■J_Coffeeの徒然草(4巻)■
第5巻 | |
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三光汽船の思い出(前編) |
三光汽船は、有力政治家・河本敏夫が一代で築き上げた海運会社です。河本は、運輸省の海運集約に反旗を翻し、1964年衆議院議員に当選します。 自民党・三木派を資金面で支え、三木武夫の後を継ぎ河本派のリーダーとなります。
私が、大学一年の頃(1972年)兜町の話題の株といえば、三光汽船でした。この頃、三光汽船は、業績がそれほどよくないのに、株価がうなぎのぼり。当時の私にとって、同社の高株価は最大の謎でした。
私は、親しくなった大手証券の証券レディに、「三光汽船の株価って高すぎない?」と聞いて見ました。
「法人買いよ。あそこは、三光証券と言われていて、自分で株価を上げられるのよ。」
素人の私には、彼女の適切な答えの意味がわかりませんでした。
昔は、増資は、額面(50円)で行われるのが普通でした。時価発行増資が流行したのと、三光汽船が有名になったのは、同じ時期だったと思います。
1970年5月、三光汽船の株は、65円でした。1971年には時価発行の公募増資をへて、なんと349円まで高騰します。日本郵船でも70円台なのに、そのうち下がるだろうと誰もが思いました。
「三光汽船が、ニクソンショックで下がった造船株を、しきりに買い漁っている」という情報が新聞に出ていました。
「造船会社の船台を確保するために買うのだろうか。」
「為替差損がでた造船株は今が底値で、後で売却して儲けるのだろうか。」
市場関係者も、見当違いの推理を働かせました。
下がるはずの三光汽船の株が、どんどん暴騰を続けます。
◆◆1971年11月、三光汽船は、ある発表を行います。◆◆
◆◆この発表から、やっと三光汽船の計画の全貌を、市場関係者は理解します。◆◆
◆◆「異常な株価高騰のカラクリとは何か?」 ◆◆
三光汽船の思い出(後編) |
1971年11月、三光汽船は、3400万株の第三者割り当てによる公募増資を発表します。日立造船、川重、石播などの造船会社に、一株460円で増資を引き受けさせたのです。
造船会社にとって、海運会社は大事なお客様。株を持ち合いたいと言えば、断れません。そのための、造船株買いだったのです。
しかも、取引証券会社を選定する際、巧みな基準が設けられます。 三光汽船を買った実績に応じて、取引量を決めたのです。この結果、証券会社は、三光汽船の購入を顧客に勧めるようになります。同株の人気はこうして、支えられたのです。
三光汽船は、錬金術のように増資で得た156億円で、商社、銀行、損保株を買い始めます。関係が密接な会社ばかりでした。 1972年4月、再び第三者割り当てによる公募増資を決定します。一株660円で5000万株が商社、銀行などに割り当てられたのです。 濡れ手に泡の330億円の資金を得てしまうのです。
同年12月、三光汽船は、なんと2560円の高値をつけます。
私が、株を始めた1972年(昭和47年)は、歴史的にも株が暴騰した年です。 たった一年で、日経平均は、年初の2712円から年末には5207円と 2倍近く値上がりしました。 |
学生だった私は、研究時間も充分あり、最後には三光汽船の謎が解けました。その瞬間、過剰流動性と法人買い(企業の株の持ち合い)が、当時の市場全体の異常な暴騰の原因であると確信しました。
当時の私は資金がなく、三光汽船は、買えませんでした。私は、小学校の頃から持ちつづけた新日鉄を売り、証券レディの勧めに従い、資金を足して伊藤忠を買いました。商社は、取引会社と株の持ち合いを推進していたのです。
結果は、ビキナーズラック。約5割のもうけでした。今から考えると始めた時期がいいだけですが、そのときは、嬉しくて一日中興奮していました。 私は、この時から、勉強を放り出し、株の魔力にとりつかれてしまったようです。
◆◆私にとって三光汽船は、その時代を象徴する株なのです。◆◆
◆◆
ところで、最近話題の持ち合い株の解消は、1972年と逆の現象ですね。◆◆
◆◆警戒が必要です。◆◆
