■J_Coffeeの徒然草(24巻)■

---目次---
  • 石見銀山物語(前編)
  • 石見銀山物語(後編)
  • 未成年口座サービスについて
  • パチンコ依存症について
  • ビールと日本人と不景気(前編)
  • ビールと日本人と不景気(後編)
  • 春日大社のお告げ

  • (2002/11/17)
    石見銀山物語(前編)

    大永年間(1520年代)、博多の商人・神谷寿亭は、船で日本海を航行していました。 銅を買うため出雲に向かう途中だったのです。

    波も穏やかで、よく晴れた夏の昼下がり。

    甲板に出て、陸地を眺めると、
    山の中腹がキラリと輝いています。
    神谷は、あたりの景色と光る場所を絵図面に書きしるします。

    大永6年(1526年)、神谷は、連れてきた技術者とともに、その場所に到達します。
    光の源は、地表に露出した、おびただしい量の銀鉱石でした。

    神谷は鉱石を九州へ持ち帰ります。
    質・量ともに優れた世界有数の銀山の発見でした。

    天文2年(1533年)博多より、宗丹・桂寿という2人の技術者が石見銀山に派遣されます。 銀の製錬の先端技術(灰吹き法)が日本で初めて導入されたのです。

    これを境に産出量が増大して、銀を輸入していた日本は、一転して銀の輸出国になります。

    この時代に、周防・長門・石見・安芸・豊前・筑前の6ヶ国の守護を務めていたのは名門・大内氏です。
    神谷一族は、大内氏の支配下で、明との貿易に携わります。

    この交易で、大内氏は、莫大な富を得ます。大内氏の本拠地・山口は西の京と呼ばれるようになります。
    人材に恵まれたら、戦国の覇者になったかもしれません。
    しかし、当主大内義隆は、公家に憧れ、覇気がありません。

    中国地方には、大内氏のほかにもう一人有力な戦国大名が存在しました。
    出雲の尼子氏です。

    天文6年(1537年)尼子詮久は、83歳の祖父・経久から家督を譲られます。
    尼子詮久(後の晴久)は、二十三歳の野心家でした。

    1537年8月、尼子詮久は、石見大森銀山を奪取に成功します。

    ◆◆「軍資金の打ち出の小槌」を得た詮久は、◆◆
    ◆◆足利将軍義晴の命を受けて上洛を決意します。◆◆
    ◆◆美作・備中・但馬・播磨を次々と攻略し、一大勢力に成長します。◆◆

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    (2002/11/18)
    石見銀山物語(後編)

    大内側の武将・毛利元就は、尼子軍を郡山城で食い止め、安芸での人望を高めていきます。

    1551年、陶晴賢が謀反により主君・大内義隆を自害させます。
    1554年、毛利元就は、陶晴賢を厳島合戦で破り、中国最大の大名に、のし上ります。

    さて、毛利と尼子は、中国地方の覇権を賭けて戦います。
    戦いの帰趨を決定するのは、もちろん石見大森銀山。
    この地を守る山吹城の争奪戦は、熾烈を極めました。

    当時の日本の銀の産出量は、世界の1/3もありました。
    そして、石見銀山は、日本一の銀山で、世界産出量の1/15を占めていました。

    1562年、毛利は、周囲に多くの城を築き、石見銀山の完全支配に成功します。
    尼子は、軍資金を絶たれ衰退します。

    ・・・銀山を失ってから3年後・・・

    本拠地・月山富田城が陥落して、尼子家は滅亡します。

    1585年、毛利は豊臣秀吉と和睦して、石見銀山は両家の共同管理となります。
    1600年、関が原の戦いで勝利した徳川家康は、石見銀山を直轄領として、両家から奪い取ります。

    採掘を任された大久保長安は、実績をあげます。1602年には年間15トンの銀を生み出し、幕府の財政に貢献します。

    ポルトガル・スペインは、中国などアジア諸国と日本の銀によって、交易することができたのです。
    日本の銀はソーマ銀と呼ばれました。
    この名は、石見銀山が佐摩(さま)村にあったことに由来します。

