・・・・・さて、時代はかわり、ローマ帝国の強欲な男の話・・・・・・・

    BC60年、スペインから帰還したユリウス・カエサル は、元老院と対抗するためポンペイウスとクラッススと手を組みます。 いわゆる、三頭政治です。

    カエサルと軍人ポンペイウスとの間を取り持ったのが、ローマ最大の富豪クラッススです。

    クラッススが、いかにして莫大な富を築いたか?

    彼の父は、ローマの有力者でしたが、マリウス独裁(BC87年)の頃、自殺に追い込まれます。

    やがて、スッラという実力者が台頭し、マリウスと対立するようになります。

    クラッススは、親の仇を討つため挙兵して、スッラを支持します。
    そして、スラが行ったマリウス派の財産没収に乗じて大富豪となります。

    彼が、富を築いたもう一つの要因は、消防団を組織したことに始まります。
    この消防団は、火事になっても、前金をもらって契約した家しか消火しなかったそうです。

    そして、未契約の家が火事になると土地を安値で買取、家を建てて法外な家賃を取り立てます。 権力者には、巨額の賄賂が、ばら撒かれました。

    ◆◆火事と戦争で、他人の資産を強奪したという話です。◆◆
    ◆◆ さて、この男に、どんな最期が待っているか?◆◆

    ◆◆後編をお楽しみに◆◆

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    (2002/6/3)
    ミダス王と大富豪クラッスス
    (中編)

    クラッススの富に対する貪欲さは、とどまることを知らず、金貸しをはじめます。 最大の貸出先は、借金王ユリウス・カエサル。

    これは、大きな賭けでした。 不良債権の発生を未然に防ぐには、カエサルに失脚されては困ります。クラッススは、三頭政治をまとめて元老院を封じ込めるしかなかったのです。

    ポンペイウスもカエサルも、多くの戦争を勝利に導いた英雄です。 一方、クラッススは、スパルタコスという奴隷の反乱を鎮めた戦歴があるだけで、見劣りします。既に60歳、時間はあまり残されていません。

    彼は、毛虫が蝶に生まれ変わるように、飛躍したかったのでしょう。

    ローマ最大となった財産を守り、さらに無限の富を得るためには、戦争に勝って祝福され、三人の頂点に立つことが必要でした。

    パルティア王国は、今のイラン、イラクのある地域を支配して、東方交易で栄えていました。 ローマの威風に従わず、国境は、しばしば侵犯されました。

    クラッススは、パルティア遠征を決意します。

    属州シリアの2個師団に、自らの6師団を編成して、3万8千人の兵力を動員します。 騎兵は4000人、歩兵が3万4000人でした。

    クラッススは、イェルサレム、シリアの神殿の宝物を略奪するのに熱心でした。
    そして、吝嗇な性格が禍して、集めた兵士の質には問題がありました。

    そんなクラッススにも、自慢できることがありました。

    カエサルの下で副官として働いていた、クラッススの息子プブリウスがはせ参じたのです。 クラッススの息子は、ガリア重騎兵の精鋭1000人を引き連れていました。 ガリア人は、馬を操るのが得意な民族で、武器は槍でした。

    世界を制したローマ帝国の三大実力者の一人が、大軍を率いて攻めてくる。
    パルティア王国は、恐怖で騒然となります。

    パルティアの若き貴族スレナスは、1万人の軽騎兵を率いてローマを迎え撃つ決意を固めます。 ローマの1/4の兵力でしたが、武器はローマ軍の3倍の射程距離を持つ弓矢でした。

    矢が尽きた時の補充用に、矢を満載した駱駝を連れて行きました。

    ・・・・BC53年6月9日、ユーフラティス川とティグリス川の間の砂漠地帯・・・・・

    ローマとパルティアは、雌雄を決するために激突します。

    パルティア軽騎兵は、けっして接近せず、馬上から放つ矢でローマ兵を射殺します。 見晴らしのきく砂漠での戦闘は、ローマにとって不利でした。

    形勢を挽回するため、息子プブリウスは、騎兵2000人を引き連れて奮戦します。 さしものパルティア軍も、ガリア騎兵に押され後退をはじめます。

    プブリウスは、追撃を開始します・・・しかし、それは罠でした。
    退路を絶たれたプブリウスの騎兵2000人は、パルティア軽騎兵1万人に完全に包囲され、殲滅されます。

    ・・・その日の夜のことです・・・

    ◆◆ローマ軍の陣地に、一人のパルティア騎兵が◆◆
    ◆◆疾風のごとく近づき、丸い荷物を投げ込みます。◆◆

    ◆◆ クラッススの息子プブリウスの生首でした。◆◆

    (参考文献)「ローマ人の物語W」 塩野七生著 新潮社

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    (2002/6/4)
    ミダス王と大富豪クラッスス
    (後編)

