■歴史の玉手箱5■

---目次---
  • 蘭奢待の話(前編)
  • 蘭奢待の話(後編)
  • ポンペイ最後の日(後編)
  • アステカの悲劇(前編)
  • アステカの悲劇(後編)
  • インカの悲劇(前編)
  • インカの悲劇(後編)

  • (2003/5/27)
    蘭奢待の話(前編)

    蘭奢待(らんじゃたい)には、三つの文字が隠されています。
    「蘭の中に」「奢の中に」「待の中に」・・以上続けて読むと東大寺。

    蘭奢待は、9世紀頃から東大寺正倉院に納められた秘宝です。
    蘭奢待は、長さ156cm、重さ11.6kgの香木です。

    ・・・・

    1573年(天正元年)は、織田信長にとって、最高の年でした。 宿敵・武田信玄は病に潰え、浅井・朝倉を滅ぼし、敵対する足利義昭を追放し、室町幕府も滅亡させます。

    まさに向うところ敵なし。
    しかし、油断は禁物です。

    誰もが信長を天下人として崇めざるを得ない行動を、とる必要があります。

    何をするべきか?

    翌年3月23日、信長は東大寺に使者を送ります。

    「正倉院に伝わる霊宝・蘭奢待を見たい」
    と書状にはありました。

    東大寺は、「勅使がないと蘭奢待は、開封できない慣例になっております」とやんわりと断ります。

    27日、信長は、奈良に押しかけ、多門山に宿泊します。
    「蘭奢待を見たい」

    再度の要請を断れば、比叡山のように焼討ち(1571年)されるかもしれません。
    震え上がった東大寺は蘭奢待を信長に差し出します。

    もちろん、秘宝が無傷で済むはずがありません。

    信長は、蘭奢待に短刀を差込み、1寸4分の大きさのニ片を無造作に切り取ります。

    一片は、正親町(おおぎまち)天皇に献上します。
    4月3日、信長は相国寺で茶会を開催します。

    千利休や多くの客の目前で・・・
    蘭奢待が焚かれます。

    600年の時が経過しているのに、黒い樹脂状の香木から豊かな香りが漂います。

    天下人だけが、楽しめる香り。

    多くの天下人がこの香木に執着しました。 明治天皇、足利義政、織田信長については、切りとった部分に記録の紙が張られているそうです。 しかし、切り取った根跡は、三人以外にもあるそうです。

    さて、蘭奢待の正体とは、何でしょうか?

    蘭奢待は、ペルシャからもたらされたと伝わっていますが、おそらく事実は、違うでしょう。

    ◆◆蘭奢待の故郷は、ベトナム◆◆
    ◆◆ 山岳民族が住む高原地帯の可能性が高いと思います。◆◆

    ◆◆ この続きは、明日発表します。◆◆

    (参考)「朱印船時代の日本人」 小倉貞男著

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    (2003/5/28)
    蘭奢待の話(後編)

    ジンチョウゲ科のヤウバウは、ベトナムの雨の多い高原地帯に育ちます。 黴の影響で、木の一部に黒い樹液が集まり固まります。

    低地に生えるヤウバウには、この黴が生えません。 この樹脂は腐ることがなく、燃やすと、よい香りがするそうです。

    水に入れると沈むことから、沈香(ジンコウ)と名がつきました。
    沈香の高級品が、伽羅(キャラ)です。

    伽羅は貴重品で、数十年を経て初めて木から採取が可能になります。 1996年、宮内庁正倉院事務所の科学調査で、蘭奢待の香り成分が伽羅と一致することが確認されました。

    徳川家康の時代、伽羅の値段が次のように記録されているそうです。
    「銀20貫(400両)で、伽羅100斤を入手した」

    1斤はパンを数えるのに使われますが、重量の単位としては660gに相当します。 1両で伽羅165gしか買えなかったようです。蘭奢待ほどの価値はありませんが、伽羅は珍重されました。

    日本の商人は、高価な伽羅を求めて朱印船に乗り、東南アジアに向います。 代金は、銅や銀で支払われました。石見銀山を有する日本は、当時世界最大の銀産出国だったのです。

    ベトナムでは、銅が採掘されません。日本からの輸入で銅貨が初めて流通します。 ベトナムの通貨の単位「ドン」は、日本語の「銅(ドウ)」が訛ったことはあまり知られてません。

    さて、今日でも、伽羅はベトナムの輸出品です。

    香木の生えている場所は、山岳地帯の少数民族が絶対に教えない機密事項です。

    1987年、日本はベトナムから沈香を16トン輸入しています。
    輸入金額は、6億8000万円。
    割り算すると1g当たり43円。

    ◆◆小売価格は、ずっと高いでしょうが、随分暴落したものですね。◆◆

    ◆◆ 伽羅の線香を焚き、◆◆
    ◆◆天下を取った織田信長の気分に浸るのもいいかもしれません。◆◆

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    (2002/6/26)
    ポンペイ最後の日(後編)