    しかし、これをピークに石見銀山は掘り尽され、産出量が激減します。
    1673〜82年の平均産出量は1トンに過ぎません。

    幕府の財政は、厳しくなっていきます。

    ・・そして、開山から約400年後・・

    1923年(大正12年)、石見銅山(銀は採掘されなくなっていた)は、休山します。

    ◆◆1969年、代官所跡など14ヶ所が史跡として指定されます。◆◆
    ◆◆ そして、最近・・・・石見銀山は、産業遺跡として◆◆
    ◆◆ 世界遺産推薦暫定リストに追加されたそうです。◆◆

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    (2002/11/14)
    未成年口座サービスについて

    私は、子供の頃、お年玉をためた資金で八幡製鉄を買ってもらい、経済に興味を持つようになった話は、以前ご紹介しました

    子供が、株を長期保有するのに肯定的な意見を述べました。

    しかし、未成年が、日常的に株取引するのは、絶対に許してはなりません。
    酒やタバコやパチンコと同じように、未成年の株取引は禁止されるべきでしょう。

    さて、松井証券が、未成年口座サービスを始めたそうです。 「20歳未満の子供でもデイトレードができるのか?」と驚きましたが、松井のHPを見るとそうではないようです。

    未成年口座は、親権者が未成年の財産を本人(未成年者)に代り管理することを目的とする口座です。 パスワードを監理しているのは、親権者で、未成年者に教えてはいけないのです。

    しかし、パスワードをこっそりと教えてもらい、トレードを直接行う、恐ろしい子供達が、出現しそうな予感がします。「誰がパスワードを打ち込んでいるのか?」を確認する方法はありません。 この制度は、問題があると思います。

    松井は、特許を出願して、新しいビジネスモデルに挑戦するようです。

    同社は、平成14年11月23日(土)より贈与支援サービスも開始します。 贈与支援サービスでは、妻や子供に株券を贈与した場合に、贈与する方と贈与を受ける方双方の指示に基づき、株券の振替処理を行います。

    さらに贈与税の申告書類を簡単に作成することができる報告書も発行するようです。

    優待券や、配当などは家族で分散すれば有利ですね。 子供名義にすれば、配当の税金は全額還付されるでしょう。

    生前贈与を本気で考えている人は、便利だと思います。
    しかし、実際には贈与されないで、脱税に使われるケースもありそうな気もしますね。

    ◆◆利用者は、税務署に睨まれないでしょうかね?◆◆
    ◆◆ この制度は、興味津々、問題が山積みで、先行きが気になります。◆◆

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    (2002/11/12)
    パチンコ依存症について

    11月10日の朝日新聞によれば、パチンコ依存症の方が急増しているそうです。
    2001年のパチンコ人口は1930万人と最盛期の1994年より34%も減ったのに、総売上は9%しか減らず27兆8000億円を維持しました。

    一般の人のパチンコ離れが進む中、一部のヘビーユーザーがパチンコ業界を支えていることをこの数字は意味します。 彼らの一部は、パチンコにのめり込み、その刺激なしではいられなくなったパチンコ依存症患者と考えられます。

    私は、パチンコは20年以上やったことがありませんが、ギャンブル依存症という観点から、この問題に興味を持っています。

    東京理科大・諏訪短大、信州大学、松本短大の共同プロジェクトチームが、パチンコ経験者6人に関して実験を行い、次のような研究成果をまとめました。

    @パチンコをするとモルヒネに似た脳内麻薬(ベータエンドルフィン)が分泌されます。
    Aパチンコに熱中する人ほど、その量が多くなるそうです。
    Bパチンコは、嵌れば嵌るほど快感が深まり、習慣化や依存が進む可能性があります。

    依存症患者も最初は、不況で職場や家庭のストレスが溜まり、パチンコで発散していただけでしょう。 パチンコ依存症患者は、麻薬中毒患者と似ています。

    回数を重ねるにつれて、やめられなくなり、生活に支障をきたすようになります。 生活費をつぎ込み、所持金をなくしてもやめられません。

    パチンコ屋の隣には、消費者金融が出店することが多いですが、彼らは、高利の金を借りて、パチンコを続けます。 やがて、借金が返せなくなり、家族は崩壊・・・

    依存症は一種の病気ですから、治療する必要があります。

    さて、パチンコ依存症を救うサイトも増加しているようです。 掲示板などで、事実を告白することで、自己を客観的にみつめ、お互い励まし合い依存症から脱出する。

    インターネットは、素晴らしいですね。

    さて、「株とパチンコは違う」と私も信じてます。パチンコは必ず損するが、株は努力次第では・・・? しかし、株も一寸先は闇。信用取引や仕手相場など似ている点も多いですね。

