■J_Coffeeの徒然草(25巻)■
三人の魔女が現われる時間 |
「きれいはきたない、きたないはきれい」
荒野で、マクべスは、不思議な呪文を唱える三人の魔女に会います。
三人の魔女は、マクベスの将来を予言します。
「近いうちにコーダーの領主となり、後に国王になるだろう」
荒野から帰るとマクベスはコーダーの領主に任命されます。
予言の前半は、早くも的中したのです。
欲望の虜になったマクベスは、自分の館に宿泊した国王ダンカンを暗殺して国王になります。
自分も国王の地位から追い出されるのではないか?
マクベスは、罪の意識と疑心暗鬼に悩まされて、夜も眠れません。
マクベスは、三人の魔女を再び訪れ、自分の将来を占ってもらいます。
三人の魔女は、
「ふもとのバーナムの森が動き出さぬ限り絶対に滅びず、女が産んだものにはマクベスは倒せぬ」
と予言して、マクベスを安心させます。
前国王の息子が挙兵しますが、マクベスは動じません。
森が動いたりするはずないし、全ての人間は女が産んだものなのです。
ところが・・・
バーナムの森が突然動き出します。兵士が小枝で偽装して襲ってきたのです。
マクベスは、敵将マクダフと戦い倒されます。
マクダフは、母から産まれる前に月足らずのまま、母の腹を切り裂いて出てきたのでした。
「きれいはきたない、きたないはきれい」、人の欲望をもてあそぶ三人の魔女の予言どおりでした。
・・・・・さて、最後に株の話・・・・・・
アメリカ株式市場でtriple witching hour(三人の魔女が現われる時間)といわれる時間帯があります。
3月、6月、9月、12月の第3金曜日の引け間際の1時間を指すそうです。
清算に伴なう大量の売買が発生するので、株価が乱高下(多くの場合,急落)しやすいそうです。
三人の魔女の正体は、 「株価指数先物」「個別株式オプション」「指数オプション」の清算です。 アメリカのSQは、大引けなので、魔女が暴れるようですね。 |
普通の月の第3金曜日は、「株価指数先物」が抜けたdouble witching hour (ニ人の魔女が現われる時間)と呼ばれているようです。
◆◆以上、なおこさんの投稿を参考に書きました。◆◆
◆◆知らなかったので、勉強になりましたよ。◆◆
東証の手口を完全公開させよう |
手口とは、ある銘柄について、どの証券会社が何株売ったか(売り手口)、どの証券会社が何株買ったか(買い手口)を示すものです。 東証は、証券会社だけに手口情報を提供しています。
大口顧客のみが、証券会社からこれを聞くことが出来るため、不公平だと言われてきました。 今年1月、東証がこの情報を一般公開しようとしたところ、証券会社の猛反発を浴びます。
大手証券会社は、手口を全て非公開にすることを希望します。 例えば年金などは、手口を公開されると、先回り買いされ、不当に高く買わされる可能性があります。 将来、年金受給者などに損害を与えてしまうという論法です。
公平性に問題があるなら、証券会社も含めて、全て非公開にしたいというわけです。
手口情報を既得権として利用したい中小証券会社は、現状維持を望みます。
そして、個人投資家は、完全公開を望んでいます。DLJは、手口公開について、個人投資家約3000人にアンケートをとったところ、96.6%が完全公開を支持していました。
DLJ会員 | DLJ非会員 | 全体 | |
完全公開支持 | 1,340人(96.7%) | 1,472人(96.5%) | 2,812人(96.6%) |
現状維持 | 30人(2.2%) | 24人(1.6%) | 54人(1.9%) |