NTT株の放出(前編) |
国の財政再建の切り札として、1986年、NTT株の第一次放出が具体化されました。
大蔵省は、少しでも高く株を売りたかったのです。1986年9月に、価格を決めるため競争入札が実施されました。事前の予想では、一株83万円ぐらいが妥当だとのことでしたが、NTTとの取引を望む機関投資家が、高値で応札します。ふたを開けてみると、加重平均値は、119万7千円でした。
この価格をもとに、165万株の一般の申し込みが始まります。申し込みを一人一通に制限し、名寄せを行いチェックするとのことでした。添付書類には、住民票か免許証のコピーが必要でした。
「国が売り出すものだから、絶対に損をさせるはずがない」
「二次、三次を成功させるために、株価は上がるはずだ」
そんな説が何処からともなく広まります。
手数料を得るため、証券会社も決死の営業活動を展開します。 申し込み総数1058万5224件、6.4倍の倍率でした。赤ちゃんの名まで動員した家も多かったようです。
上原敬之典の書いた「NTT株は、大化けする」という本が1月発売され、当選者に影響を与えます。
本、週間誌、テレビ、証券会社の営業努力の相乗効果で、 「NTT株は絶対に儲かる」との国民的合意がついに形成されてしまうのです。 |
例えば、私の叔父さんの一人は、株を買ったことがありません。抽選に当たった時は払い込むかどうか迷っていましたが、世間の噂を繰り返し聞くにつれ、上場直前には株の上昇を確信していました。
そして、1987年2月9日、NTT株は、新規上場されます。
寄り付き、 成り行き買い、57万株に対し、 成り行き売り、たったの1万株。
前場は、130万円の買い気配。後場は、140万円の買い気配。初日は、とうとう値段がつきません。
このニュースは、日本中を駆け巡ります。NTT株神話が、さらに輝きを増します。
翌日の10日、買い気配は、大引け近くまで続きます。大蔵省が10万株の冷やし玉を投入します。
ようやく160万円の初値がつきます。
◆◆PER177倍でしたが、誰一人おかしいとは思わなかったのです。◆◆
◆◆反対に誰もが、まだまだNTT株は上がると確信していたのです。◆◆
◆◆
この続きは、明日発表します。お楽しみに。◆◆
NTT株の放出(中編) |
1987年2月〜3月、NTT株に、投資家の人気は集中。株価は上昇し続け4月の初めには、300万円を超えます。
第二次以降のNTT株放出による国家の収入も、予想を超えることが確実になります。政治家と官僚が、この余った金に目をつけます。 こうして、発足されたのが、NTT株売却収入による無利子貸し付け制度です。中曽根内閣時代つくられたリゾート法と民活法は、この資金をあてにして成立しました。
大蔵省は、同年11月に195万株の第二次放出を行う計画を練り上げます。今度は、約17%の株を機関投資家やNTTの取引先に引き受けさせたのです。(前回の165万株は99%以上が個人だった)
第二次放出の幹事証券会社は、野村證券でした。大蔵省と四大証券の努力でNTT株は再び人気化、10月13日には、300万円台を回復します。順風満帆。
ところが、土壇場で予想外の出来事が勃発するのです。
1987年10月19日、ブラック・マンデーでニューヨーク株が大暴落します。 これを受けた翌日の東京市場も大暴落。午前終了、NTT株は、売り気配でした。 |
NTT株が暴落したら、予算がくるいます。偶然にも、10月20日の昼、定例の四大証券の株式部長会が開催されていました。大蔵省証券局流通市場課長も出席していました。 後場が始まります。会議終了後のNTT株の下落は、不思議と少なかったといわれています。
第二次NTT株放出の売り出し価格は、11月9日の株価の3.5%引きでした。しかし、株価は、250万円を維持するのが困難なはずでした。四社が交代で買い支えが始まります。11月9日、売出価格は、255万円に決定します。
払込最終日は、11月12日です。証券会社の正念場。9日は、大和證券が買い支えます。10日は山一、11日は日興、そして最終日は真打・野村證券が買い支えました。
