■J_Coffeeの徒然草(27巻)■

---目次---
  • 一寸先は闇(セラーテムの場合)
  • 恐怖の報酬
  • 握りずしの起源
  • 静岡銀行物語(前編)
  • 静岡銀行物語(後編)
  • チキンレース(前編)
  • チキンレース(後編)

  • (2003/2/8)
    一寸先は闇
    (セラーテムの場合)

    幸いにも私はホールダーではありませんが、株の恐さを、まざまざと見せつけたのが、セラーテムテクノロジー(ヘラクレス市場)の一件です。

    同社は、画期的な画像処理技術を保有しており、人気があります。
    6日の市場終了後に発表される12月中間決算が大幅増益になる、と期待感が盛り上がったのが事件の発端のようです。

    2月4日、同社の株価は、一時ストップ高になります。
    出来高は、2,889株と発行済株数78,533株の3.68%を占めました。

    株式分割を発表するかもしれないとの噂も、駆け巡ったようです。
    5日〜6日も大量の出来高を集めて、株価は少しずつ上昇します。 3日間の出来高合計は、10,199株(13.0%)にも達します。株価は、17.6%の上昇です。

    日付 始値 高値 安値 終値 出来高 出来高の発行済株数
    に対する割合
    2003年1月31日 636,000 637,000 627,000 633,000 248 0.32%
    2003年2月3日 630,000 631,000 611,000 625,000 324 0.41%
    2003年2月4日 621,000 725,000 617,000 700,000 2,889 3.68%
    2003年2月5日 690,000 740,000 685,000 716,000 3,162 4.03%
    2003年2月6日 737,000 768,000 727,000 735,000 4,148 5.28%
    2003年2月7日 635,000(特別売気配)0株(特別売気配20,805株) (26.5%)

    さて、6日の市場終了後・・・

    2002年12月中間決算発表の内容は、ホールダーを地獄に突き落とします。

    最終利益・・・大幅増益どころか、前年比91%の減少です。

    7日、阿鼻叫喚の中、売物が殺到します。

    特別売り気配ストップ安の635,000円。

    買いはたったの13株に対して、売りは20,818株!
    売り残は、発行済株数の26.5%に相当します。

    休み明けも厳しい展開が続くのは、必至です。

    後講釈は、やめた方がいいかもしれませんが・・・
    ロウソク足に注目です。

    2月6日、高値ゾーンに出現した黒い流れ星
    この日の出来高は、3ヶ月間で最大です。

    ◆◆当然、内情を知っている人の売りもあるわけで、◆◆
    ◆◆この流れ星は暴落を予見する、禍の象徴でしょうか?◆◆

    もどる


    (2003/1/28)
    恐怖の報酬

    その瞬間、私は「恐怖の報酬」という大昔の映画を思い出しました。

    そのストーリーとは・・・

    油田火災を爆風で消火するため、4人の男は、2台のトラックでニトログリセリンを運ぶことを請け負います。 ニトログリセリンは、少しの振動でも大爆発する危険物です。

    ゆれる吊橋を渡ったり、道路の岩を爆破したり、スリルの連続です。

    一台は、目的地まであとわずかの地点で、無情にも大爆発を起こします。 そして、イヴ・モンタンふんする主人公は、目的を達成、「恐怖の報酬」2000フランを受け取ります。

    陽気に鼻歌を歌いながら、猛スピードで、トラックで一目散に帰る途中・・・

    ハンドルを切りそこね・・・目の前に崖が・・・転落事故死・・
    というラストシーンだったと思います。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・

    私は、今仙電機製作所(名証1部) に比例配分狙いの買いを少し入れていました。
    同社は、来る2月3日に東証1部に上場がきまり、株価高騰は確実でした。
    午前10時15分、ストップ高で25万株ぐらいの特別買い気配。

    名古屋市場は、3本値が分からず、売りの量はサッパリつかめません。
    「大株主の売りで、大量出来高で寄り付き、比例配分狙いの人が高値づかみ」という例も、最近、多くなっています。

    売りが出たらどうしようと心配でした。

    恐怖の4時間半。
    3時だ、やっと終わり!