完全非公開支持 | 16人(1.2%) | 30人(2.0%) | 46人(1.6%) |
EB債やリンク債の疑惑、その他株価操縦に関する不正行為も、手口が完全公開されれば、衆目監視により実施が難しくなるでしょう。 情報を制限したり独占するより、完全公開して透明性の高い市場にしたほうが、株を買う個人投資家も増加してくると思います。
ネット人口は増加する一方なので、ネットを使わない投資家との不公平感も次第に解消するでしょう。全ての人がネットを利用できるようにするのが、政策目標であるべきです。
不公平で、株価操作が行われやすいルールでは、1400兆円の金融資産は、株に向いません。
この議論は、10日から再開され、来春までに結論を出されるそうです。
◆◆あなたも、アンケート に参加しませんか?◆◆
◆◆明日は、出張で休みます。◆◆
どくとるマンボウの株式投資(前編) |
「どくとるマンボウ航海記」や「楡家の人々」で有名な作家・北杜夫さんの持病は、躁鬱病です。
躁鬱病とは 気分が憂鬱な状態と爽快な状態とが、交代して現れる病気です。
鬱状態の時は、何をする気力も沸かず、対談や著作活動も進みません。
躁状態の時は、頭の回転が早くなり、多弁で活動的になります。
本も一気に書き上げられますが、御本人によれば、後で読み返すと出来が悪い場合が多いようです。
そして、もう一つの特徴は、むしょうに株を買いたくなるそうです。
この間の事情は、「マンボウ愛妻記」に詳しく書かれています。
北杜夫さんは、40代後半にひどい躁状態に陥りました。
さて、この時期の時代背景を推定してみましょう。
1972年、田中角栄通産相の「日本列島改造論」がベストセラーになり、株や土地は高騰してバブル経済が膨らみます。 東証旧ダウ(日経平均)は、2月26日に 3,000円台に、12月22日には、5,000円を突破します。
株や土地を買わない者は愚か者、という風潮が蔓延した一年でした。
1973年1月24日、東証旧ダウは、5,359.74円となり、バブルは頂点に達します。 彼が躁状態になったのは、運悪くこの前後と推定できます。 |
もし、一年前にタイミングがずれたら、偉大なマンボウ相場師が誕生したかもしれません。
彼は、映画を製作する資金を得るために、株式投資を始めたそうです。 日経新聞など6紙をとり、株の雑誌を読み漁り、猛勉強します。
先ず、優良株を買います。
しかし、5日間続落・・・
そこで、優良株を売り払い、仕手株を買います。
すると東証ダウが下がる中で、彼の仕手株は上がり始めたのです。
「俺の勘はあたる。俺は株の天才だ」とすっかり有頂天になります。
◆◆しかし、素人の悲しさ。売り時を逸し、無残な暴落・・・◆◆
◆◆
たちまち、資金不足に陥ります。この続きは明日発表します。◆◆
(参考文献)「マンボウ愛妻記」 北 杜夫著
どくとるマンボウの株式投資(後編) |
北杜夫さんは、出版社から490万円を前借して、この危機を逃れます。 何せ躁病の勢いで、見通しは楽観的です。
今は負けていても、この仕手株が当たれば全て取り返せて、おつりが来る。 母親からも750万円、友人からも金を借りて、信用取引で起死回生の勝負にでます。
1973年は、バブルの崩壊期。
秋には、第一次石油ショックが日本経済に襲い掛かります。
空売りをしないマンボウ相場師に、勝つチャンスは巡ってきません。
お気の毒なのは、奥様です。
証券会社や銀行を訪れ、資金がショートしないように尻拭いに奔走します。
後から請求される所得税も、延納せざるを得ません。
本の原稿料は、前借返済のため天引きされて残りません。
生活費が不足します。医者で流行作家のもとに嫁ぎながら、何故こんな苦労をするのか?
