■J_Coffeeの徒然草(25巻)■

---目次---
  • 三人の魔女が現われる時間
  • 東証の手口を、完全公開させよう
  • どくとるマンボウの株式投資(前編)
  • どくとるマンボウの株式投資(後編)
  • UFJホールディングスの行方
  • 薩摩藩の財政改革(前編)
  • 薩摩藩の財政改革(後編)

  • (2002/12/17)
    三人の魔女が現われる時間

    「きれいはきたない、きたないはきれい」
    荒野で、マクべスは、不思議な呪文を唱える三人の魔女に会います。

    三人の魔女は、マクベスの将来を予言します。
    「近いうちにコーダーの領主となり、後に国王になるだろう」

    荒野から帰るとマクベスはコーダーの領主に任命されます。
    予言の前半は、早くも的中したのです。

    欲望の虜になったマクベスは、自分の館に宿泊した国王ダンカンを暗殺して国王になります。
    自分も国王の地位から追い出されるのではないか?
    マクベスは、罪の意識と疑心暗鬼に悩まされて、夜も眠れません。

    マクベスは、三人の魔女を再び訪れ、自分の将来を占ってもらいます。

    三人の魔女は、
    「ふもとのバーナムの森が動き出さぬ限り絶対に滅びず、女が産んだものにはマクベスは倒せぬ」
    と予言して、マクベスを安心させます。

    前国王の息子が挙兵しますが、マクベスは動じません。
    森が動いたりするはずないし、全ての人間は女が産んだものなのです。

    ところが・・・
    バーナムの森が突然動き出します。兵士が小枝で偽装して襲ってきたのです。

    マクベスは、敵将マクダフと戦い倒されます。
    マクダフは、母から産まれる前に月足らずのまま、母の腹を切り裂いて出てきたのでした。

    「きれいはきたない、きたないはきれい」、人の欲望をもてあそぶ三人の魔女の予言どおりでした。

    ・・・・・さて、最後に株の話・・・・・・

    アメリカ株式市場でtriple witching hour(三人の魔女が現われる時間)といわれる時間帯があります。 3月、6月、9月、12月の第3金曜日の引け間際の1時間を指すそうです。
    清算に伴なう大量の売買が発生するので、株価が乱高下(多くの場合,急落)しやすいそうです。

    三人の魔女の正体は、
    「株価指数先物」「個別株式オプション」「指数オプション」の清算です。
    アメリカのSQは、大引けなので、魔女が暴れるようですね。

    普通の月の第3金曜日は、「株価指数先物」が抜けたdouble witching hour (ニ人の魔女が現われる時間)と呼ばれているようです。

    ◆◆以上、なおこさんの投稿を参考に書きました。◆◆
    ◆◆知らなかったので、勉強になりましたよ。◆◆

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    (2002/12/10)
    東証の手口を完全公開させよう

    手口とは、ある銘柄について、どの証券会社が何株売ったか(売り手口)、どの証券会社が何株買ったか(買い手口)を示すものです。 東証は、証券会社だけに手口情報を提供しています。

    大口顧客のみが、証券会社からこれを聞くことが出来るため、不公平だと言われてきました。 今年1月、東証がこの情報を一般公開しようとしたところ、証券会社の猛反発を浴びます。

    大手証券会社は、手口を全て非公開にすることを希望します。 例えば年金などは、手口を公開されると、先回り買いされ、不当に高く買わされる可能性があります。 将来、年金受給者などに損害を与えてしまうという論法です。

    公平性に問題があるなら、証券会社も含めて、全て非公開にしたいというわけです。

    手口情報を既得権として利用したい中小証券会社は、現状維持を望みます。

    そして、個人投資家は、完全公開を望んでいます。DLJは、手口公開について、個人投資家約3000人にアンケートをとったところ、96.6%が完全公開を支持していました。

    DLJディレクトSFG証券による個人投資家のアンケート結果
    DLJ会員 DLJ非会員 全体
    完全公開支持 1,340人(96.7%) 1,472人(96.5%) 2,812人(96.6%)
    現状維持 30人(2.2%) 24人(1.6%) 54人(1.9%)
    完全非公開支持 16人(1.2%) 30人(2.0%) 46人(1.6%)