    と思ったら、まだ終りません。
    名古屋市場は、3時15分に終了するというのも初めて知りました。

    家に帰って、HPを見ると

    株価441円、たったの100株約定。
    合計金額44,100円、手数料は3,150円!

    「恐怖の報酬」を思い出した瞬間です。

    ◆◆比例配分狙いは、少ししか稼げないで、◆◆
    ◆◆たまにドカーンと損する気がしてきました。◆◆
    ◆◆ こんな馬鹿なことは、明日は、もうやめます。◆◆

    もどる


    (2003/1/26)
    握りずしの起源

    子供の頃、握りずしは、めったに食べられませんでした。

    自宅にお客さんが来て、もてなす時か、親戚の家に行ってご馳走になる時。
    丸い桶のトロやウニは、脂が乗っていて、口の中でとろけました。

    握りずしより食べる機会が少ないマツタケやフグは、子供の舌には全然美味しいとは感じませんでした。 日本が豊かになり、いつでも食べられるようになっても、「握りずしは、ご馳走だ」とのイメージが私にはあります。

    寿司は、東南アジアで生まれ、中国、朝鮮半島を伝わって、日本にきたそうです。
    しかし、それは、握りずしの遠いご先祖のことで、なんと保存食だったそうです。

    世界を席巻する和食「握りずし」は、日本のオリジナル食文化です。
    起源は、いくつか説があるようですが、江戸時代の日本人が発明したことは、間違いありません。

    1799年、華屋与兵衛は、八百屋の息子として生まれました。
    彼は、文政年間(1818〜30年)、東両国に与兵衛ずしを開店します。

    江戸湾では、車海老、白魚、こはだ、あなごが捕れました。

    当初は箱に入れて重石を載せ、一日がかりで押し寿司をつくっていました。 味は馴染みますが、脂が抜けて、新鮮味も台無しです。

    与兵衛は、飯を握って、ネタを乗せる江戸前寿司を完成させます。冷蔵庫のない時代、ネタは、塩や酢で下処理した新鮮な生魚でした
    その場で握ってもらえる与兵衛ずしには、客が殺到します。
    支店が、江戸中に増えていきます。

    今では人気のあるマグロは、赤くて下品なネタとみなされ、与兵衛ずしでは、出さなかったそうです。 ところで、「華屋与兵衛」は、ファミリーレストランの名前になってますね。

    江戸の郷土食、握りずしが、全国に広まったのは、不幸な災害がきっかけでした。

    1923年(大正12年)9月1日、関東大震災。
    多くの江戸前寿司職人は、家を失い故郷に帰ります。

    彼らは、生まれ故郷で、握りずしを広めます。

    冷蔵庫と輸送手段の発達は、新鮮なネタが命の握りずしに味方しました。 握りずしは、地元の寿司を駆逐して、全国制覇を成し遂げたのです。

    ◆◆そして、太平洋戦争・・・◆◆
    ◆◆空襲の焼け跡から日本は奇跡の経済復興を成し遂げます。◆◆

    ◆◆ 日本人は、海外進出しながら、和食文化「握りずし」を伝えます。◆◆
    ◆◆「握りずし」は世界中の食通を唸らせ、瞬く間に広がっていったのです。◆◆

    (参考文献)「すしの歴史を訪ねる」 日比野光敏著

    もどる


    (2003/1/12)
    静岡銀行物語(前編)

    株価が立ち直らず、日本経済が不況から脱することが出来ない最大の要因は、銀行が不良債権問題を解決できないことにあります。

    東京三菱銀行でさえ、財務に関するムーディーズ評価がD-なのに、C+を維持している地方銀行が存在します。

    その名は、静岡銀行。
    株式時価総額は、メガバンクUFJ銀行を超えてしまいました。

    この銀行は、何故、バブル崩壊で没落しなかったのか?

