■相場師列伝(第8巻)■
天下の糸平(前編) |
現在の信州伊那谷は、電子部品や精密機械工業で有名です。昔は、養蚕業が盛んでした。 蕎麦しか育たぬ痩せた土地で、辛抱強く産業を興した伊那谷の人は、努力家が多いのでしょう。
1834年(天保5年)7月11日、田中平八は、長野県駒ヶ根で生まれました。 父親は、資産家でしたが、米と綿の相場に手を出し、無一文に没落しました。
田中平八も、その血を受け継ぎ、博打好き。 破産と大金持ちの間を何度も往復した、日本初の相場師です。
故郷をあとに、開港直後の横浜に辿りつき、彼は生糸の販売を始めます。
外国から受け取る代金は、洋銀(メキシコドル)です。
商売柄、生糸相場、洋銀相場に関心を持たざるをえません。
米相場を含め、これら三市場にまたがり、彼は、博打に明け暮れることになります。
「相場は騎虎の勢い。我が身と欲望を抑えることが出来なかった」と彼は臨終に際し、述懐しています。
彼は、「天下の糸平」と呼ばれました。
糸平とは「糸屋の平八」を略です。相場のスケールも大きかったでしょうが、天下がついたのには、訳があります。
彼は、勤皇の志士と親しく、池田屋事件にも遭遇しました。
また、幕末水戸藩で尊王攘夷のために決起した水戸天狗党にも参加しています。
そのエネルギーの源は、投機と女といわれています。
信州には本妻「はる」、横浜の糸平御殿には二号「だい」がおりました。
しかし、私が、注目しているは、三番目の女性です。
これほど投機に成功するには、偶然では不可能で、
何か秘密があるはずです。
私の推理では、三番目の女性が糸平の成功と密接に関係しているのでしょう。
◆◆その女性の名は、「お倉」。◆◆
◆◆
横浜を代表する待合「富貴楼」の女将です。◆◆
(参考文献)「今昔お金恋しぐれ」鍋島高明著
天下の糸平(後編) |
お倉は、芸者から身を起こし、1873年、横浜の尾上町に富貴楼を建設します。
建設資金は、田中平八が井上馨の要請により貸しました。
富貴楼は、維新の大物政治家が足繁く通った待合のルーツといわれています。 岩崎弥太郎、伊藤博文、大久保利通、大隈重信、井上馨など、そうそうたるメンバーと彼女は、親しかったようです。
鳥居民が書いた「横浜富貴楼お倉」の中で、お倉は平八について、次のように述べています。
「平八さんは、生糸、ドル、米の相場師でしたから、町で起きていること、人の動き、誰がなんと言った、誰が何処へ行ったということを、人よりも早く知ろうとしました。ですから女将にも、芸者さんにも好かれるようにしたのです。」
この時期、大隈重信は、維新政府の重鎮で、日本の近代化のため積極財政を推進していました。
西南戦争の出費がかさみ、紙幣が濫発されていました。
田中平八は、悪性インフレを読み切り、生糸、洋銀、米を積極的に買い捲っていたのでしょう。
1881年、大隈重信が、筆頭参議の座から突然追放されます(明治14年の政変)。
追い落としたのは、井上馨と伊藤博文で、富貴楼で計画は練られました。
お倉と田中平八は、この政変を事前に知っていたと思います。
1881年10月、松方正義が大蔵卿に就任します。
松方は、インフレの原因を不換紙幣増発にあると断定し、緊縮財政を断行します。
いわゆる松方デフレの始まりです。 平八は、いち早く情報を得て、買い方から売り方に華麗な転換を果たしたのだと思います。 |
このとき、バブルに酔い、惰性で買い続けた相場師は、ガラに遭遇して没落します。
この2年前、平八は、兜町米会所の頭取に就任していました。
しかし、無理が祟り、田中平八は、1884年、結核で亡くなります。
51歳の若さ。葬儀の盛大さは、空前の規模だったそうです。