    ◆◆私も株依存症の潜在患者としての自覚があります。◆◆
    ◆◆中毒にならないよう、気をつけたいと思いますね。◆◆
    ◆◆ 明日は、仕事で休みます。◆◆

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    (2002/11/4)
    ビールと日本人と不景気(前編)

    「日本人は、欧米人と比べて酒に弱い」という説には、根拠があります。

    体内に入ったアルコールは、酸化されてアセトアルデヒドという物質に変わります。

    飲みすぎて顔が赤くなったり、気持ちが悪くなるのは、この物質が血液中に増えるからです。 また、二日酔いとは、翌朝になっても、アセトアルデヒドが肝臓で分解しきれないほど血液に溜まった状態です。

    そして、酒に関する肝臓の性能を決めるのが、アセトアルデヒドを分解する酵素ALDHです。 この分解酵素には、働き者タイプと怠け者タイプの2種類があるそうです。

    白人や黒人のほぼ全員が働き者タイプ★のALDHを持つのに対して、
    日本人の酒遺伝子は、半分が「働き者タイプ★」ですが、残り半分は「怠け者タイプ☆」であるようです。

    したがって、日本人は、次の3種類に分類できます。

    ★★------酒に強い
    ☆★------酒がそこそこ飲める
    ☆☆------酒がまったく飲めない

    言い換えると、日本人には、まったく酒が飲めないタイプの方が存在します。(参考ホームページ)。

    日本は、村社会。集団が酒を酌み交わし、酔いを共有することで、結束を図ってきた側面があります。

    阪神淡路大震災のときには、毎晩、緊急災害避難所で大勢の人が酒盛りに参加しました。
    救援物資にも、酒類が自然と登場します。
    アメリカには、こうした習慣がなく、特派員は驚いたといいます。

    日本の酒席は、飲めない人であっても、酒が勧められるのが慣習です。
    ☆★タイプの私としては、新入生歓迎コンパでの無理強いや、台湾の乾杯には閉口しました。 しかし、営業(短期間でしたが)を経験すると、良好な人間関係を築く上で、酒は不可欠であると、認めざるをえません。

    さて、酒の中で、最も主流なのはビールです。
    2001年の出荷数量は4,931,304 キロリットルで、酒全体の48.8%を占めています。

    2000年の統計では、日本人一人当たりビール年間消費量は、大ビン88本、世界24位です。 ちなみに、1位チェコ(250本)、2位アイルランド(236本)、3位ドイツ(198本)という順番です。

    ビール発祥の地で、経済的に豊かなヨーロッパが上位を独占しており、経済大国日本は、アジアでは、第1位です。 躍進めざましい中国は、まだ、貧しいのか28本のビールしか飲めません。

    ◆◆そうか、ビールの消費量の推移を調べれば、◆◆
    ◆◆最近の日本経済の状況が分かるかもしれません。◆◆
    ◆◆ 続きは、明日発表します。◆◆

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    (2002/11/5)
    ビールと日本人と不景気(後編)

    さて、下の表の一番左の欄は、1989年〜2001年までの課税されたビールの数量です。 1994年までは、一貫して、増え続けました。
    1990年などは、株価が最も下がった年ですが、やけ酒の需要が増えたからでしょうか?

    しかし、不景気の深刻化とともに1994年に消費量はピークを打ちます。
    交際費や小遣いも削られ、飲みに行けない時代に突入します。 以後は減る一方です。しかし、ビールの減少には、他に大きな理由があります。

    ビールと雑酒の課税数量の推移
    区分 ビール@ 雑酒A 合計@+A 日経平均終値
    1989年 6,115,306 8,374 6,123,680 38915.87
    1990年 6,639,759 8,766 6,648,525 23848.71
    1991年 6,899,432 15,676 6,915,108 22,983.77
    1992年 7,083,444 12,997 7,096,441 16,924.95
    1993年 6,968,487 11,692 6,980,179 17,417.24
    1994年 7,453,489 19,315 7,472,804 19,723.06
    1995年 6,948,478 244,128 7,192,606 19,868.15
    1996年 6,960,525 322,258 7,282,783 19,361.35
    1997年 6,802,946 450,839 7,253,785 15,258.74
    1998年 6,256,087 980,309 7,236,396 13,842.17
    1999年 5,832,653 1,404,325 7,236,978 18,934.34
    2000年 5,571,659 1,636,740 7,208,399 13,785.69
    2001年 4,931,304 2,279,944 7,211,248 10,542.62