    EB債やリンク債の疑惑、その他株価操縦に関する不正行為も、手口が完全公開されれば、衆目監視により実施が難しくなるでしょう。 情報を制限したり独占するより、完全公開して透明性の高い市場にしたほうが、株を買う個人投資家も増加してくると思います。

    ネット人口は増加する一方なので、ネットを使わない投資家との不公平感も次第に解消するでしょう。全ての人がネットを利用できるようにするのが、政策目標であるべきです。

    不公平で、株価操作が行われやすいルールでは、1400兆円の金融資産は、株に向いません。

    この議論は、10日から再開され、来春までに結論を出されるそうです。

    ◆◆あなたも、アンケート に参加しませんか?◆◆
    ◆◆明日は、出張で休みます。◆◆

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    (2002/12/8)
    どくとるマンボウの株式投資(前編)

    「どくとるマンボウ航海記」や「楡家の人々」で有名な作家・北杜夫さんの持病は、躁鬱病です。

    躁鬱病とは 気分が憂鬱な状態と爽快な状態とが、交代して現れる病気です。

    鬱状態の時は、何をする気力も沸かず、対談や著作活動も進みません。
    躁状態の時は、頭の回転が早くなり、多弁で活動的になります。
    本も一気に書き上げられますが、御本人によれば、後で読み返すと出来が悪い場合が多いようです。

    そして、もう一つの特徴は、むしょうに株を買いたくなるそうです。
    この間の事情は、「マンボウ愛妻記」に詳しく書かれています。

    北杜夫さんは、40代後半にひどい躁状態に陥りました。
    さて、この時期の時代背景を推定してみましょう。

    1972年、田中角栄通産相の「日本列島改造論」がベストセラーになり、株や土地は高騰してバブル経済が膨らみます。 東証旧ダウ(日経平均)は、2月26日に 3,000円台に、12月22日には、5,000円を突破します。

    株や土地を買わない者は愚か者、という風潮が蔓延した一年でした。

    1973年1月24日、東証旧ダウは、5,359.74円となり、バブルは頂点に達します。
    彼が躁状態になったのは、運悪くこの前後と推定できます。

    もし、一年前にタイミングがずれたら、偉大なマンボウ相場師が誕生したかもしれません。

    彼は、映画を製作する資金を得るために、株式投資を始めたそうです。 日経新聞など6紙をとり、株の雑誌を読み漁り、猛勉強します。

    先ず、優良株を買います。
    しかし、5日間続落・・・

    そこで、優良株を売り払い、仕手株を買います。
    すると東証ダウが下がる中で、彼の仕手株は上がり始めたのです。
    「俺の勘はあたる。俺は株の天才だ」とすっかり有頂天になります。

    ◆◆しかし、素人の悲しさ。売り時を逸し、無残な暴落・・・◆◆
    ◆◆ たちまち、資金不足に陥ります。この続きは明日発表します。◆◆

    (参考文献)「マンボウ愛妻記」  北 杜夫著

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    (2002/12/9)
    どくとるマンボウの株式投資(後編)

    北杜夫さんは、出版社から490万円を前借して、この危機を逃れます。 何せ躁病の勢いで、見通しは楽観的です。

    今は負けていても、この仕手株が当たれば全て取り返せて、おつりが来る。 母親からも750万円、友人からも金を借りて、信用取引で起死回生の勝負にでます。

    1973年は、バブルの崩壊期。
    秋には、第一次石油ショックが日本経済に襲い掛かります。
    空売りをしないマンボウ相場師に、勝つチャンスは巡ってきません。

    お気の毒なのは、奥様です。
    証券会社や銀行を訪れ、資金がショートしないように尻拭いに奔走します。

    後から請求される所得税も、延納せざるを得ません。
    本の原稿料は、前借返済のため天引きされて残りません。

    生活費が不足します。医者で流行作家のもとに嫁ぎながら、何故こんな苦労をするのか?