幸い、マンボウ氏に女性週刊誌の対談の仕事が舞い込みます。
報酬は、キャッシュ。現金入り封筒は、封を切らずに奥様に渡さざるを得ません。
・・・株を始めて半年後・・・・
銀行も金を貸さず、いよいよ、万策がつきます。
その頃、取材で中南米へ行く仕事が入ります。
彼は、泣く泣く株を損切り、借金を返し始めます。
一ヶ月、メキシコ、ペルー、コロンビア、ブラジルなどを旅すると・・・
憑き物が落ちたように、株のことを忘れてしまいます。
新潮社から北杜夫全集が出版され、ほとんどの借金が消えます。
もともと高収入、株さえ止めれば、返済は簡単だったのです。
しかし、北杜夫さんと奥様との地位はこの事件をきっかけに逆転します。 全ての収入は奥様が握り、大作家は、お小遣いをもらう身分に転落してしまったのです。 |
◆◆当然、株式投資も奥様に禁止されます。◆◆
◆◆出版社にも手が回り、マンボウ氏は、前借もできないとか◆◆
◆◆
しかし、マンボウ氏は、その後もこっそりと株をやってますね。◆◆
UFJホールディングスの行方 |
UFJホールディングスの暴落が止まりません。今日も13,775株の売りを残し、ストップ安の89,000円でした。
米S&Pが、UFJ銀行とUFJ信託の短期格付けを引き下げる可能性があると発表したことが、影響しました。
新規の空売りは432株に過ぎず、逆に7432株が返済されています。 UFJを株式持ち合いで保有している事業法人が、投売りしているのかもしれません。買っているのは、松井、ET、DLJの個人投資家です。
さて、次の表は11月に入ってからのUFJの値動きです。
日付 | 始値 | 高値 | 安値 | 終値 | 出来高 | |
---|---|---|---|---|---|---|
2002年11月1日 | 178,000 | 184,000 | 176,000 | 181,000 | 41,401 | |
2002年11月5日 | 183,000 | 184,000 | 178,000 | 178,000 | 19,705 | |
2002年11月6日 | 180,000 | 181,000 | 173,000 | 175,000 | 16,960 | |
2002年11月7日 | 176,000 | 177,000 | 170,000 | 172,000 | 20,087 | |
2002年11月8日 | 163,000 | 166,000 | 153,000 | 157,000 | 35,776 | |
2002年11月11日 | ゴールドマン・サックスが 邦銀評価引き下げ。 バーゼル銀行監督委員会が BIS規制を厳しくする 改正案を各国に提示。 | 151,000 | 151,000 | 133,000 | 134,000 | 64,984 |
2002年11月12日 | 128,000 | 138,000 | 128,000 | 134,000 | 64,615 | |
2002年11月13日 | 国有化の可能性について報道が続く | 136,000 | 138,000 | 132,000 | 132,000 | 27,228 |
2002年11月14日 | 奥田経団連会長が4大銀行のうち、 1行が来月にも国有化される 可能性があるとのニュース (後に本人が否定) | 130,000 | 133,000 | 112,000 | 112,000 | 82,994 |
2002年11月15日 | 118,000 | 120,000 | 97,000 | 108,000 | 173,076 | |
2002年11月18日 | 108,000 | 108,000 | 98,000 | 99,000 | 92,630 | |
2002年11月19日 | 米S&Pは、UFJ銀行と UFJ信託の短期格付けを 引き下げる可能性があると発表。 ムーディーズがUFJホールディング 関係会社の優先株を「Baa2」から 「Ba1」に引き下げた。 | 96,000 | 97,000 | 89,000 | 89,000 | 81,700 |
株価暴落の誘因となったのは、『11月14日、奥田碩・日本経団連会長が「4大銀行のうち、1行が来月にも国有化される可能性がある」と語った』と報道されたことです。
本人は直ぐに否定しますが、株価は回復しません。
今日の終値は、50円額面に換算するとたったの89円です。
UFJの頭取は、「今日の株価は銀行の実態を反映していない」
と思っていることでしょう。
しかし、信用が命である銀行の株価が100円を割れたことを、もっと深刻に受け止めないといけません。