    1994年10月にサントリーが画期的な新製品・発泡酒(ホップス 生)を発売します。 発泡酒は、麦芽の使用率が2/3未満のものをいい、税金が優遇されています。酒税の統計上は、雑酒に該当します。

    ホップスの麦芽使用率は65%でした。
    次の年から発泡酒は、低価格を武器に高度成長を開始します。

    96年10月に酒税法が改正され、発泡酒の増税が実行されます。

    税額は350ミリ・リットル当たりでビールが77・7円なのに対して、発泡酒は麦芽使用率が25%以上50%未満で53・5円、25%未満で36・7円となります。

    ビール会社は、麦芽使用量65%の発泡酒を諦めて、50%未満の新製品を開発します。
    発泡酒は順調に増加し、その分、ビールは激減します。
    2001年には、合計の31.6%を発泡酒が占めるようになります。

    発泡酒とビールの合計は、1995年以降ほとんど変化しません。
    量は変わらず、低価格の発泡酒がシェアを増やしていく、というのが不景気日本のトレンドなのです。

    2002年6月14日、政府税制調査会の基本方針によると、税収不足に悩む政府は、どうも発泡酒の増税を考えているようです。

    ◆◆毎晩晩酌される方は、反対運動に参加されたら如何でしょうか?◆◆
    ◆◆ ビール会社の命運を左右するのは、発泡酒の新製品開発なのです。◆◆

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    (2002/11/7)
    春日大社のお告げ

    毎年、年末年始に、兜町界隈にFAXで何処からともなく流布される怪文書に「春日大社のお告げ」というのがあります。

    一年の相場を各月ごとに、短い言葉で予測したもので、25年間の歴史があるようです。
    次第に有名になり、当たっているとの評判もよく聞きます。

    今年の予測と日経平均の値動きを、表にまとめました。
    神様には、失礼ですが、当たるも八卦、当たらぬも八卦というところでしょうか。

    平成14年春日大社のお告げ
    日付 始値 高値 安値 終値
    1月 高寄り 10,631.00 10,979.92 9,843.12 9,997.80
    2月 下押す 10,026.96 10,798.67 9,420.85 10,587.83
    3月 小底 10,641.36 12,034.04 10,540.31 11,024.94
    4月 ジリ高 11,106.07 11,812.99 10,896.12 11,492.54
    5月 堅調 11,540.09 12,081.43 11,250.86 11,763.70
    6月 軟調 11,804.04 11,905.16 10,060.72 10,621.84
    7月 安値拾い 10,655.00 11,050.69 9,547.85 9,877.94
    8月 小反発 9,912.59 10,162.30 9,439.41 9,619.30
    9月 押し目買い 9,564.90 9,884.60 8,969.26 9,383.29
    10月 急伸 9,289.53 9,293.86 8,197.22 8,640.48
    11月(6日まで) 底入れ 8,651.67 8,995.51 8,571.43 8,937.56
    12月 次第高

    もちろん、春日大社が予測を出すわけではなく、春日大社は「名前を使わないで欲しい」と抗議しています。 その結果、最近では、「平成○○年、相場予見」との名称に変更されました。

    しかし、誰もが知名度を得た「春日大社のお告げ」と呼んでいます。

    実はこのお告げ、S証券の元証券マンのCYさんが入魂込めて、毎年作成しているようです。 最近では、陰陽道をプログラム化して、相場を予想しているとの噂です。

    CYさんは、かなりの高齢(74歳)で、お告げはこれから先、長く続く保証はありません。

    このお告げには、ノストラダムスのような名文もついています。 ちなみに、今年は、以下のとおり。

    夜明け間近の午の刻
    七赤金星 歳もよし
    播かぬ種は生えぬ
    みんな活きていく音をたてている

    ◆◆最初の二行は、投資すべき特定の日付を指しているのでしょうか?◆◆
    ◆◆浅学の私にはわかりません。◆◆

    ◆◆ さて、お告げによれば、「11月底入れ、12月次第高」というのが、◆◆
    ◆◆最近、妙に気になっています。◆◆

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