■J_Coffeeの徒然草(16巻)■
JALとJASの株価(後編) |
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JASが個人投資家に好まれる理由に、手厚い株主優待制度があります。
所要資金310,000円で、JASを100株買うと、3月末、9月末にそれぞれ2枚ずつ、年間4枚の普通優待券の権利を獲得できます。送付は約2ヵ月後です。この券を2枚使うと、羽田---札幌間の運賃が50%割引になります。
格安航空会社エアドゥを使えば16,000円ですが、座席は狭いし、あまり便数がありません。 九州や北海道に実家のある東京人が、JASの100株主になれば、年間3〜4万円節約できます。
飛行機には乗らないという人は、金券ショップで、売ることができます。 一枚4,000円で4枚分売れば、年間16,000円になります。 |
さらに、去年は、特別優待券の配布が年間24枚もあったそうです。
この券の配布は、恒例化されていたようです。
多分、航空会社の価格競争の一環なのでしょう。ただし、今年もこの券が続くかどうかは、不明ですが。 特別優待券の金券ショップでの価格は3,500円、年間84,000円の収入です。
以上の合計は、なんと年間10万円になったのです。 31万円に対する利回りは、32.3%です。 |
一方、JALの1,000株(所要資金308,000円)の株主は、冷遇されています。
年に1回1枚の優待券が来るだけです。
遠くには行けず、割引率も大きくありません。
手に入れた優待券1枚で、羽田---大阪間の運賃が、25%割引になります。
金券ショップで売っても年間2000円?ぐらいでしょうか。
利回りは、年間0.6%に過ぎません。
JASとJALの一見不合理な価格差は、3月の優待券の権利の差で、説明がつくのではないでしょうか。
◆◆JASの株主の既得権益は、経営統合と同時に失われるでしょう。◆◆
◆◆
来る3月26日、権利落ちとともに、両者の乖離は、◆◆
◆◆大幅に縮小すると私は予想しています。◆◆
◆◆
JASのような株を探し出すのも、効率が良い投資につながりますね。◆◆
◆◆とっておきの優待制度をご存知の方は、掲示板で教えてください。◆◆
商品先物取引は、悪魔の誘い(前編) |
私のところに、ときどき商品先物取引の誘いの電話がかかってきます。
流暢な長い前置が終ると、彼らは切り出します。
「商品先物相場による利殖に興味がありませんか?」
相場師の話のコレクターである私は、商品相場にはもちろん興味津々である。
できれば、2〜3時間でも話を聞きたいところである。
しかし、・・・
「まったく、興味ないですね。では。ガシャン。」
と対処する事にしている。
私は、商品先物取引の経験がまったくない。 もちろん、その理由は、商品先物取引業界は顧客を騙して金を巻き上げる、という体質があるからです。
繰り返し聞く典型的な話は、次のとおりです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
その男は、勧誘の電話に応じて、商品先物取引の担当営業マンに会ってしまう。
200万円の保証金で、灯油を買う契約をします。
最初は、嘘のように儲かります。取引を終了させようとしても、担当は粘ってそうさせません。
つい調子に乗って、とうもろこし、大豆について、建て玉を拡大する。
値段が下がり、追証が発生する。
預金を解約して300万円の追加資金を入れる。 下降トレンドだから、ドテン売りをして取り返しましょう、と営業マンは勧める。
担当営業マンの口車にのって、売買を繰り返す。 売買差損はないのに、高額の手数料のために、預かり証拠金が失われる。
担当営業マンへの不信が募ると、課長が現われ、救済商品の銀を教えてくれる。 生命保険を解約して、損失補てんしてもらおうと200万円をつぎ込む。
不思議なことに銀相場が、課長の言うとおり動かない。 手仕舞いしようとするが、課長にお金が足りなくて出来ないといわれる。
追証が100万円必要といわれる。 会社にも、督促電話がかかり、退職に追い込まれる。
営業管理部門に電話して、指値で手仕舞いを行なう。 最終的に98万円が不足したので、退職金で払う。
結局、1年間で、798万円も損する。その平均6割が、手数料なのです。
あきれた妻は出て行き、近所の噂となります。
・・・・・・・・・・・・・・・
どうして、この業界はこう悪質なのか?