現実に私も、California Blue Sky さんの忠告に従い、妻に電話して、UFJの預金を東京三菱に預け換えしました。
UFJ銀行や、みずほ銀行をメインバンクにしている企業も気の毒です。
自分の頭の上の蝿も追えない銀行に、充分な資金の供給ができるはずがありません。
◆◆特に借り入れが多く、経営不安のある系列会社の株は、警戒すべきでしょう。◆◆
◆◆
1998年の長銀のようにならないよう、踏ん張ってもらいたいものです。◆◆
(追伸)ABCマート少し買いました。先日買った総合警備保障と二本立てで挑戦です。
薩摩藩の財政改革(前編) |
江戸時代、岐阜県南西部は、揖斐川、木曽川、長良川に囲まれ、水害が絶えることがありませんでした。 江戸幕府は、この治水工事を薩摩藩に命じます。
命に従わなかったら、取り潰し。薩摩藩は、関が原敗戦以来の危機を迎えます。
薩摩藩は、三年の年月と多くの犠牲者を出しながら、これを完成させます(宝暦の治水工事)。
しかし、この治水工事には30万両の費用がかかり、その全ては借金で賄われたのです。
この工事が終った頃(1755年、宝暦5年)、島津重豪は、10才で薩摩藩の当主となります。 このときの薩摩藩の借金は、約100万両でした。
二度と工事を押し付けられないように、島津藩は将軍家と姻戚関係を結ぶことに力を入れます。 重豪は、老中・田沼意次に働きかけます。
この運動は、大輪の花を咲かせます。
島津重豪の娘・茂姫が一橋家の嫡男・豊千代に嫁ぐことに決まります。
1786年、幸運にも、豊千代は、11代将軍(徳川家斉)となります。
つまり、島津重豪は将軍の舅。
重豪は、42才の若さで隠居します。薩摩藩は、将軍家の家来。 婿が舅に命令するのは好ましくない、との気遣いでした。
大成功、これで薩摩藩も安泰のはずでした・・・ところが・・・
この年、薩摩藩に好意的だった田沼意次が、失脚します。
京都で大火事が起こり、禁裏と御所が焼失します。
幕府は、御所造営のため、4年間毎年5万両、合計20万両の上納金を島津藩に差し出すよう命令します。
田沼意次の政敵・松平定信の陰謀でした。
薩摩藩の収入は約10万両ですから、半分を差し出すことになるのです。
舅の見栄で、重豪は引き受けます。もちろん、借金です。
◆◆将軍家の舅としての権威を保つため、重豪は散財を続けます。◆◆
◆◆
借金は、雪だるまのように増加して、◆◆
◆◆信じられない金額となるのです。◆◆
◆◆
明日は、休みます。◆◆
薩摩藩の財政改革(後編) |
島津重豪は、1833年に88才で亡くなります。 薩摩藩の借金は、ついに500万両に達します。 藩の収入10万両を全額当てても、利息も払えません。
1835年(天保6年)茶坊主から出世した調所広郷が、藩主・島津重興の命を受け、債権者との交渉に当たることとなります。 古い証文が集められ焼却されます。そして、新証文が交付されます。 その中身を見て、債権者は驚きます。
500万両の借金は、今後は利息なし。元金だけの250年分割払い。 つまり、毎年2万両しか払わないという虫のよい案です。 |
ない袖は振れない。俺の首は好きなようにして欲しいと開き直ります。 あまりに巨額な債務者は、どの時代も強い立場です。
調所の命懸けの交渉の成果で、借金踏み倒しは成功したのです。
次に調所は、収入のアップに全力を注ぎます。
南西諸島に換金作物の砂糖栽培を強制します。
砂糖の代金は、薩摩が保証する藩札(紙切れ)でした。
当時の琉球は、清と朝貢貿易を行っていました。 17世紀以降、琉球は薩摩の支配下にあり、貿易は薩摩の統制下にありました。 薩摩藩は、唐物を長崎で売りさばき、莫大な利益を稼ぎます。
天保末期には、薩摩藩は、250万両の蓄えに成功します。 奇跡の財政再建を成し遂げてしまうのです。債権者がいくら怒っても後の祭りです。
さて、その頃、藩主・島津重興とその息子・島津斉彬との間で権力闘争が勃発します。 調所は、重興側につきます。西洋かぶれの斉彬では、散財で再び薩摩の財政が破綻すると考えたようです。
島津斉彬は禁じ手を放ち、反撃にでます。
老中・安倍正弘と共謀し、薩摩の密貿易を告発して調所広郷を自殺に追い込みます(1848年)。
明治政府の立役者、西郷隆盛や大久保利通は、島津斉彬派の人脈です。
調所の子孫は弾圧を受け、調所広郷の業績は抹殺されます。
◆◆しかし、彼のおかげで薩摩藩は力をつけ、◆◆
◆◆蒸気船や鉄砲を購入し明治維新の原動力となったのです。◆◆
◆◆
調所広郷が財政改革に成功しなかったら、◆◆
◆◆明治維新は失敗したかもしれません。◆◆
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