    ・・・西暦79年8月24日・・・
    大地が揺らぎ、ベスビオ火山が大噴火を開始します。

    噴煙が立ち昇り、松の枝のように横に広がります。
    やがて、太陽がさえぎられ、あたりは夜のように暗くなります。

    火口の火柱だけが、不気味に輝きを増します。 有毒ガスを含んだ熱風が、外にいる人を襲います。そして、大量の軽石と灰が落下します。

    家やアポロ神殿に逃げ込むほうが、まだ安全でした。 しかし、熱い軽石が降り注ぎます。直ぐに灰は膝の高さまで・・・

    ポンペイの人達は、自宅に閉じ込められます。熱風が吹き荒れる外にでることは、不可能です。

    灰が果てしなく、降り積もります。

    アポロ神殿や、丘の上の円形闘技場も、人々も、悲しみも、絶望も、神への祈りも、すべて厚い灰の下に埋もれます。 大農園主も奴隷も、神殿も居酒屋も、区別なく。

    奇跡的に生き残ったカンパチア人達は、街の再建を断念します。

    千年を超える時の経過は、この悲劇を忘れ去らせます。
    この地にポンペイという街が栄えていた事実さえも・・・

    約250年前、貴族が自宅の近くの井戸を掘っていると、偶然、大理石の女性像が発見されます。井戸は、ちょうど劇場の真上にあったのです。

    それから、何百年もかけて、発掘が続きます。
    ポンペイの名が書かれた碑文が発見され、この街の身元が判明します。

    やがてタイムカプセルから出てきたように、街の全貌が姿を現します。
    城壁、道路、パン工場、そして、そこに住んでいた人間までも・・・

    遺体に灰が積もり、中身が腐ると人間の形をした空洞ができます。
    1863年に発明された石膏鋳造法は、その空洞に石膏を流し込み遺体を写し取ることに成功します。

    当時着ていた服や顔の表情まで、こうして甦ったのです。

    ◆◆ポンペイは、世界遺産ですが、発掘されてからの損傷が激しいようです。◆◆
    ◆◆ 蔦などの植物や心無い観光客は、遺跡を破壊し続けています。◆◆

    ◆◆世界遺産を、永遠に残したいものです。◆◆

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    (2002/7/1フィクション)
    アステカの悲劇(前編)

    今から2万年前、極寒のシベリアから、マンモスなどの大型動物を追って、当時陸続きだったアラスカに渡った人類は、日本人や中国人と同じモンゴロイドでした。

    彼らは、南北アメリカ大陸を南下します。

    紀元前5000年、インディオ達は、農耕を始めます。
    紀元前1000年、彼らは、既にピラミッドの神殿を築いていました。

    アステカ族が王国をメキシコに建設したのは、12〜13世紀と言われています。20万人が住む都市テノチティトランは、難攻不落の要塞でした。 テノチティトランは、テスココ湖の島に建設されたのです。

    その年(西暦1519年)は、アステカ人にとって恐怖の年でした。
    伝承によれば、ケツァルコアトル神が、980年ぶりに帰ってくるのです。

    アステカ神話には、二人の兄弟の神様が登場します。 兄テスカポリトカと弟ケツァルコアトル。二人は、協力して天地を創ります。

    兄は美しい男、弟は翼の生えた蛇でした。 そして、兄は、弟に鏡を見せます。

    醜い自分の姿を知ったケツァルコアトル神は、恥ずかしさのあまり、東の海の彼方に筏に乗って去っていきます。

    そして、今年(一の葦の年)、ケツァルコアトルは、白い肌の人となって、海から必ず戻ってくる・・・

    アステカ王モンテスマは、不安な日々が続いていました。
    いくら伝説でも、本当に現われることはないだろう。

    しかし、その日アステカ王は・・
    ついにケツァルコアトルが現われたとの報告を受けます。

    王は、軍隊と使者を差し向けます。

    彼らが目撃したのは、四本の長い足を持ち、風のように走り、雷を自由に操れる半獣半神。
    白い肌を持つケツァルコアトル。

    ケツァルコアトルは、15人の半獣半神と500人の白い肌の軍勢を従えていました。円筒形の不思議な武器が14。

    そしてケツァルコアトルの側らには、巫女が寄り添っています。
    巫女マリンチェは、アステカ語で、厳かに使者に告げます。

    ものども。このお方をどなたと心得おるか。
    天地を創られたケツァルコアトル神なるぞ。頭が高い。

    アステカの師団長は、総攻撃を仕掛けようとします。人数は数倍、負けるはずがありません。

    その瞬間、白い肌の軍勢は、手にもった棒から雷を発射します。
    最前列にいたアステカ兵に、雷は命中して、絶命します。

    ◆◆アステカ人は、神の前にひれ伏します。◆◆
    ◆◆ もはや、ケツァルコアトル神の再臨を疑うものは、誰もいませんでした。◆◆

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    (2002/7/2フィクション)
    アステカの悲劇(後編)