    幸い、マンボウ氏に女性週刊誌の対談の仕事が舞い込みます。
    報酬は、キャッシュ。現金入り封筒は、封を切らずに奥様に渡さざるを得ません。

    ・・・株を始めて半年後・・・・

    銀行も金を貸さず、いよいよ、万策がつきます。
    その頃、取材で中南米へ行く仕事が入ります。
    彼は、泣く泣く株を損切り、借金を返し始めます。

    一ヶ月、メキシコ、ペルー、コロンビア、ブラジルなどを旅すると・・・
    憑き物が落ちたように、株のことを忘れてしまいます。

    新潮社から北杜夫全集が出版され、ほとんどの借金が消えます。
    もともと高収入、株さえ止めれば、返済は簡単だったのです。

    しかし、北杜夫さんと奥様との地位はこの事件をきっかけに逆転します。
    全ての収入は奥様が握り、大作家は、お小遣いをもらう身分に転落してしまったのです。

    ◆◆当然、株式投資も奥様に禁止されます。◆◆
    ◆◆出版社にも手が回り、マンボウ氏は、前借もできないとか◆◆

    ◆◆ しかし、マンボウ氏は、その後もこっそりと株をやってますね。◆◆

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    (2002/11/19)
    UFJホールディングスの行方

    UFJホールディングスの暴落が止まりません。今日も13,775株の売りを残し、ストップ安の89,000円でした。

    米S&Pが、UFJ銀行とUFJ信託の短期格付けを引き下げる可能性があると発表したことが、影響しました。

    新規の空売りは432株に過ぎず、逆に7432株が返済されています。 UFJを株式持ち合いで保有している事業法人が、投売りしているのかもしれません。買っているのは、松井、ET、DLJの個人投資家です。

    さて、次の表は11月に入ってからのUFJの値動きです。

    UFJの株価の推移
    日付 始値 高値 安値 終値 出来高
    2002年11月1日 178,000 184,000 176,000 181,000 41,401
    2002年11月5日 183,000 184,000 178,000 178,000 19,705
    2002年11月6日 180,000 181,000 173,000 175,000 16,960
    2002年11月7日 176,000 177,000 170,000 172,000 20,087
    2002年11月8日 163,000 166,000 153,000 157,000 35,776
    2002年11月11日 ゴールドマン・サックスが
    邦銀評価引き下げ。
    バーゼル銀行監督委員会が
    BIS規制を厳しくする
    改正案を各国に提示。
    151,000 151,000 133,000 134,000 64,984
    2002年11月12日 128,000 138,000 128,000 134,000 64,615
    2002年11月13日 国有化の可能性について報道が続く 136,000 138,000 132,000 132,000 27,228
    2002年11月14日 奥田経団連会長が4大銀行のうち、
    1行が来月にも国有化される
    可能性があるとのニュース
    (後に本人が否定)
    130,000 133,000 112,000 112,000 82,994
    2002年11月15日 118,000 120,000 97,000 108,000 173,076
    2002年11月18日 108,000 108,000 98,000 99,000 92,630
    2002年11月19日 米S&Pは、UFJ銀行と
    UFJ信託の短期格付けを
    引き下げる可能性があると発表。
    ムーディーズがUFJホールディング
    関係会社の優先株を「Baa2」から
    Ba1」に引き下げた。
    96,000 97,000 89,000 89,000 81,700

    株価暴落の誘因となったのは、『11月14日、奥田碩・日本経団連会長が「4大銀行のうち、1行が来月にも国有化される可能性がある」と語った』と報道されたことです。
    本人は直ぐに否定しますが、株価は回復しません。

    今日の終値は、50円額面に換算するとたったの89円です。

    UFJの頭取は、「今日の株価は銀行の実態を反映していない」
    と思っていることでしょう。

    しかし、信用が命である銀行の株価が100円を割れたことを、もっと深刻に受け止めないといけません。
    現実に私も、California Blue Sky さんの忠告に従い、妻に電話して、UFJの預金を東京三菱に預け換えしました。

    UFJ銀行や、みずほ銀行をメインバンクにしている企業も気の毒です。
    自分の頭の上の蝿も追えない銀行に、充分な資金の供給ができるはずがありません。

    ◆◆特に借り入れが多く、経営不安のある系列会社の株は、警戒すべきでしょう。◆◆
    ◆◆ 1998年の長銀のようにならないよう、踏ん張ってもらいたいものです。◆◆

    (追伸)ABCマート少し買いました。先日買った総合警備保障と二本立てで挑戦です。

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    (2002/11/20)
    薩摩藩の財政改革(前編)

    江戸時代、岐阜県南西部は、揖斐川、木曽川、長良川に囲まれ、水害が絶えることがありませんでした。 江戸幕府は、この治水工事を薩摩藩に命じます。

    命に従わなかったら、取り潰し。薩摩藩は、関が原敗戦以来の危機を迎えます。

    薩摩藩は、三年の年月と多くの犠牲者を出しながら、これを完成させます(宝暦の治水工事)。
    しかし、この治水工事には30万両の費用がかかり、その全ては借金で賄われたのです。