さて、この謎を解くための問題です。
◆◆後編と答えは、明日発表します。◆◆
商品先物取引は、悪魔の誘い(後編) |
次の商品先物取引業社の統計は、2000年6月2日に開催された、農水省・通産省の商品取引所審議会資料による、2000年3月のものです。
商品先物市場の規模は零細で、期末の預かり証拠金の総額@は、たったの4,305億円(問1)に過ぎません。
顧客は、わずか101,850人しかいません。
この証拠金の蜜に蟻のように群る商品先物取引業者の営業マン(正確にいうと登録外務員です)は、110社の合計で13,596人(問3)もいます。
営業マン一人当たり、なんと7.49人(問4)しか顧客がいないのです。
営業マンの数が、顧客に比べて多すぎるところに問題の本質があります。
営業マン一人当たりの預かり証拠金を、次の式で計算すると
3,166万円(問5)あまりに少ない金額です。
まともな営業姿勢では、給料など出るはずがありません。
どうすれば、高給が捻出できるのか?
人員を縮小しないのなら、おそらく、悪徳商法しか道はないでしょう。(問6)
営業マンの業績は、客が振り込んだ現金の額で決まります。
一度振り込ませたら、もう営業マンの業績です。理屈をつけて、なかなか返したくはありません。
追証を利用して、客の資産を可能なかぎり出させようとします。
巧みなセールストークで、客に無意味な売買を繰り返させ、手数料で消耗させます。
客の買いには、自己売買部門の売りをぶつけて、客を殺し、追証を引き出すことさえあるそうです。
顧客は短期間の使い捨てです。財産が無くなったら用はありません。
2000年3月期の一年間の委託手数料の合計Aは、なんと2,849億円(問2)にも達します!
これを期末の預かり証拠金の総額で割りA/@を計算すると。
2,849億円÷4,305億円=66%(問7)
一年経つと、平均で66%の預かり証拠金が委託手数料として消えるのです。 これでは、顧客は儲かるわけがありません。 |
◆◆商品先物取引業者は、新しい蜜を求めて、電話を掛けまくり、◆◆
◆◆新しい犠牲者を探し出すのです。◆◆
◆◆
よほど、腕に自信のあるプロ以外、◆◆
◆◆この業界には、近づかないことをお勧めします。◆◆
◆◆明日は、休みます。◆◆
吉野ダラーは、山林地主 |
今や、林業は輸入木材に押されて赤字経営が続き、管理費もでないようです。日本の山林は、放置され荒れ果てています。 しかし、30〜40年前は、違っていました。
奈良県吉野山は、全国有数の檜や杉の生産地です。 農地改革の影響を受けず、戦後のインフレと復興ブームにのります。 山林地主は、伐採した木材をインフレ後の価格で売って、豊かになります。
当時、関西では、吉野の山林地主というと大金持ちの代名詞です。
彼らは、グループを作り、豊富な資金で株式投資を始めようとします。
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子供の頃、私は新日鉄を持っていたので、ときどき、新聞の株式欄を読んでました。
「吉野ダラーなどの仕手筋の買い」
という表現が当時の新聞にあった気がします。
「仕手筋とはなんだろう?」と思った記憶がかすかにあります。
吉野ダラーの中心となったのは、辰巳旭という山林地主です。
彼らは、最初、場違い筋と呼ばれましたが、次第に北浜で一世を風靡するようになります。
吉野ダラー関連株で、最も有名なのが大和ハウス工業です。
彼らが取引しているプレハブメーカーですから、話題にもなり易く、提灯もつきやすかったようです。
1969年、100円台だった大和ハウス工業の株価は、1847円まで暴騰しました。
売り向かった投資家は、惨敗しました。
吉野ダラーは、オイルダラーより古い言葉なのです。
◆◆吉野ダラーは、その後リコーなども手がけたようですが、◆◆
◆◆いつの間にか名前を聞かなくなりました。◆◆
◆◆
相場で損して崩壊した、と推測してますが、◆◆
◆◆詳しい情報をご存知の人は、教えてください。◆◆
一億円の落とし主(前編) |
1980年4月25日、銀座三丁目の昭和通り。トラック運転手の大貫久男さんは、子供会の廃品回収の手伝いのため、ダンボールや新聞紙が捨てられていないかと捜していました。