ブラック・マンデーに怯えた個人投資家のキャンセルは約10%でした。売る側は、大成功。 2回の放出で国は、7兆3471億円の収入を獲得し、証券会社は781億円の手数料を得たのです。
11月20日、株券の受け渡しが終了(いわゆるファイナンス明け)します。
需給バランス崩壊。機敏な野村證券は、株価維持をあきらめます。
◆◆NTT株が、自然落下を開始します。◆◆
◆◆次回は、完結編です。◆◆
NTT株の放出(後編) |
1988年は、バブルの全盛期で、日経平均は、年初の21000から年末には30000円を超えてしまった年なのです。 でたらめに株を買っても、平均すれば50%近い利益が得られたです。 しかし、NTT株に関しては、二次放出価格の無理がたたり、この年低迷を続けます。
NTT株神話は、完全に崩壊します。
1988年10月、しらけきった状況下で190万円の単価で、150万株の第三次放出が実施されます。株価維持に協力的だったのは、売り出し幹事の大和證券だけでした。
NTTの零細な取引先までもが、動員されました。ほとんどの機関投資家が、証券会社のNTT株購入の勧めを断ったようです。
1989年3月、株を無理に買わされた、機関投資家や取引先の不満が爆発します。当時の企業は、空前の利益をあげていました。そこでNTT株を損切りして、節税対策に利用したのです。 1989年9月13日、政府は四次以降の放出計画を断念します。しかし、翌年のバブル崩壊により値下がりは止まらず、1992年、NTT株は、45万3千円の底値に到達します。さすがに売られすぎで、その後は反転します。
その後の経過は、皆さん私よりずっと詳しいでしょう。
さて、親愛なるNTT株ホールダーの皆さん。 多くの国民に損をさせて集めた、NTT株売却収入は、 どのように使われたかご存知ですか? |
最近、第三セクターが、行ったテ−マパークなどが行き詰まり、問題となるケースが多くなっています。貴重な地方税が、赤字の穴埋めに使われる例も避けられないでしょう。
成田ジャパンビレッジ、白山山麓リゾート、岡山チボリ公園、田辺湾総合リゾート(和歌山県)、鳥羽小浜リゾート(三重県)、 大信リゾート(福島県)、河津リゾート(静岡県)---
NTT株売却収入による、無利子貸し付け制度がこれらの計画に採用されています。というよりも、もし、高値のNTT株の第二次放出がなかったら、これらの馬鹿馬鹿しい金食い施設は存在しなかった、と私は思います。
◆◆国に、余計な金を渡すとこんな結果になるのです。◆◆
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◆◆明日は、忘年会2で休みます。◆◆
ナスダック暴落の感想 (前編) |
有名なNYダウ
は、たった30社の株価をもとに計算されている、と知って驚いたことがあります。
その30社は、オールドエコノミーを代表するビック企業で、ブルーチップ(優良株)が多く選ばれています。昔は、ニューヨーク証券取引所の企業ばかりでしたが、1999年10月26日から、インテル、マイクロソフトなど4社のナスダック上場の企業も30社の中に採用されました。
一方、ナスダック総合指数(NASDAQ Composite Index) は、 なんと約5000社の企業の株価をもとに計算されます。 算出方法は、1971年2月5日の株価を基準値100として、時価総額加重平均です。 |
成長産業の多いナスダックは、ニューヨーク証券取引所より人気がありました。
1994年、ナスダックは、売買高でニューヨーク証券取引所を追い抜き、世界最大の取引所となります。
インターネットやパソコン関連企業、バイオ関連企業などの、いわゆるハイテク分野の比率が高いのも、ナスダックの際立った特長でしょう。
しかも、毎年300〜500社がIPO(新規株式公開)を実施して会社数は増加する一方です。
公開した企業は、利益も売上も少ない企業が多いようですが、ハイテク企業の将来の発展を先取りした期待感で、高い株価で喜んで取引されました。
事業が軌道にのる前に、創業者は、IPOにより億万長者となり、シリコンバレーの豪邸を金に糸目をつけず買いあさるそうです。