    この工事が終った頃(1755年、宝暦5年)、島津重豪は、10才で薩摩藩の当主となります。 このときの薩摩藩の借金は、約100万両でした。

    二度と工事を押し付けられないように、島津藩は将軍家と姻戚関係を結ぶことに力を入れます。 重豪は、老中・田沼意次に働きかけます。

    この運動は、大輪の花を咲かせます。
    島津重豪の娘・茂姫が一橋家の嫡男・豊千代に嫁ぐことに決まります。

    1786年、幸運にも、豊千代は、11代将軍(徳川家斉)となります。
    つまり、島津重豪は将軍の舅。

    重豪は、42才の若さで隠居します。薩摩藩は、将軍家の家来。 婿が舅に命令するのは好ましくない、との気遣いでした。

    大成功、これで薩摩藩も安泰のはずでした・・・ところが・・・

    この年、薩摩藩に好意的だった田沼意次が、失脚します。
    京都で大火事が起こり、禁裏と御所が焼失します。

    幕府は、御所造営のため、4年間毎年5万両、合計20万両の上納金を島津藩に差し出すよう命令します。

    田沼意次の政敵・松平定信の陰謀でした。

    薩摩藩の収入は約10万両ですから、半分を差し出すことになるのです。
    舅の見栄で、重豪は引き受けます。もちろん、借金です。

    ◆◆将軍家の舅としての権威を保つため、重豪は散財を続けます。◆◆

    ◆◆ 借金は、雪だるまのように増加して、◆◆
    ◆◆信じられない金額となるのです。◆◆
    ◆◆ 明日は、休みます。◆◆

    (参考文献)「江戸の税と通貨」佐藤雅美著

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    (2002/11/23)
    薩摩藩の財政改革(後編)

    島津重豪は、1833年に88才で亡くなります。 薩摩藩の借金は、ついに500万両に達します。 藩の収入10万両を全額当てても、利息も払えません。

    1835年(天保6年)茶坊主から出世した調所広郷が、藩主・島津重興の命を受け、債権者との交渉に当たることとなります。 古い証文が集められ焼却されます。そして、新証文が交付されます。 その中身を見て、債権者は驚きます。

    500万両の借金は、今後は利息なし。元金だけの250年分割払い
    つまり、毎年2万両しか払わないという虫のよい案です。

    ない袖は振れない。俺の首は好きなようにして欲しいと開き直ります。 あまりに巨額な債務者は、どの時代も強い立場です。

    調所の命懸けの交渉の成果で、借金踏み倒しは成功したのです。

    次に調所は、収入のアップに全力を注ぎます。
    南西諸島に換金作物の砂糖栽培を強制します。
    砂糖の代金は、薩摩が保証する藩札(紙切れ)でした。

    当時の琉球は、清と朝貢貿易を行っていました。 17世紀以降、琉球は薩摩の支配下にあり、貿易は薩摩の統制下にありました。 薩摩藩は、唐物を長崎で売りさばき、莫大な利益を稼ぎます。

    天保末期には、薩摩藩は、250万両の蓄えに成功します。 奇跡の財政再建を成し遂げてしまうのです。債権者がいくら怒っても後の祭りです。

    さて、その頃、藩主・島津重興とその息子・島津斉彬との間で権力闘争が勃発します。 調所は、重興側につきます。西洋かぶれの斉彬では、散財で再び薩摩の財政が破綻すると考えたようです。

    島津斉彬は禁じ手を放ち、反撃にでます。

    老中・安倍正弘と共謀し、薩摩の密貿易を告発して調所広郷を自殺に追い込みます(1848年)。
    明治政府の立役者、西郷隆盛や大久保利通は、島津斉彬派の人脈です。 調所の子孫は弾圧を受け、調所広郷の業績は抹殺されます。

    ◆◆しかし、彼のおかげで薩摩藩は力をつけ、◆◆
    ◆◆蒸気船や鉄砲を購入し明治維新の原動力となったのです。◆◆

    ◆◆ 調所広郷が財政改革に成功しなかったら、◆◆
    ◆◆明治維新は失敗したかもしれません。◆◆

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