ふと、風呂敷包みが道路の脇に放置されているのに気がつきます。
四角で、ずっしり重い。
多分、中には、新聞紙が入っているのでしょう。
大貫さんは、他のダンボールといっしょに家に持ち帰ります。
風呂敷を開けてビックリ。 中には、なんと現金1億円の札束が入っていたのです。 |
大貫さんは、警察に届けます。 さて、翌日、このニュースは駆け巡り、大貫さんは、時の人となります。
すぐに、落とし主が現われるだろう、と誰もが思いました。
ところが、不思議なことに、落とし主は名乗り出ません。
6ヶ月と14日の届出期間が経過した11月9日、時効が成立します。
1億円は大貫さんのものとなり、マスコミは騒然となります。
11月11日、ジョギング中の大貫さんが、急にタクシーに乗り、東京・文京区後楽の警視庁遺失物管理署に現われ1億円の小切手を手に入れます。
3300万円の税金を差し引くと手取りは6700万円。うち3700万円でマンションを購入したそうです。
「一億円が自分の幸せにつながるかどうかは、僕の人生が終わったときに初めてわかる」と彼は、嬉しそうに話していました。
◆◆ところで、この一億円は、誰が落としたのか?◆◆
◆◆
犯罪に関係があるのか?◆◆
◆◆
明日は、落とし主に関する有力な噂について、ご紹介します。◆◆
一億円の落とし主(後編) |
1976年3月、加藤ロは、黒川木徳証券に席をおきながら、東京銀座に個人事務所を開設し、投資顧問業を始めます。 大貫さんが、1億円を拾った昭和通りから目と鼻の先の場所でした。
加藤ロが実力をつけたのは、ヂーゼル機器の仕手戦がきっかけといわれています。 彼は、最初、平和相互銀行の小宮山会長から資金を引き出すが、途中で中止を宣言されます。
困った加藤は、日本船舶振興会会長の笹川良一のところに日参します。彼の関心を引くために入信したのが、笹川が会長をしていた日本紅卍会でした。 同会は、加藤に信仰のための道名を与えました。その名前が「誠備」で、後に史上最強の仕手集団を指すことになります。
努力のかいがあり、加藤は、笹川から資金を引き出すことに成功します。
誠備グループの仕掛けた最大の相場といえば、1980年の宮地鉄工所でしょう。同年8月には、同社の株価は10倍以上の2950円に暴騰します。 これを支えたのは、医師、政治家、芸能人など5000人もの出資者でした。
その男は、政治家かもしれません。
何億円かの現金は、一億円ずつ風呂敷包みに入れて分けられていました。 誠備に投資するには、証拠の残らない現金を持ち込むしかないのです。
いくつもの風呂敷包みを一度に一人で運ぶのは大変でした。
秘書に、手伝わせることが出来ません。
どうしても持ちきれない一つ分だけ、道路において、残りを事務所に運びました。 約1分後、加藤と二人で道路に戻ると一億円がありません。
遠くをみると、男が風呂敷包みをトラックに載せて、走り去ろうとしているところでした。
「くそ-。泥棒」
追いかけますが、途中で見失います。
翌日、男はニュースで、拾い主が大貫さんであることを知ります。 しかし、政治家が仕手戦に出資していると分かると、落選してしまいます。マルサも動き出したようです。
男は、1億円を紛失したことを名乗りでないという苦渋の決断をします。 |
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◆◆1981年2月、加藤は、ある会員の脱税の共犯として、逮捕されます。◆◆
◆◆
誠備銘柄は、これを機に崩壊します。◆◆
◆◆
一方、大貫久男さんは、2000年12月亡くなります。◆◆
◆◆
人生が終わったとき、一億円で幸せになれたかどうか?◆◆
◆◆こっそり、聞きたかった気がします。◆◆
変わりゆく結婚式 |
同級生も全て結婚しているし、会社はリストラしているので、部下も新人がなかなか入ってこない。したがって、何年もの間、結婚式に出たことがありませんでした。
最近、姪の結婚式の招待状が届きました。
赤ん坊の時から知っている姪が結婚するとは、俺も年をとったものだ。 感慨無量で、差出人の欄を見ると、親の名前でなく、姪の名前が書いてあります。
仲人は誰だろう?