東部伊勢崎線鐘ヶ淵駅近くに、木母寺はあります。
◆◆そこには、畳12枚の巨碑があり、伊藤博文の書いた5文字が刻まれています。◆◆
◆◆
天下之糸平◆◆
◆◆
相場関係者がお参りすれば、ご利益があるかもしれません。◆◆
(参考文献)「横浜富貴楼お倉」鳥居民著
奈良茂の正月蜜柑買占め伝説(前編) |
奈良屋茂左衛門は、江戸の材木商で、その資産を投機で築いたといわれています。 この男は、派手な吉原遊びでも知られていますが、その本質は冷徹な相場師だったような気がします。
元禄15年(1702年)は、台風の当たり年でした。
師走15日の朝日が昇ります。
奈良茂は、夜明け前から西の空を祈るように眺めていました。
・・・・夜明から半刻、奈良茂の瞳がキラリと輝きます・・・・
江戸・神田多町の蜜柑のやっちゃ場。
今日は大納会の10日前です。
正月は、蜜柑の需要が一番盛り上がる季節。
暴風雨が続けば、今日の競りの蜜柑が正月用の最後のものになるかもしれません。
しかし、10日のうちに蜜柑舟が江戸に入港すれば、価格は暴落です。
蜜柑問屋の商人達は、西からきた人に大坂方面の天気を聞きます。
歩いて20日、早籠で10日、早馬で4日・・・情報には遅れがあります。
蜜柑舟は、10日の日程がかかります。
誰に聞いても、今日の大坂の天気が分かるはずがありません。
朝早く始まった相場は、もち合いでした。半刻ほど経った頃・・・
奈良屋茂左衛門が登場し、水菓子問屋「万弥」の富三に何かを耳打ちします。
その直後、相場の流れが変わります。
奈良茂の機関店・万弥が猛然と買いだしたのです。
4両・・4両2分・・4両3分・・・
高値につられ、売り浴びせますが、万弥は、一人で買占めるつもりのようです。
彼は、手槍と口符丁を同時に勢いよく振ります。
「5両。回しで1000樽」といいながら、右手をパッと開きます。
「5000両!奈良茂の大名買いだ!」やっちゃ場は、どよめきます。
この日の終値は、6両2分。
・・・それから、10日後の大納会・・・
関西方面は暴風雨が続き、蜜柑舟は、ついに入港しませんでした。
正月蜜柑は馬鹿高値で、庶民には買えません。
◆◆相場師・奈良茂は、この買占めで利益を上げることができました。◆◆
◆◆
しかし、何故、彼は大坂の天気が分かったのか?◆◆
◆◆
明日は休み、この続きは、明後日発表します。◆◆
(参考文献)「やっちゃば伝」 神田川菜翁著
奈良茂の正月蜜柑買占め伝説(後編) |
・・・文禄元年(1592年)・・・
ルソンから望遠鏡と反射鏡を日本に伝えたのは、豊臣時代の御朱印船です。 堺の商人は、これを複製し大量生産するのに成功します。このハイテク機器は、思わぬものに使われます。 市場関係者は、広島会所と堂島米取引所との連絡に反射レンズを利用することを編み出したのです。
ニ地点の距離は、100里もありました。
太陽光やロウソクを利用して、光の点滅を信号にします。
レンズ反射鏡でリレー伝達することで、米の繋ぎ売りをしようとしたのです。
元禄11年(1698年)奈良屋茂左衛門は、富三を連れて、大坂に行き、堂島米取引所に立ち寄ります。
このシステムの秘密を、堂島米取引所会頭から教えてもらいます。
この瞬間、奈良茂は独自の通信網を構築する決心をします。
関西と江戸の間は、150里。10里につき5人の人員が必要でした。 総勢約100人を要所に配置することで、早馬よりも高速の通信網を完成させます。
ロウソク代と人件費で莫大な維持費がかかります。
しかし、その成果が発揮されるときが意外と早く訪れます。
元禄11年9月6日、大火事が発生。新橋から千住まで、焼き野原となります。 奈良茂は、誰よりも早く2万5000戸分の木材の調達に成功して、30万両の利益を出します。 |