一年に10社ぐらいしか上場しない日本と違い、社会活力の源泉になっていると言う人もいます。
しかし、どこか変ですね。
1999年、ナスダック総合指数は暴騰して、前年末の2193から、年末には4070へと85.6%も値上がりします。 これに対して、この年のNYダウは、たった25%しか値上がりしていません。
アメリカの今度の好景気は、ナスダックに支えられていたのは、間違いありません。
2000年に入っても、熱狂相場は続き、3月5133の最高値を瞬間的につけます。
この間、日本のインターネット株も連れ高。我が世の春を謳歌します。
◆◆しかし、それから皆さんご承知のナスダックの暴落が始まります。◆◆
◆◆
そう、ナスダックは、日本の80年代後半と同様のバブルだったのです。◆◆
◆◆
明日、この検証をしたいと思います。◆◆
ナスダック暴落の感想 (中編) |
ナスダック業種別シェアを企業数でとらえると、
コンピュータが15.8%、電気通信が4.2%を占めているに過ぎません。
ところが、時価総額でとらえると、
コンピュータが53.4%、電気通信が17.5%を占めてしまうのです。
わずか2割の企業が、7割の時価総額を占めています。 この数字は、実はナスダックの病的な構造を示しています。 |
2000年にはいりナスダックは、前年末の4070から、12月22日には2517へと38.2%暴落します。これに対して、今年のNYダウは、7.49%しか値下がりせず、1万ドル台を堅持しています。
ナスダックの時価総額の大きいビッグ3は、シスコ・システムズ、マイクロソフト、インテルです。三社のデータを次に示します。
会社名 | 過去一年の 最高値 | 12月22日 終値 | 暴落率 | 売上 | EBITDA | PER | 時価総額 |
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シスコ・システムズ | 82ドル | 41.5ドル | 49.4% | 215億ドル | 39.7億ドル | 102.5倍 | 2987億ドル |
マイクロソフト | 119.9ドル | 46.3ドル | 61.4% | 234億ドル | 116億ドル | 26.25倍 | 2476億ドル |
インテル | 75.8ドル | 32.9ドル | 56.6% | 332億ドル | 119億ドル | 22.03倍 | 2217億ドル |
三社とも、株価は最高値から5〜6割下げているのがわかります。
これだけ下がっても、三社の時価総額の合計は、なんと7680億ドル(86兆7840億円)で、東証一部上場企業の時価総額356兆円の四分の一を占めます。(昔は半分だったのですぞ!)
さて、PERをみる限り、マイクロソフトとインテルが20台で、バブル分の調整はほぼ終了した、と考えてもおかしくないでしょう。 それに対しシスコ・システムズは、PERが100を超えており、利益が高度成長しない限り、まだまだ割高です。
いずれにしても、ビック3は、実体を伴った素晴らしい企業で、比較的問題がありません。今回の暴落で健全な株価に近づいたと思います。
ナスダックが抱えている爆弾は、まったく別の企業群なのです。
◆◆1000社近くもあると推定される、異常に時価の高い、◆◆
◆◆それでいて利益を生まない、◆◆
◆◆インターネット関連株なのです。◆◆
ナスダック暴落の感想 (後編) |
さて、昨日に続き、インターネット株の暴落ぶりについて、報告します。
三社についての、データを次に示します。
会社名 | 過去一年の 最高値 | 12月22日 終値 | 暴落率 | 売上 | EBITDA | PER | 時価総額 |
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ヤフー | 250.1ドル | 25.6ドル | 89.8% | 10億ドル | 3.15億ドル | 73.42倍 | 143億ドル |