    クラッススは、息子を失った悲しみを胸に収め、ローマの陣営を回り、叱咤激励します。 戦争のような極限状態で、兵士を心を一つにまとめるのは、最高司令官への信頼です。

    最高司令官がカエサルなら、自信たっぷりに演説して、ローマ兵は、自信を取り戻したかもしれません。 しかし、金儲けはうまくとも、日頃の行いが禍して、クラッススには人望がありませんでした。

    自信を喪失したローマ軍は、敗戦を重ねます。
    2万人が戦死、1万人が捕虜となります。

    故郷に残した巨万の富は、何の役にも立ちません。
    ローマ軍からの脱走兵が目立つようになります。

    北の街シナカへの退却中、クラッススが率いる軍勢は、3000人まで減っていました。
    そして、クラッススは、スルナスの軽騎兵に追いつかれ包囲されます。

    パルティアの勝利は、明らかです。スルナスは、それだけでは満足せず、総司令官の生け捕りを計画します。

    スルナスは、数人の捕虜を送り込みます。
    「パルティアは、クラッススさえ引き渡せば、残りのローマ兵を全員助けると言っている」
    捕虜の言葉に、ローマ兵は、心を動かされます。

    クラッススは、兵士の期待に応え、少数の供を引き連れ、スレナスのもとに和平交渉に行かざるを得なかったのです。 クラッススが61歳で、殺されたのは、間違いありません。

    「パルティア人によりローマの総大将が辱めを受けるのを恐れたローマの幕僚長が、クラッススを殺害した。」と言う説が一般的なようです。

    勝利者・英雄スレナスの運命も苛酷でした。パルティア王オロデスは、スレナス人気の高まりに恐れをなします。

    「このままでは、王座を奪われる」そう考えたオロデスは、スレナスを事故にみせかけ殺害します。そのときの年齢は、まだ30歳・・・

    クラッススの最期の場面には、異説もあります。ローマは、都合の悪い歴史は消し去るでしょうから、こちらのほうが案外真実かもしれません。

    ・・・・・・その説によれば・・・・・・

    クラッススは、捕らえられ、献上品としてパルティア王オロデスのもとに送られます。
    彼は、女装させられ、街中を引きまわされます。

    手段を選ばず、この世の富をすべて手に入れようとした男・クラッスス。パルティア王は、彼に相応しい刑罰を考案します。

    ◆◆死刑執行人は、仰向けに縛りつけられたクラッススの口を、無理やり開かせます。◆◆

    ◆◆ 彼の大好物をヒシャクで坩堝からすくい、口に流し込みます。◆◆
    ◆◆ 煮えたぎった、融けた黄金でした。◆◆

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    (2002/6/25)
    ポンペイ最後の日(前編)

    ・・・・紀元一世紀、ローマ帝国が栄えていた頃・・・・

    ナポリ湾に臨む、その街の人口は、二万人を超えていました。
    12,000人が、ローマに忠誠を誓い、市民権を得ていました。そして、残り8,000人は、奴隷でした。

    この街の支配者は、オスク語を話す先住民族カンパチア人(サムニウム人)でした。

    街の周囲には、城壁が廻らされ、その外側は、オリーブ畑やブドウ農園が続いていました。

    換金作物を販売して富を得た大農場主は、工場経営に乗り出します。
    パン工場とガルム(調味料)工場。
    多くの職人が雇われ、街は豊かになります。

    街には、ギリシャの神アポロを祭った神殿や石を敷き詰めた道路、上水道が建設されていました。大理石をふんだんに使用した大浴場には、スティーム発生装置が完備され、市民の社交場でした。

    街の東には、街の人口すべてを収容できる円形闘技場がありました。
    WCサッカーのサポーターのように、観客は熱狂しました。

    その試合は・・・・・
    剣闘士とライオンの対決

    剣闘士は、血を流しながら、ついに猛獣を倒します。
    コロシアムに割れんばかりの歓声がこだまして、剣闘士は奴隷の身分から解放されます。

    その街は、ローマの有力者の別荘があるほど風光明媚なところでした。

    西には、紺碧のチレニア海、そして、東は美しい火山・・・ベスビオ山
    街の名は、ポンペイ

    ベスビオ山は、約2万年前に海底火山として誕生したそうです。
    過去6回、約3000年周期で、噴火しています。
    17,000年前・・・15500年前・・・11400年前・・・7900年前・・・3800年前・・・

    ◆◆・・・そして、6度目は、西暦79年8月24日・・・◆◆
    ◆◆ その日は、早朝から不思議と暑かったそうです。◆◆

    ◆◆ この続きは、明日発表します。◆◆

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    (参考文献)
    「ポンペイ・奇跡の町」ロベール・エティエンヌ著 
    「ポンペイの滅んだ日」金子史朗著 原書房

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