    ケツァルコアトル神は、アステカ族と敵対するトラスカラ族を味方につけ、アステカ人の町チョルーラを占領します。 ケツァルコアトル神がアステカ人に命じたのは、兄テスカポリトカの神殿の破壊ではありませんでした。

    彼が望んだのは、アステカの黄金の提出と奴隷の確保でした。逆らうものは虐殺されました。

    しかし、神が何故、黄金が好きなのでしょうか?

    ・・・・・・・・・・・・・

    夜になると占領した街で、ケツァルコアトル神と巫女マリンチェは、
    男と女として抱合います。

    「お前の言うとおり、ケンタウルスの真似をしたのは、成功だったな。
    あいつらは、馬を見たことないから、俺のことを神と勘違いしている。」

    「アステカの都を占領したら、他の女と浮気しちゃだめよ。
    あたいがいないと殺されるからね。」

    ケツァルコアトル神の正体は、スペイン貴族で、アステカの征服者となるコルテスでした。 彼は、キューバ提督の命を受け、500人の軍勢と馬16頭、14門の大砲を引き連れて、黄金の国ジパングを探していました。

    巫女マリンチェは、才色兼備のインディオの娘。
    最初は奴隷でしたが、彼女は、マヤ語とアステカ語が話せる貴重な人材でした。

    マリンチェは、コルテスの愛人に昇格して、ケツァルコアトル神の伝説を教え、征服の手引きをします。

    彼女は、スペイン語もマスターして、
    後にコルテスの子供マルティンを産みます。

    ・・・・・・・・・・・・・

    征服者達は、破竹の進撃を続けて、1519年11月8日、アステカの水の都テノチティトランに到達します。 アステカ王モンテスマは、コルテスを神として歓待します。黄金や宝物を献上しますが、コルテスは満足しません。

    コルテスは、アステカの乗っ取りを実行します。

    1520年6月、スペイン人による虐殺に怒ったアステカ族は、ついに蜂起して、王宮を取り囲みます。 一時は、スペイン人の追い出し(悲しき夜)に成功します。

    しかし、復讐が始まります。

    体制を立て直したスペイン軍は、13隻の船を湖に浮かべ、テノチティトランを包囲します。艦砲射撃で、容赦なく街を破壊します。 都に通じる3本の道も封鎖して、兵糧攻めに出ます。

    ・・・80日後・・・

    1521年8月13日、20万人の人口を擁した、メキシコ最大の都市テノチティトラン(現在のメキシコシティー)は、ついに陥落します。
    たった500人のスペイン人によって、アステカ王国は滅亡します。

    アステカ人は、食料も、棍棒も、矢も使い果たしてしまったのです。
    アステカ人はコルテスに跪いて、キリスト教に改宗して、命乞いするしかなかったのです。

    ◆◆そして、柔順と認められたものは、◆◆
    ◆◆奴隷として農場や鉱山で働くことができました。◆◆

    ◆◆ コルテスは、数万人の奴隷を使い巨万の富を築きます。◆◆
    ◆◆彼が亡くなったとき、その遺産は48万ペソに及んだそうです。◆◆

    (参考文献)「古代のメキシコ人」ミゲル・レオン=ポルティーヤ  山崎真次訳

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    (2002/7/4)
    インカの悲劇(前編)

    フランシスコ・ピサロは7年がかりで、その国を探索していました。
    南アメリカ大陸西岸に存在する黄金の帝国のことを・・・

    俺もコルテスのようになりたい。

    野心家ピサロは、全財産を投げ打って、その王国を支配する夢を実現しようとします。

    ピサロの軍隊は、コルテスと比較すると貧弱でした。
    人数わずか180人、馬27頭、銃はわずか13丁、大砲2門。

    彼は、インカ帝国の国王アタワルパが、温泉のある都市カハマルカに滞在しているとの情報を得ます。
    一方、アタワルパも、スペイン人のことは、逐次情報を得ていました。

    そして、2万人の兵士を動員して待ち構えていたのです。
    180人vs20,000人という史上空前の兵力差の戦争(1532年11月カハマルカの戦い)がこうして始まります。