さて、大納会(25日)に到着する蜜柑舟は、師走15日に潮岬を通る必要があります。
「15日は暴風雨で、蜜柑舟は出航できない。」
という光信号を奈良茂は、西の方角から受け取ったのでした。
買占めた蜜柑は、夷講や一ツ目小僧祭りの際、江戸の庶民に一部が寄付されました。
この一件で、幕府と江戸市から絶大な信用が得られました。
奈良茂が有名になったのは、日光東照宮修築の際の木材調達です。
このときも、「情報伝達の速さが勝利の秘訣」と考えるのが自然です。
◆◆以上は神田川菜翁さんの本に出ていた話ですが、史実なんでしょうか?◆◆
◆◆
まぁ、面白さは抜群です。カワチ薬品は、明日報告します◆◆
ウォール街の魔女 ヘティ・グリーン(前編) |
この話のヒロインは、100年前に実在しました。
その女性は、ヴァーモント州の夫と別居して、子供二人と一緒にブルックリンの安アパートに偽名で住んでいました。 別居といっても、夫婦仲が悪いわけではありません。
彼女には、ニューヨークで働く必要がありました。
また、偽名を使っているのには、後で述べる明確な理由があったのです。
クェイカー教徒の彼女の朝食は、冷たいオートミールでした。 燃料代を節約するため、温めずに食べるのが習慣です。
彼女は、擦り切れた一張羅(いちょうら)の服を着ていました。
服は、一番下に着るペチコートしか洗わないので、少しすえた匂いがしました。
他人がどう思うかより、水を節約する方が彼女にとって重要でした。
彼女は、穴の開いたボンネットを被り、乗合馬車で出かけます。
しっかりと胸に抱いたが鞄には、特価で買った昼食用のクッキーのくずと株券の束が入っていました。
腰には、鍵の束。
彼女は、乗り合い馬車を降りると、大理石で出来たケミカル・ナショナル銀行の正面玄関に入っていきます。
銀行中の行員が、彼女の方を振り向きます。
彼女は、不審者として摘み出されるのでしょうか?
燕尾服を着たケミカル・ナショナル銀行の頭取が、愛想笑いをつくりながら、ホームレスのような彼女に近づき挨拶します。
「ヘティ・グリーン様、いつも弊行を事務所として、お使いくださり、感謝しております。」
ヘティ・グリーンは、みすぼらしい女性の名前でした。彼女は爪に火を灯して、貯蓄するだけでなく、卓越した投機家でもありました。 彼女の資産は、約1億2000万ドル。今の価値で換算すると、1兆円ぐらいでしょうか。
ヘティは、19世紀末、女性では世界一の金持ちでした。 |
ヘティは、ギネスブックが公認した世界一のケチでもあったため、ウォール街の魔女といわれるようになります。 腰の鍵は、ケミカル・ナショナル銀行の個人事務所にある金庫の鍵でした。
金庫には、巨額の株券、公債、貸付証書がぎっしり詰まっていました。 夫の住むヴァーモント州は、税金が安いことで知られていました。
◆◆ここに住民票を置いたまま、偽名を使い安アパートを転々として、◆◆
◆◆徴税人の目をくらまし、脱税をしていたのです。
◆◆
◆◆さて、明日も、彼女の興味深い生涯を御紹介しましょう。◆◆
(参考文献)「世界を騒がせた女たち」Mフォーブス著
ウォール街の魔女 ヘティ・グリーン(中編) |
ヘティは、1835年、富豪のクェイカー教徒の夫婦の一人娘として、生まれました。 幼いときから、視力の衰えた祖父のために新聞の経済欄を読まされました。
父親が、金を取り立てるのに喜んでついて行くほど、彼女はビジネスが好きでした。 1860年代の初め、両親が相次いで亡くなり、100万ドルの遺産と400万ドルの信託財産がヘティに残されます。
一生遊んで暮せる、資産です。
1861年4月12日、「リンカーンの奴隷制の廃止」に反対した南部諸州が