招待状をいくら読んでも、仲人の名が見当たりません。
工場を定年でやめた後、ホテルの支配人に華麗な転職をした知り合いに、結婚式の現状を聞くチャンスがありました。
仲人なしの結婚式が当たり前になっているそうです。
この現象は、東京から始まった流行だそうです。
彼が、もっと驚いたことがあります。
今、いわゆる「出来ちゃった婚」の比率は、2割ぐらいまで、高まっているそうです。 結婚式の打ち合わせの時に、初めて親同士が会うことも多いそうです。 |
親御さんは、そうした事情ですから、式を質素にしたがるそうです。 それでは、商売になりません。
「いや、今はこうしたケースは一般的ですから、遠慮なさることは、ございません。」
そういいながら、彼は、新しいビジネスチャンスとしてこの現象を捉えました。
式は、お腹が目立たない前に行なうために、短納期となります。
迅速な短納期の結婚式への対応!
工場の納期管理の経験は、役に立ったそうです。
お腹が目立ってしまった新婦のためには、マタニティーのような、ウェディングドレスを豊富に揃えたそうです。
さらに、出産後に挙式する二人のためには、新生児の服まで、準備したそうです。
◆◆冠婚葬祭って、激変してしまうのですね。◆◆
◆◆
念の為に言いますと、姪の場合は、出来ちゃった婚じゃありません。◆◆
◆◆
明日は、休みます。◆◆
住友金属鉱山と金価格 (前編) |
住友金属鉱山は、住友財閥のルーツといってよいと思います。
16世紀、泉屋(住友家)の姉婿、蘇我理右衛門は、南蛮人を助け、 お礼に「南蛮吹き」の秘法を教えてもらいます。 「南蛮吹き」とは、銀を銅から分離する精錬法です。 |
当時の日本の銅は多量の銀を含んでおり、外国は、銀を日本産の銅地金から抜くことで莫大な利益を稼いでいました。
銀を含有した粗銅に鉛を溶かし込んだ後、急冷し、銀との合金をつくります。そして、出来た銀鉛の合金を灰の上で過熱して、鉛を灰に吸収させ、銀を分離することができるそうです。
住友家は、技術を独り占めせず、大坂の同業者に公開しました。このため、日本全土で産出された銅は、大坂に集まり精錬されたそうです。
後に、住友家は、莫大な富を得て、鉱山経営に乗り出します。
1691年(元禄4年)幕府の許可を得て、別子銅山を開坑ます。
別子銅山は、300年近く銅を採掘し続け、住友グループの繁栄を支えました。
さて、今日では、住友金属鉱山というと、1983(昭和58年)年4月に開坑した菱刈鉱山が注目されています。
この鉱山で採掘される金鉱石1トンの金含有量は、平均約50gもあります。この含有量は、金の産出国として有名な南アフリカ共和国の鉱石の約10倍です。世界最高水準で、精錬コストは、ほとんどかかりません。
1982年、最後の相場師、是川銀蔵さんは、新聞で読んだ金鉱脈発見を材料に、全財産を投機して相場を当て、この年の所得番付日本一になりました。
◆◆さて、この金山の埋蔵量は、どの程度残っているか?◆◆
◆◆住友金属鉱山の株価と金価格は、連動するか?◆◆
◆◆
この続きは、明日発表します。◆◆
住友金属鉱山と金価格 (後編) |
住友金属鉱山が実際に金鉱石を採掘し始めたのは、1985年だそうです。
少しデータは古いですが、2000年3月末までの出鉱実績は約187万トン(金量 105.7トン)、同月末の可採鉱量は約 460 万トン(金量約 161トン)となっているそうです。
一年間に7トン採掘すると、2002年3月には、可採鉱量は金147トンに減ったでしょうか。
2月8日の金価格1361円/gをこれにかけると約2000億円になります。
同社の発行済株式数は、 571,872,794株ですので 一株当たり金埋蔵量は、0.257g、金額にすると350円です。 ただし、この金額から、採掘コストを引く必要があるでしょう。 |
2000年 5月 19日、住友金属鉱山は、菱刈鉱山の 黄金沢地区で新鉱脈群を確認したと発表しています。したがって、この埋蔵量(未発表)を足せるかもしれません。
さて、円安もあり、金価格は、堅調に推移しています。
次のグラフは、12月3日の値を1として、指数化したものです。
2001年12月3日に1140円だった金価格は、19.4%も高騰して2002年2月8日に1361円となりました。
◆株価の方も同じ時期に、420円から514円に22.4%も高騰しています◆
◆
ほぼ、連動していますね◆
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