    「白人を捕まえて、去勢して処女の館の番人にしてやる。」とアタワルパは、勝利を確信していました。
    スペイン人も、勝てる自信は、あまりなかったでしょう。

    ピサロは、天才的な戦略家でした。
    「勝つためには、国王を捉えるしかない」と決めていたようです。

    ピサロは、兵を隠し、宮殿のインカ兵を誘い出します。
    いくら不思議な武器を持っていても、100倍の兵力なら宮殿に篭城するのは、馬鹿げています。

    インカ兵は、スペイン人を見下して、街の大広場に集合します。

    全軍が広場に集った頃、ピサロは大砲で群集の中央を狙い撃ちします。
    大砲の恐ろしさを始めて知ったインカ兵は、壁に囲まれた広場でパニックになります。

    インカには、鉄文明がなく、武器は、石をつけた棍棒や青銅器でした。
    しかし、スペイン人は、白兵戦には、のってきません。
    スペイン人は、馬に乗って、鋼鉄の槍で殺戮しほうだい。

    スペイン兵は鋼鉄の甲冑で身を守られ、インカ兵は丸腰でした。

    インカの飛び道具は、20メートルしか飛ばない弓矢があるだけです。
    スペイン兵の主力飛び道具は、ハンドルで弦を巻き上げられる大弓(バジェスタ)で、殺傷力がありました。
    高い場所から、一方的に狙い撃ちします。

    アタワルパの最大の間違いは、輿にのりスペイン人の前に姿を現したことです。
    たちまち、騎兵が襲い掛かり、護衛の兵士は殺されます。

    アタワルパは、生け捕りなってしまいます。
    偉大な国王を人質に取られて、インカ軍は、手出しが出来なくなります。

    ◆◆カハマルカの戦いは、こうしてスペイン軍が、大勝利したのです。◆◆
    ◆◆優れた武器を持つ者は、必然的に支配者となるのです◆◆

    ◆◆明日は、休みます。この続きは、明後日発表です◆◆

    (参考文献)「黄金帝国の謎」森本哲郎編

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    (2002/7/6)
    インカの悲劇(後編)

    アタワルパは、カハマルカの石室に軟禁されます。 彼は、ピサロに身代金を支払って、自由を得ようと次の提案をします。

    「この部屋を黄金で、この高さまで埋め尽くすから、私を解放してくれ。」
    その部屋は、縦5.2メートル、横6.7メートル、指し示した高さは、2.7メートルありました。

    インカ帝国中に伝令が走り、インカの財宝が集められ、石室は黄金で埋め尽くされます。
    しかし、ピサロは約束を守りません。

    ピサロは、やや小さい2つの部屋を決め、今度は銀で埋めることを要求します。

    アタワルパは、この要求も果たします。

    スペイン人は、坩堝で金や銀を鋳潰し、延べ棒にして、本国に持ち帰ります。

    しかし、ピサロは、国王を解放しませんでした。
    アタワルパをあやつり、インカ帝国を支配します。

    それどころか、翌年アタワルパを処刑します。
    ピサロは、身代金営利誘拐を成功させた、殺人犯といったところでしょうか。

    インカは、後に標高2500メートルの幻の空中都市マチュ・ピチェなどを拠点にして、40年間もゲリラ活動を行ないます。 しかし、1572年最後の皇帝が捕まり、滅亡します。

    ・・・・・・・・・・

    さて、史上最大の身代金がどのぐらいの金額か?
    暇人の私は、こうした問題に興味があります。以下は、私の計算です。

    この石室の容積は、97.068立方メートルあります。

    私の家の風呂場にある洗面器(直径30cm×高さ10cm、厚み1mm)の容積は7068.6ccです。
    この洗面器が、純金で出来ていると仮定します。
    金の体積は、164.9cc。

    金の比重は、19.3なので、金の洗面器の重さは、3.18kg。
    隙間を考え、石室の55%の空間が洗面器で満たされると考えると・・・

    石室を埋め尽くすのに必要な洗面器の数は
    97.068×1000000×0.55÷7068=7553個

    黄金の量は、
    3.18kg×7553個=24トン

    昨日の金価格は、1284円/gですので
    24トン×1000000×1284=308億円

    ピサロが、手に入れた身代金は、308億円にもなります。

    ・・さて、余談です・・

    昭和61年、天皇在位60年を記念して10万円金貨が、発行されました。
    金貨一枚の重さは20gで、発行枚数は、1000万枚です。

    ◆◆この金貨の総重量は200トンですから、◆◆
    ◆◆インカの24トンの金は、たいしたことないのでは?◆◆
    ◆◆ 黄金の国ジパングは、やはり現在の日本かもしれません。◆◆

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