サムスター要塞を砲撃して、南北戦争が始まります。
ヘティは、親戚と戦火を逃れるため、ロンドンに疎開します。戦局はロバート・リー将軍の活躍で、南軍有利。
このまま南軍が勝てば、アメリカ公債は紙くずの可能性もあります。公債価格は、暴落します。
相場師へティは、ここで生まれて初めて大勝負にでます。
二束三文のアメリカ公債を買い捲ったのです。
「今は劣勢でも、工業力に勝る北軍が最後に勝つ」というのがヘティの読みでした。
・・・そして、約3年半後・・・
1865年5月南部連合国のディビス大統領が逮捕され、北軍が勝利します。 アメリカ公債は、連日暴騰して、ヘティは数百万ドルを稼ぎます。 |
1867年、へティは、フィリピン貿易で財を成した大金持ちエドワード・グリーンと結婚します。 結婚の条件は、それぞれの財産を別管理することでした。
後に、この契約は威力を発揮します。 エドワードは、投資に失敗して1885年破産しますが、へティは影響を受けませんでした。
ヘティは、株の資金の貸し手としても、有名でした。
大陸横断鉄道の将来性も見抜き、鉄道株への投機でもよく知られています。
コーネリアス・ヴァンダービルトの株価操作事件は、彼女が主役として登場するようです。
ヘティには、二人の子供がいます。息子ネッドと娘シルヴィアです。
あの事件が起こったのは、最愛の息子ネッドが14歳の時でした。
◆◆ある朝、ネッドが泣きながら、ヘティに助けを求めます。◆◆
◆◆
ネッドの膝が、異様に腫れ上がっています。◆◆
◆◆
どうも脱臼しているようです。◆◆
ウォール街の魔女 ヘティ・グリーン(後編) |
ヘティは、ネッドの脱臼を自分で直そうと努力します。
足を引っ張ったり、捻ったり。しかし、ネッドは、泣き叫ぶばかりです。
彼女は、医者に連れて行く決心をします。
彼女の頭に浮かんだのは、貧しい者のために設置された、無料診療所!
しかし、昔もらった診療券が、なかなか見つかりません。
券をやっと探し出すと大急ぎ・・・
乗り合い馬車で、無料診療所まで行き、医者にネッドの足を見せます。 医者は、ネッドの紫色の足を診ると驚き、直ぐに治療を始めます。
手当が終了すると、無料診療所の医者は、ヘティに宣告します。
「これは、完全に手遅れですね。一生、直らないかもしれません。」
・・・それから5年後・・・・
ウォール街の魔女は、髪の毛をふり乱し、母親として号泣します。
「何故、もっと早く腕のよい医者に見せなかったのだろう。」
可愛いネッドの足は、合併症の治療のため、切断することになったのです。 このニュースは、アメリカ中を駆け巡り、「ヘティは魔女のようだ」と誹謗中傷されます。 |
ヘティは、この事件の負い目から、息子を甘やかすようになります。
義足をつけたネッドは、人生のかなりの時間、ヨットを楽しむようになります。母親の金で、発明されたばかりの自動車を買い、贅を尽くした豪邸を建設します。
1916年ヘティは、ネッドの豪邸で息を引き取ります。
1億2000万ドルの遺産は、6000万ドルずつ分割され、
息子ネッドと娘シルヴィアに相続されました。
ネッドは、相続財産を増やすことには興味がなく、散財を続けます。
シルヴィアの方は、慈善事業に熱心でした。
二人とも母親には、似ていなかったようですね。
さて、最後に彼女が亡くなったときのニューヨークタイムスから。
◆◆もし、ヘティが男性だったなら・・・◆◆
◆◆
莫大な財産を増やすために身も心も費やしたとしても、◆◆
◆◆人は特にそれを変わっているとは思わないであろう。◆◆
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