アマゾン・コム | 99.0ドル | 15.6ドル | 84.2% | 24.7億ドル | ▲4.91億ドル | N/A | 55.4億ドル |
プライスライン・コム | 104.3ドル | 1.3ドル | 98.8% | 11.8億ドル | ▲11.3億ドル | N/A | 2.16億ドル |
まず、誰もが生き残ることを確信し、早くから利益もあげてきた王者ヤフー。株価は、2000年1月4日の高値250.1ドルから9割ほど暴落しました。ソフトバンク暴落の原因もこの点にあったのです。
ヤフーが発展するのは、間違いないでしょうが、PER73.42倍は、それを織り込んでいます。利益の増大が期待以下なら、まだ下がる可能性も否定できないと思います。
二番目は、有名なEコマースの巨人アマゾン・コム。暴落率84.2%。この会社、黒字をだしたことがありません。PERは、計算不能。株価は、黒字転換できなければ、ゼロになるでしょう。
最後に挙げるのが、アメリカで暴落ぶりが話題となったプライスライン・コムです。この会社、「あなたの値段をつけてください。(Name Your Own Price)」との宣伝文句で 航空券などを売る成長産業です。新しいビジネスモデルは、消費者の大人気となり、売上は11.8億ドル(1333億円)にも達しました。
しかし、売上の増大は、損失の増大を意味したのです。
EBITDA(償却前利益に金利を足したもの)は▲11.3億ドルの巨額になりました。
株価は、3月14日の104.3ドルから、約100分の1のたったの1.3ドルになりました。
これらの例は、特殊なものでは、ありません。ナスダックの暴落に、インターネット株がいかに寄与したかがわかると思います。
しかも、もともと利益をあげていない、インターネット株が反発する可能性は低いのです。
競争も激しくなる一方なのです。
1000社のうち、何社が生き残れるでしょうか?
最後に、アメリカでこの問題に関して、よく言われている、歴史の教訓をお伝えします。
1905年、自動車という技術革新が誕生します。 アメリカには、3300社の新興の自動車会社が産声をあげたました。 過当競争による自然淘汰が、果てしなく続きます。 そして21世紀、アメリカで生き残った自動車会社は、2.5社だけなのです。 |
◆◆ナスダックの暴落は、終わりではないかも知れません。◆◆
◆◆
しかし、バブルのなかった日本株が連れ安するのは、へんですねぇ◆◆
秀和の流通株買占め (前編) |
1987年10月のブラック・マンデーを受けて、東京市場の株価が暴落する中、忠実屋、いなげや等のスーパーの株を密かに、安値で大量に拾っている男がいました。
その男、小林茂は、数十のテナントビルを保有し、莫大な含み資産のある不動産会社・秀和のオーナー社長です。
小林茂とライフストアの会長・清水信次は、太平洋戦争を共に戦った戦友でした。 当時清水は、「中堅スーパー大合同による1兆円企業設立プラン」を提案していました。
小林は、清水のプランを実行するために買占めを開始したのです。しかし、清水は、小林主導の大合同に加わらず離反します。
1989年7月7日、秀和は、名義書換を行い、忠実屋、いなげや、長崎屋の筆頭株主に踊り出ます。
忠実屋といなげやは、秀和と対抗するために共同戦線をはります。
7月10日、忠実屋といなげやは、業務提携すると共に、第三者割り当て増資を行い、 発行済み株式の19%を互いに持ち合うことを決定したと発表します。 |
秀和の持ち株比率を33.3%未満に落とし、重要事項の絶対拒否権を奪い取ることが、狙いでした。
小林茂は、直ぐに反撃します。第三者割り当て増資の差し止めを、東京地裁に申請したのです。 割り当て価格が、時価を下回っていたこともあり、7月27日、秀和の主張した増資差し止めの仮処分は認められます。
忠実屋の株価は、6000円、いなげやの株価は、一時8000円を超します。不動産会社が、「地上げ」をやるように「株上げ」を始めたのです。
両社のホールダーにとっては、秀和の買占め大歓迎でした。
秀和は、名義書換をなかなかしません。他の株も買い占めているようですが良くわかりません。
秀和の次の買占め株はどれか?