    その謎を解くには、明治、大正、昭和、平成と生き抜いた平野繁太郎という銀行経営者について、知る必要があるでしょう。

    平野は、1891年(明治24年)静岡県浜松市で生まれました。
    バブル崩壊の時は、平野は引退して100歳近くになっていました。

    シブ銀と陰口を叩かれた静銀の精神は、戦前・戦後を通じ、多くの修羅場をくぐるうちに確立した平野の信念でした。

    ・・・・・・・・

    関東大震災からまもなくのことです。
    平野は、静岡銀行の前身の一つ遠江(遠州)銀行で働いていました。

    名古屋の村瀬銀行と近江銀行が潰れます。 預金者は不安にかられ、遠江銀行は、取り付けに遭遇しそうになります。 平野は、日銀の名古屋支店に駆けつけ、現金の空き箱と日銀の文字が入った提灯を大量に借りてきます。

    支店が開く前には、払い戻しの客が長蛇の列。 しかし、これ見よがしに置かれた、日銀提灯と現金の空き箱を見て、かなりの人が現金を下ろさずに帰ります。

    こうして、危機は切り抜けられました。

    ・・・・・・・・

    1946年2月17日、預金封鎖と新円切り替えが実施されます。
    インフレが起き、預金は紙くずになります。

    混乱に乗じた多くの闇屋が、短期間で莫大な資産を築きます。

    彼らと積極的に取り引きすべきか?

    1951〜2年、早くも結論がでます。信用を重んじない闇成金は、2〜3の例外を除き没落します。 生き残ったのは、客の信用を第一に考える昔からの商売人達でした。

    こうした経験は、1972年のボーリングブームの対応に生かされます。
    平野は、ブームは一過性と見て、ボーリング場に対する融資を禁止します。

    ◆◆このお陰で、ボーリング場建設を中止した企業に、◆◆
    ◆◆平野は感謝されることになります。◆◆

    ◆◆ 「貸すも親切、貸さぬも親切」という訳です。◆◆

    (参考文献) 「最強の静岡銀行」 日原行隆著

    もどる


    (2003/1/13)
    静岡銀行物語(後編)

    1963年平野繁太郎は、静岡銀行の頭取業務をこなす一方、地銀協会の会長を務めていました。

    若き天才政治家・田中角栄は、当時大蔵大臣でした。
    彼は、大臣室に平野を招き、「大蔵省からの天下りを受け入れるよう」頼み込みます。

    平野は、即答します。
    「大臣、いくら大臣からのお頼みとはいえ、それはできません。」

    しかし、強大な権限を握る監督官庁に逆らえば、イジメが待ているでしょう。

    ・・・それから半年後・・・

    平野は再び角栄に呼びつけられます。

    田中は、威圧的な表情で切り出します。

    「例の件だが、考え直してもらえんだろうか?」

    平野は、きっぱりと天下りを断ります。

    彼は、田中の表情を恐る恐る覗きます。

    さて、どうなるか?

    角栄は、突然にっこりと微笑み、握手を求めます。

    「貴方には、負けました。もうこの話はなかったことにします。
    平野さんのひたむきな姿勢に感銘を受けました。」

    「大変失礼なことをしましたが、これからも、よろしく御願いします。」

    二人は、意気投合します。

    ・・・・・・

    静岡銀行の運命を決めたのは、1989年です。
    金余りを背景に、各銀行は、スケールメリットが期待できる土地担保融資にのめり込んでいました。

    平野イズムを引き継いだ静岡銀行頭取の酒井次吉郎は、ノンバンクや不動産会社に対する貸し出しに疑問を感じ始めていました。

    土地の値上がりを前提にして、地価の100%、110%まで貸し出しを行うのは、
    あまりに危険ではなかろうか?

    酒井は、取締役会でノンバンクなどに対する全貸付金を回収することを提案します。
    取締役会では、積極的な反対も賛成もなかったようです。

    ともかく、提案は通り、東京支店に有無を言わさぬ業務命令が出されます。
    こうしてバブル崩壊前に、ノンバンクへの資金は引き上げられたのです。

    「シブ銀は、100歳のボケ老人のミスでノンバンクの怒りをかい、儲けるチャンスを逃してしまった。」
    他の銀行は、陰口をいいあいます。

    1990年1月株式の暴落。
    そして1991年土地バブルも弾けます。

    平野は、直接的には、この判断には参画していないようです。

    ◆◆しかし、彼は、静岡銀行の完璧な勝利を見届けます。◆◆
    ◆◆ 1993年、平野繁太郎逝去。103歳でした。◆◆

    もどる


    (2003/1/14)
    チキンレース(前編)

    チキンレースという言葉を最初に知ったのは、ジェームズ・ディーンの主演映画「理由なき反抗」のシーンです。

    ジェームズ・ディーンがふんする転校生は、不良のリーダー(バズ)にチキンレースを挑まれます。

    チキンレースとは何か?

    切り立った崖に向って全速力で自動車を走らせます。
    落ちる一歩手前で急ブレーキで止める。
    崖に近い方が勝ちという、危険がいっぱいのゲームです。

    二人は、やせ我慢してなかなかブレーキを踏みません。

    恐怖に負け、先にブレーキを踏んだのは、主人公の転校生。
    不良のリーダー(バズ)の勝ち・・・しかし、車は止まらず、崖から落ちて彼は死にます。

    実生活のジェームズ・ディーンは、24歳の若さで交通事故で亡くなります。
    永遠の青春スターは、たった三本の映画にしか登場しませんが、この場面は記憶に残りますね。

    ・・・・・・・・・・・・

    さて、国際社会でも、チキンレースが好きな国があるようです。
    失うものがなく、核兵器を使った瀬戸際外交で生きる北朝鮮。

    アメリカのケリー特使に追求され、北朝鮮は、ウラン濃縮を行おうとした事実を認めます。
    怒ったアメリカは、北朝鮮に対する、年間50万トン重油の提供を停止します。

    12月12日、イエメンに輸出するミサイルを積んだ北朝鮮の貨物船を拿捕します。
    アメリカは「核開発を秘密裏に計画した北朝鮮とは、交渉しない」と強く出たのでした。

    北朝鮮は、何故か自重します。

    12月19日、韓国大統領選で、太陽政策の盧武鉉(ノムヒョン)が北風政策の李会昌(イフェチャン)を破り、大統領に選出されます。

    北朝鮮は、この日が過ぎるのをじっと待っていました。

    北朝鮮の反撃が始まります。

    24日、北朝鮮は、寧辺の3施設の封印を撤去、監視カメラの作動を妨害します。 使用済核燃料を利用してプルトニウムを製造し始めたのかもしれません。 北朝鮮は、国際原子力機関(IAEA)の査察官を追放します。

    戦争が勃発すれば、被害を受けるのは、韓国と日本です。
    特に韓国は、アメリカを説得しようと努力します。

    ◆◆「北朝鮮と対話する」とアメリカも柔軟路線に変更します。◆◆
    ◆◆ ところが、・・・・◆◆
    ◆◆ この続きは、明日発表します。◆◆

    もどる


    (2003/1/15)
    チキンレース(後編)

    アメリカが対話を認めたのにもかかわらず・・・
    1月10日北朝鮮は、核拡散防止条約(NPT)からの脱退を宣言します。

    そして、「国連安全保障理事会の経済制裁は、宣戦布告とみなす」と脅します。

    全面戦争に向けて、北朝鮮は、また一歩近づいたのです。

    米朝の争いは、核のボタンを押す瞬間に、どちらがより近づくかを競うチキンレースなのです。
    恐怖で、援助を脅し取られたら日米韓の負け、
    核武装を解除されたら北朝鮮の負けというわけです。

    北朝鮮は、ピョンヤンで100万人を集めた反米決起集会を行い、戦意を高めています。

    平和国家日本にとって、まったく迷惑な話です。

    北朝鮮もあまり無理をすると、不良少年のように崖から転落するかもしれませんね。
    ミサイルが飛んでくるのだけは、勘弁です。

    ・・・・・・・・・・・・

    さて、少しは株の話もしましょう。
    コバンザメ投資が、まだ有名でない頃の古き良き時代・・・

    TOPIX買いの日、ジンベイザメとコバンザメは、チキンレースをしているといわれた時代がありました。 素人は、早い時間帯に安く手放します。

    ジンベイザメにとって、大引に近いほど株価を高くしたいはずです。 大引に近づくほど大量に買います。

    したがって、はやる気持ちを我慢して、売るのを遅らせれば遅らすほど高く売れました。
    2時59分59秒を狙って、高値の指値したものです。

    ◆◆最近では、大引の怒涛の上げもない場合が多く、◆◆
    ◆◆この戦法も、すっかり当てにならなくなりましたね。◆◆

    ◆◆チキンレースが懐かしい◆◆

    もどる


    ホームへ