◆◆噂が飛び交い、株価が乱高下します。◆◆
◆◆
ところが、1990年に入り、バブルが崩壊、状況が一変してしまいます。◆◆
秀和の流通株買占め (後編) |
1990年3月20日、バブル崩壊の初期、この最も重要なタイミングに、大蔵省と日銀(三重野総裁)は、共同して史上最悪の金融政策を発表します。すなわち、バブル潰しのための公定歩合の第四次引き上げ(1%)と不動産融資に関する総量規制(4月1日施行)を実施し、日本経済の崩壊を加速させます。
驚くべきことに、史上最悪の日銀総裁・三重野を「平成のバブル退治の鬼平」とマスコミも持ち上げ、好意的でした。
この時点で公定歩合は、逆に1%引き下げるべきで、 不動産融資は、推進するのが正しかったのです。 もし、それが出来たら、日本経済は、もっとソフトランディングしたでしょう。 |
この当時の秀和の借入金は、1兆1000億円に達していました。
11月28日、兜町に秀和不渡り説が流布されますが、誤報に終ります。
12月1日「5%ルール」が発足します。つまり、5%以上の株を持つ株主は、大蔵省への報告が義務づけられます。 神秘のベールに包まれた秀和の持ち株(総額5617.6億円)が、忽然と明らかになります(次表)。
保有株式数 (万株) | 買占め比率 (%) | 時価 (円) | 時価総額 (億円) | |
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東京スタイル | 1116.5 | 10.99 | 1700 | 189.8 |
マルエツ | 2693.1 | 24.93 | 2020 | 544.0 |
いなげや | 1319.3 | 25.21 | 3480 | 459.1 |
松坂屋 | 2435.8 | 15.68 | 3800 | 925.6 |
伊勢丹 | 5560.5 | 25.32 | 2670 | 1484.6 |
長崎屋 | 2564.4 | 17.61 | 3460 | 887.2 |
イズミヤ | 694.3 | 6.55 | 1900 | 131.9 |
忠実屋 | 3062.9 | 33.89 | 3250 | 995.4 |
合計 | 5617.6 |
窮地の秀和を救う白馬の騎士が、突然登場します。
12月7日、ダイエーは、秀和と流通株の処理に関して協定を結びます。
そして、忠実屋の株式を担保に700億円の融資を行います。
小林茂は、辛くも危機を脱します。
忠実屋は、ダイエーの苦手な首都圏に店舗網があり魅力がありました。
その後、TOBにより秀和保有のマルエツと忠実屋株は、ダイエーに渡ります。
◆◆1994年3月、忠実屋は、ダイエーに吸収合併されます。◆◆
◆◆
秀和を救済したダイエーの最近の迷走をみると、◆◆
◆◆不況の深刻さを感じます。◆◆
2001年J_Coffeeの投資方針 |
ナスダックのバブル崩壊に引きずられ、今週の株価の暴落は、深刻なものがあります。 アメリカの株の下落が、これで止まるとも思えず、日経平均は、1998年10月9日の12879.97円を抜けて、底割れするかもしれません。
私は、昨日、三洋信販をほぼ買値で、今日、大正製薬を損切りして売却しました。ホームページ開設前に買った株もすべて、ここ3ヶ月以内に売却しました。
現在の持ち株は、PERの高い武富士と高利回りの三精輸送機だけです。
株中毒のJ_Coffeeとしては、ここ三年で最少の保有株です。
来年は、アメリカ向け輸出が減りそうです。
現金の半分は、ユーロのMMFを買おうと検討しています。ここ数年ユーロ安が続き、ユーロは実力より過小評価されています。 金利は安いですが、ドルにも円にも不安があり、最も安心です。 アメリカに投資していた、ヨーロッパの資金の還流もあるはずです。
残りの半分は、将来、株が下がり切ったときの購入資金として待機させます。少しずつ買うつもりです。
信用取引をしない私は、空売りができません。せめて、福沢桃介 の立場になりたいと思います。◆◆この予測、外れるとよいですね。◆◆
◆◆自己責任でお願いします。
◆◆
◆◆(追記)なお、22日のナスダックは、大幅反発、◆◆
◆◆25日の東京市場は、上昇する確率が高いでしょう。◆◆
◆◆噂のあったクリスマス・ブラックマンデーは、外れそうです。◆◆
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